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Scare Crow  作者: 大藪鴻大
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23/48

鷹 8

 「注文の多い料理店」は小さいころに読み、私の人生の一冊になりました。何の疑問も持たずに奥へ進んでいってしまう猟師たちの滑稽さにおかしみを覚えながら、奇妙に思っていました。

 馬鹿なんじゃないの?あのころと同じセリフを、今も同じように言えるかどうか、自信がありません。

 夏の明るい日差しにもかかわらず、そのアパートは建物全体が陰で覆われた暗さを帯びていた。ベランダで揺れる白いシャツが、そのアパートの中で唯一、夏の清々しさを象徴していた。

 つい一時間前、廃墟と化した古いビルから出て裏路地を彷徨っていた俺に、メールが届いた。そのメールは八代からだった。メールにはターゲットの居場所と思われる住所と地図、部屋番号が載っていた。

 俺はそのメールに『了解』とだけ打ち、返信した。いつもなら、仕事が終わるまでクライアントに連絡などしないのだが、今回、何故そんなメールを送ったのか、よく分からない。ただ、自分が自分で考えて行動していることを確認したかっただけかもしれない。

 アパートの周りをぐるりと回り、外観を把握したとき、携帯が振動する。俺は携帯を取り出し、開く。クライアントではなかった。


題名:無題

 いつのまにか 生まれてきて

 気がついていたら 生きている

 生まれる瞬間を 私の世界の中では知ることができないけど

 他の世界では 私が生まれている

 死んだ後の世界を 私は見ることができないけど

 世界は回り続ける

 誰かが生まれ 去っていっても

 世界は止まることはない


 怖がらないで

 この世界は あなたのものだから



 俺はメールの内容が理解できず、二度三度と読み返した。読み返しても、やはり理解できない。この携帯は借り物であるがゆえに、今までにも俺に無関係なメールは山ほどあった。そして、そこには必ずそこには元の持ち主へのメッセージが含まれていた。しかし、俺はこのメールからメッセージを読み取ることができない。このメールは、果たしてあの緑の髪をした青年に宛てたものなのだろうか?

 俺は指を動かし、このメールを削除しようとする。削除を選び、画面に『削除中』というメッセージが出てくる。『削除しました』というメッセージに変わったとき、しまった、と思った。どう考えても必要ないと思えるのだが、失ってはいけないものを失った後悔のような思いが浮かんできた。俺は携帯の画面を眺めていた。しばらくして、携帯をしまうと顔を上げ、薄暗いアパートに向かう。

 階段を一段一段上る。アパートの内側も外観と同じように、ところどころひび割れ、梅雨の曇り空を思わせるような暗さだった。突然、幽霊が飛び出したとしても、驚くどころか納得してしまいそうな雰囲気があった。俺は神経を集中させ、どこかに隠れて待ち伏せしているかもしれない相手の気配を探る。

 二階から三階に続く階段に足をかけたとき、カチ、とひときわ大きな音が響いた。俺は思わず足をひっこめ、階段から距離をとる。目を動かし、神経を研ぎ澄まし、周囲を窺う。アパートは沈黙している。人の気配もない。俺は大きく深呼吸する。生ぬるい夏の空気が口の中にまとわりつく。唾を飲み込む。粘着質の液体が喉をゆっくり通過する。呼吸を整え、再び階段に足をかける。

「なんだか、おかしくないか?」

 俺は再びナイフに手を伸ばす。やはり、人の気配はない。俺は舌打ちをする。そうか。これは俺の記憶だ。声など発しないはずの本の中の猟師の声の記憶だ。注文の不可解さにようやく気がついた愚かな猟師の声だ。俺は頭を横に振り、階段を駆け上がる。階段を踏むたびに、カチカチと金属がぶつかり合う音がする。

 最後の二段を飛び越える。呼吸を整える。顔を上げ、辺りを見渡す。303号室と書かれた部屋が目に映る。錆ついたドアの前まで近づく。金属音は歩く速度に合わせ、一定のリズムで鳴り続けている。

「なんだか、おかしくないか?」

 再び、記憶の中の猟師の声がする。情けなく震えている声が記憶の中のものとも思えず、それが俺の神経をさらに逆撫でする。なにがおかしい?

「だってよ、おまえはあの八代とかいうおっさんの命令を、ただ忠実に行動してきただけだろ。それっておかしくないか?考えろよ。」

 先程までの弱気な声色は消え、冷静な少年の声に変っていた。金属音は鳴りやまない。何が言いたい?

「ターゲットは誰だ?」

 それはもちろん―

「郭公とやらいう誘拐犯と黒田の赤ん坊、どちらがターゲットだ?」

 突然痛みが走り、頭を抱える。赤ん坊ではないのか?いや、考えろ。そもそも、なぜ俺は赤ん坊がターゲットだと思った?クライアントに渡された封筒に赤ん坊の情報が入っていたからだ。

「だからといって、そいつはターゲットなのか?八代はそれがターゲットだと言っていたか?」

 ターゲットだとは言っていない。しかし、ターゲットではない奴の情報を渡す必要があるのだろうか?いや、考えろ。八代は確か情報が不足していると言っていた。だから、やむなくターゲットである郭公に誘拐された赤ん坊の情報を渡したのか?実際、俺はそこから情報を集め、郭公という名前を見つけたではないか。一体どっちだ?どちらがターゲットだ?

「本当に八代は仕事を依頼したのか?本当に奴はクライアントなのか?」

 俺は誰を殺しに来た?クライアントの真意は何だ?奴は本当にクライアントなのか?金属音が早くなる。いや、違う。これは心臓の音だ。心臓の音が鼓膜を圧迫する。目の前の錆ついたドアから猫の鳴き声のような声が聞こえる。

「馬鹿だな。騙されたんだよ。」

 声がする方を向く。いつの間にか、野球帽を深く被った少年が5メートルほど先に立っていた。その少年には見覚えがあった。先程、廃ビルにいたときに見た少年だ。少年は一歩、二歩と大きく飛ぶように走りこんでくる。右手に光る物が目に入ったときには、少年は振りかぶっていた。俺は少年の攻撃を避けようと大きく飛びのく。

 次の瞬間、錆ついたドアが爆音とともに外側に向かって吹き飛ばされた。ドアを失った玄関から黒い煙が爆風とともに溢れてくる。俺は顔を覆い、背中から地面に落ち、叩きつけられる。俺は起き上がった後も、しばらく動けなかった。煙の向こう側に、ドアが横たわっているのが見える。

「何してんだよ。早く逃げろ。」

 あの少年の声がする。辺りを見渡すが、その姿は見えない。俺は少年が爆風の中に消えたのを見ていた。助けてくれたのか?少年の姿を確認しようとするが、黒い煙が薄くなる気配はない。俺は階段に急ぐ。

 あの少年は俺じゃなかったか?そう思ったが、確信が持てなかった。昔の自分の顔など、とうの昔に忘れてしまった。


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