鳩 8
これまで投稿してきましたScare Crowですが、ここで折り返しです。
長いよ、と思っている方。申し訳ありません。ここから物語は加速すると思いますので、どうか投げ出さずにご愛読してくだされば幸いです。
もう折り返しなの?、と思っている方。心配無用です。これから、この物語はさらに核心に近づき、内容が濃いものになっていると思っております。
どちらにせよ、この物語にお付き合いしてくださっている方、本当にありがとうございます。こちらから、読者の方々の状況をすべて把握することはできませんが、これからも頑張っていきたいと思います。
鳩
水の流れる音が聞こえる。俺は郭公のおっさんと朝からレトルトのカレーライスを食べ、郭公のおっさんが食器を洗っている。甘口で、カレーライスは辛いと思い込んでいた俺の中の常識を覆された。味はまあまあだった。
テレビでは報道番組とバラエティ番組を足して割る2をしたような番組が映し出されている。どこぞの俳優が料理企画で緑色をした野菜カレーを作っていたが、とてもその色は食欲をそそるものではなかった。スタジオにいるキャスターがそれを食べていたが、顔が歪んでいるのが目に見えた。
「マズイって言えばいいのによ。」
「せっかく作ってやったのに、『まあまあだ』と言われるのもどうかな。」
「うるせえよ。」
郭公のおっさんが口を挟んできた。俺はなんとなくばつが悪くなり、視線を逸らす。部屋の隅に小さな箱があるのが目に入る。
「なあ、あれって昨日もあったか?」
「あっても困らないだろう。」
「いや、まあそうだけどよ。まあ、何でもいいか。」
気がつくと、テレビではパッとしない女性キャスターが事務的にニュースの原稿を読んでいた。画面には、駅の構内と人の形をした白いテープ、その周りに点在する赤黒い染みが映っていた。
画面が切り替わると、その事件の犯人と思われる顔写真が映し出された。丸顔で目が細く、丸縁の眼鏡をかけていた。はっきり言うと、威厳のない顔だった。常に何かに怯え、逃げ回って生きてきたような顔をしていた。少なくとも、殺し屋には向いていない。殺し屋でなくとも、人を殺す。
俺は俺が人殺しでテレビに映し出される姿を想像してみる。そして、それを見た一般人の反応を想像してみる。こいつは只者ではない。果たして、俺の姿を見た人々はそう言って言い知れぬ恐怖に慄くだろうか?それとも、ただの狂人だと思うだろうか。
「殺し屋も一般人も変わらない、か。」
俺は両腕を後ろに回し、横になる。殺し屋も所詮は人だ。飯も食うし、排便もするし、息もする。そして、死ぬときは死ぬ。
「お使い頼んでもいいか?」
瞬きをした瞬間、郭公のおっさんの顔が視界に入ってきた。俺は思わず飛び起きる。郭公のおっさんは、最小限の動きでそれをかわす。
「何だよ?」
「あの子の生活用品を買ってもらいたい。」
郭公のおっさんはベッドの方を指さす。赤ん坊は眠っているのか、そこに本当にいるのかどうかさえ疑われるほど静かだった。
「何で俺が?」
「どうせ暇なんだろう?」
そう言って、郭公のおっさんはメモを渡してくる。そこにはパソコンから打ち出したような何の特徴もない字で、『衣類』だの、『ミルク』だの、『紙オムツ』だの大雑把なことが書いてあった。
「『衣類』って何でもいいのかよ?」
「そこは自分で考えろ。」
自分で考えろって、おまえが頼んだんじゃねえか。俺は軽く舌打ちをしながらも、出かける準備をする。なぜ、すんなり引き受ける気になったのか分からない。郭公のおっさんには世話になったからかもしれないし、本当に暇だったからかもしれない。俺は携帯電話がポケットに入っていないことに気がつき、部屋中を探し始める。
「なあ、俺の携帯見なかったか?」
郭公のおっさんは一瞬眉間にしわを寄せ、なにかを思い出すような仕草をしたが、すぐに眉間のしわは消え、代わりに目尻に皺が増えた。
「ああ。昨日、処分しておいた。」
「は?」
あまりにも自然に答えたので、その言葉が何を意味しているのか理解するのに時間がかかった。処分しておいた?俺の携帯を?
「携帯があると面倒だろ。雇い主からの非難の電話とか、脅しとか。」
「携帯がない方が面倒だろ!」
俺は髪をかき乱す。道理で昨日一日何の連絡もなかったわけだ。リュックサックのことといい、何でこのおっさんは勝手に俺のものをいじるんだ?俺は壁を思い切り蹴ると玄関に向かって歩いていった。
「ちょっと待て。」
俺は立ち止らない。
「忘れものだ。」
俺は立ち止り、振り返る。郭公のおっさんは何かを包んでいる白い布を抱え、俺のリュックサックを腕に下げていた。
「何で買い物するだけなのにそんなものがいるんだよ?」
俺は、もはや無用の長物になってしまったリュックサックを指さす。郭公のおっさんは目尻の皺を増やし、白い布に包まれたものを手渡し、リュックサックを手渡す。
「何かの役に立つかもしれないだろ。」
こんなものが何の役に立つんだよ?そう思いながら、俺は白い布にくるまれたものを郭公のおっさんに渡し、渋々リュックサックを背負う。リュックサックを背負うと、郭公のおっさんはまた白い布を手渡してきた。
「何で赤ん坊まで連れていくんだよ?」
郭公のおっさんはどこから取り出したのか、折り畳み式のベビーカーを広げる。
「せっかくだから、散歩に連れていってくれ。」
「なんでだよ?」
「子供は一カ所に留まる生き物じゃないからだ。」
郭公のおっさんはそう言うと、目尻の皺を増やす。一体何なんだよ。俺は赤ん坊をベビーカーの中に入れる。赤ん坊と視線が合うが、俺はすぐに視線を逸らす。ドアに手をかける。
「ちょっと待て。」
「今度は何なんだよ?」
俺は半ば憤りながら答える。郭公のおっさんが何かを投げる。俺は咄嗟に右手を伸ばし、それを受け取る。手のひらを返し、受け取ったものを見る。十字架のネックレスだった。銀色の十字の真ん中に宝石が埋め込まれている。傾けると、角度によって宝石の放つ光の色が様々に変化した。
「お守りだ。」
「何のだよ?」
「『烏』除けだ。知らないのか?」
「知らねえよ。初めて聞いた。」
家内安全、交通安全、学業成就、そして『烏』除け。よくよく考えてみると、今思いついたこの四つの中で俺に最も必要なものは『烏』除けかもしれない。いや、交通安全も捨てがたい。
「『烏』が恐れているものは何か知っているか?」
「人がいなくなることか?」
俺は考えることなく口走っていた。人がいなくなると、『烏』もいなくなるのではないか。初めて『烏』の話を耳にしたとき、何となくそう思っていた。郭公のおっさんは、一瞬考え込むと、「なるほどな」とつぶやいた。
「Scarecrow」
「何?」
「案山子だよ。その十字架のネックレスは案山子に見立てているんだ。」
俺は右手に握っているネックレスを再び見る。Scarecrow。勉強は好きではなかったが、この単語の意味は分かった。『烏』を怖がらせる。案山子。ただのジョークじゃねえか。
「ただのジョークじゃねえか。」
「そうだな。」
郭公のおっさんは目尻の皺を増やす。違和感があった。なんとなく、顔の筋肉に力が入っている気がした。
「鳩。」
「何だよ?」
その名前で呼ばれると、なんだかむずがゆい。今日は一体、何回呼び止められただろうか。煩わしくも思ったが、無視するわけにはいかない気がした。
「頼んだぞ。」
「ただのお使いだろ。大袈裟なんだよ。」
俺はドアに手をかけ、思い切り開く。夏の生温い空気が俺の頬を叩いた。
ベビーカーに苦戦しながら、なんとか階段を降りたときには汗だくになっていた。ベビーカーというものは想像以上に重い。俺は一息入れ、握ったままのネックレスを掲げる。真ん中の宝石が夏の太陽の光を反射し、虹色に輝く。その輝きを見ながらベビーカーを押し、道路沿いに歩きだす。
あ、ヤベ―。礼を言い忘れた。そう思ったときには、もうアパートは見えなくなっていた。




