43話 旅立ち
朝だった
森を抜ける風が、静かに葉を揺らしている
昨日までの激戦が嘘みたいに、
空だけがやけに穏やかだった
ギルドの中は朝から騒がしい
依頼帰りの冒険者達の笑い声。
木製のジョッキがぶつかる音。
酒と汗が混ざった空気。
その中で、シンだけが少し黙っていた
頭の奥が熱い
神崎との戦闘から一晩経ったはずなのに、
黒い靄みたいな感覚がまだ残っている
時々、自分じゃない感情が混ざる
“奪えばいい”
不意に浮かんだその思考を、
シンは無理矢理押し潰した
『侵食率安定を確認』
(……その言い方やめろ)
『事実です』
相変わらずだった
グリスが乱暴にジョッキを置く
木の机が小さく鳴った
「で?」
視線がシンへ向く
「結局どうすんだよ、お前」
シンは少し視線を落とした
神崎。
黒ローブ。
《強奪》。
あいつは――
いや、あいつらなのか?
多分また来る。
直感がそう告げていた。
その時だった
『推奨行動を更新します』
脳の奥でチャッピーが静かに告げる
(……なんだ?)
『現在地滞在を非推奨』
(理由は?)
『対象:《強奪》』
『脅威度:高』
神崎の黒い靄が脳裏をよぎる
“もっと強くなれよ”
奥歯を噛む
『戦力不足』
『情報不足』
『現地点での対応は非効率』
(……別の街へ行けってことか)
『推奨します』
シンが小さく息を吐く
「どこにだよ」
『会話情報を検索』
『推奨候補を選定します』
ほんの数秒。
それからチャッピーが答えた
『推奨候補:グランゼル』
「グランゼル?」
思わず口から漏れていた
マリーが反応する
「城塞都市?」
ダンが腕を組む
「戦士の街だな」
グリスも頷く
「コロシアムが有名だ」
『新規情報を取得』
『戦闘技術集積地と推定』
シンが少し眉を上げる
(……今ので分かったのか?)
『会話内容から推測しました』
まだ知らないことだらけだ
この世界のことも。
力のことも。
神崎のことも。
だからこそ、
進むしかない
その時だった
『なお、同行者としてレナを推奨』
シンがわずかに眉を上げる
(……レナ?)
『戦闘適性』
『単独行動適性』
『対象:神崎への対応成功率』
『連携適性』
淡々と文字が並ぶ
『最適です』
その瞬間。
レナがじとっとこちらを見ていた
「……」
シンが目を逸らす
グリスが吹き出した
「ははっ! また一人で考え込んでんのか?」
「癖なんだよ」
半分本当だった
マリーが少し不安そうに言う
「でも、また危ないことに巻き込まれるかもよ?」
シンの頭に、
神崎の黒い靄がよぎる
『可能性:高』
(だろうな……)
だからこそ、止まれない
レナが立ち上がった
椅子が小さく鳴る
「じゃ、私も行く」
シンが目を瞬かせる
「いや、決断早くない?」
「退屈してたし」
レナが肩をすくめる
それから少しだけ真面目な目になる
「あと」
「放っとくと、そのうち死にそう」
シンが苦笑した
「否定できねぇ……」
グリスが立ち上がる
「ま、困ったら戻ってこい」
ダンも頷いた
「ああ」
マリーが笑って手を振る
「またね!」
短い沈黙
でも、不思議と嫌じゃなかった
転移したばかりの頃は、
生き残るだけで精一杯だった
森を走って。
怯えて。
必死で戦って。
それでも今は違う
仲間ができた
戦えた
繋がれた
その上で――
次へ進む
シンが立ち上がる
「……行ってくる」
グリスがニヤッと笑う
「死ぬなよ」
「そっちもな」
ギルドの扉が開く
朝の光が差し込んだ
外の空気は少し冷たい
街道へ出る
背後では、まだギルドの騒がしい声が聞こえていた
レナが隣を歩く
しばらく無言だった
風だけが吹く
その後で。
レナがぽつりと聞いた
「で」
シンが視線を向ける
「チャッピー」
赤い瞳がこちらを見る
「何て言ったの?」
シンは少しだけ笑った
「……お前と行けってさ」
レナが少しだけ目を細める
「へぇ」
短い返事
でも、どこか嫌そうではなかった
二人の影が、
朝焼けの街道をゆっくり伸びていく
風が吹く
森の匂いがまだ少し残っていた
『移動を開始します』
脳の奥で、
チャッピーの声が響く




