8. カオスティック・パーリナイ_後半
エンは、ジウと共に通路の角で先の様子を伺っていた。ジウが非常階段に通じる扉の鍵を持ち出しており、それを使って外に出る予定だ。
「……行くぞ」
ジウの先導で、エンは誰も居ない通路を進んでいく。難なく非常階段の前までやって来たとき、ディーの気配が視界の隅を掠めたが、エンは気が付かぬ振りをして扉を開け――。
『伏せろ!!』
反射的に伏せたエンとジウの上を、何かが通過した。
現代には本来、存在しない生物――エウディモルフォドンだ。立て続けに甲高い鳴き声や羽音が続き、数頭のエウディモルフォドンが飛んでいく。
階下から何事かと現れた構成員の声や足音が混じり、混沌めいた狂騒の火蓋が切られた。
連射音。マフィアの構成員が自動小銃による掃射を行い、エウディモルフォドンが悲鳴のような叫びをあげた。興奮状態で躍り出たエウディモルフォドンの尾の先端が、フルタングナイフで切り払おうとした構成員へ直撃する。
尾の先が当たった瞬間、構成員は弾かれたように手足を反り返らせ、声もなく倒れ伏した。数度の痙攣のあと、目を見開いたまま動かなくなった仲間を前に、恐怖と発奮に近い怒気が構成員たちに広がっていく。
逃げ出す者、仲間の仇を討たんとする者、安全な場所を求める翼竜、がむしゃらに外敵を排除しようとする翼竜。さながら、パニック映画のワンシーンであった。
「ジウ、行こう」
訳の分からない状況に呆けたエンだったが、すぐさま我に返り、ジウへ耳打ちした。同じように呆然としていたジウだったが、エンの言葉に頷いて立ち上がる。
外付けの非常階段を降りようとして、背後から響いた声にジウの足が止まった。
マフィアの悲鳴。
助けを求めるその声は、エンにも聞き覚えがある――ジウを兄貴分と慕っていた舎弟のものだ。
「…………」
ジウは振り返らなかった。沈黙のまま再び歩を進め、エンもその後ろをついていく。非常階段の電灯は暗く、降りる先には黒く塗りつぶされた闇が広がっていた。
◇◇◇
「ディー!エンの現在地は?」
工場の周辺を哨戒していた構成員を締め上げながら、セキナが問いかける。その脇ではニグモイが周囲を警戒しつつ、気絶した構成員をダクトテープで拘束していた。
『エンは非常階段を使って外に出た。まだ数頭のエウディモルフォドンが工場の屋上に居る。上にも気を付けてくれ』
ディーの忠告に、ニグモイが苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「気を付けるつってもなぁ……実際にぶち当たったらどうする、セキナ?」
「ん……放電はそんなに連発できるものじゃないはずだから、何か投げつけて空打ちさせるとか、翼膜を銃で撃って落とすとか……かな。基本は逃げるけど……」
「やっぱ基本は逃げか……そうだよな……」
空飛ぶ高圧電流など、関わらないに越したことは無い。セキナが車から飛び出して工場に向かうので、ニグモイもなし崩し的に着いてきたが、わざと捕まったような奴のためにそこまでしなくとも……という思いがある。
エンが捕まったことに対し、最初はわざと“かもしれない”と可能性に留めていたニグモイだったが、考えれば考えるほどそれ以外の理由が思いつかず、今は確信となっていた。
(まあ、再生動物はエンも想定外だろうけどさ……でも、自分から危険に突っ込んでった事に変わりはねぇし。その尻拭いに命張るにほど、お人好しじゃねえんだけど……)
チラリと横目でセキナを見れば、その表情は真剣そのものだ。慈善の精神がどうなどとエンにからかわれたが、よほどセキナの方が情に厚い。
(てか、こういうとき真っ先に文句言うのは、ディーだろ……)
普段であれば、エンがマフィアに喧嘩を売ったと聞いた時点で、助ける必要の是非を問うていそうなものだ。しかし、ディーはセキナのサポートに徹しており、お小言を言う気配すらない。
「なあ、ディーは……」
閃光。突如ニグモイの声を遮って、爆発音が響き渡る。地に轟く衝撃を感じながら、セキナが覆い被さる形でニグモイは庇われていた。
「な、ちょ、セキナ……!?」
「ん……よかった。工場が爆発したみたいだけど、破片は飛んできてないね」
声が近い。
セキナから抜け出したニグモイが言葉につられて工場を見ると、2階の窓ガラスが砕け、そこから白い煙が昇っていた。
「ディー、エンは巻き込まれてない?」
『……ああ、怪我は無さそうだが、まずいな。マフィアが外に出て非常階段に向かってる。おそらく逃げたことがバレてるぞ』
「武装と人数は?」
『アサルトライフルとハンドガンにサバイバルナイフ、人数は10人前後だが、4……5人くらいで二手に分かれてる』
工場を囲う塀に背を預けていたセキナが立ち上がろうとして、ニグモイに腕を掴まれた。
「いや待てって、無謀だろ!?その辺のチンピラとは訳が違うんだぞ。そこまで命かける義理あるか?」
セキナが口元を引き結ぶ。
ニグモイだって、同じだ。どうして私を助けるの。
感情のままに口を開きかけて、セキナは黙った。ニグモイの善意に付け入るなら、神経を逆撫でするようなことを言うべきでない。
「……命懸けじゃ、ないよ。弾丸の軌道を読んで避ける相手を想定して、銃を使う人はいないから。私にとっては、命懸けじゃない」
セキナはニグモイに語りかけながら、ふと、ひとつの可能性に気が付いた。
もしかしたら、ニグモイは自分が戦おうとしている相手がどんなものなのか、分かっていないのかもしれない、と。
「ニグモイは、それを想定してね」
セキナは、自分とニグモイの間に立てた人差し指を、自身に向けた。
想定すべき“それ”は、今から自分がやる。そう暗に示した。
セキナが立ち上がるのを、ニグモイは止めなかった。しかし、ニグモイの表情は変わらず、セキナの身を案じている。
命懸けで手伝いはしないが、心配してくれる。それくらいの優しさが、セキナにとっては1番心地よかった。自然とセキナの顔がほころぶ。
「じゃあ、いってきます」
セキナは工場に向かって走り出した。
腰のホルスターからセキナは自動拳銃を抜き、走りながら銃口を工場の角に向けて引き金を引く。彼我の距離は100メートル弱、弾丸は工場の角から現れた構成員の脚に2発打ち込まれた。
(新手が来る前に終わらせる)
発砲音は辺りに響いており、いつ増援が来てもおかしくはない。セキナは自動拳銃に安全装置を掛けてホルスターに戻すと、全力疾走で駆けだした。
セキナに気が付いたマフィアは、自動小銃で制圧射撃を始める。セキナは直線移動を止め、身体の向きを変えながら、弾幕の隙間を縫うようにステップや転回を交えて接近していく。
「なんでッ、止まらねぇんだよぉおお!!」
冷静さを失った構成員の叫びが上がる。自動射撃の反動で銃口は上を向き、セキナは弾の来ない下段に滑り込んで距離を詰めた。構成員の目の前で、セキナの平手が振るわれる。
鞭のようにしなる指が、構成員の顎を打った。ふらつく構成員の腹を蹴り、セキナは自動小銃を奪って安全装置を掛けながら、その銃床で隣にいた構成員を殴る。間髪を入れず、後ろに控えていた構成員が2人同時にナイフで仕掛けてきた。
(右が陽動、左が回り込んで背後を取る……)
セキナは陽動に乗って、右側の構成員と相対する。そして、背後に回り込んできた構成員がナイフを振るうのに合わせて、セキナは構成員の腕を絡め取り、腰を落として前に踏み込んだ。バランスを崩した構成員は前のめりに回転し、陽動を仕掛けた構成員に向けて投げ飛ばされる。避けきれずに構成員同士が激突し、そのまま下敷きになる形で地面へ叩きつけられた。
「そのまましばらく寝てて」
脚を打たれた構成員は逃げ出していた。その姿を見たセキナは、踵を返して非常階段を目指す。その途中、数100メートル先で自動小銃の銃声が響いた。
(もう交戦してる。早く加勢しないと)
セキナが非常階段の近くに辿り着くと、エンは階段の踊り場で自動拳銃を片手に応戦していた。セキナが突貫しようとした時、工場の屋上から勢いよく何かが降りてくる。
「エウディモルフォドン……!」
それだけではない――工場の2階から伸びる煙を突っ切り、エウディモルフォドンより速く、古びたタンクのようなものが落ちた。タンクは轟音と共に地面へ衝突し、辺りには煙幕のような白い煙が広がる。
いや、あれは煙ではない――。
「エン!飛び降りて!爆発する!!」
セキナは咄嗟に叫んだ。
あれは粉塵だ。可燃性のものであれば、銃でもエウディモルフォドンの尾でも、場合によっては静電気でも――火花が散った途端に粉塵爆発を起こす。
エンからの返答はなく、白い粉塵の中で赤い燃焼が広がった。
ボンッ、と爆ぜる音がしたかと思うと、更に舞い上がった粉塵が範囲を広げて燃え盛り、辺りは火の海と化した。
咄嗟に工場の影へ隠れたセキナは、背後の惨状が見えていない。しかし、じりじりと肌を焼く熱と耳を塞ぎたくなるような悲鳴だけで、どんな有様かは想像がついた。
「エン…………」
粉塵が収まるまでは、迂闊に近づけない。むしろ一般論でいえば、セキナは早々にこの場を立ち去るべきだ。工場内の薬物に引火すれば、大規模な2次災害に発展しうる。
(2次災害が起きないのは、“分かる”。でも、エンは――……)
工場の外壁を見上げていたセキナが、はたと臨戦態勢を取る。人の気配だった。マフィアの新手を警戒して、セキナは音もなく数歩下がる。
「あ……セキナちゃん、見ーつけた」
セキナの目の前に現れたのは、エンだった。
へらり、と笑っているが、声は掠れ、皮膚は火傷で赤くなっている。衣服は所々が焦げたり、変色したりと酷い有様だが、命に別状はないとセキナには分かった。
「ふ、なんで来ちゃったかな。君は無茶しないタイプだと思ってたのに……って、何、ニグモイ君まで来てるの」
エンが指さす先には、自動運転車とそれに乗ったニグモイが居た。それを見たセキナは頷いたが、改めてエンの方を向く。セキナは眉間に眉を寄せ、唇を引き結んでいた。
「心配したよ。私だって、エンは無茶しないと思ってたのに。こんな……痛そう……」
セキナの震える声にエンは目を丸くしたが、何か思い出すような遠い目をしてから、小さく「ごめんね」と呟いた。セキナの頭を撫でようとしたが、自分の手の平を見ると、黙ってその手をおろす。
(そもそも誰も気が付かないと思ったんだけど……。死に損なっちゃったなぁ)
エンの耳から目元までの火傷が浅い箇所は、他人に庇われなければ覆うことができない範囲だった。しかし、ここへやって来たのはエンひとりだ。
「エン、早く治療しよう。もう少し歩けそう?」
セキナの言葉に、エンは頷く。
背後を振り返ることはしなかった。阿鼻叫喚の中、等しく何もかもが燃えてく。
燃え尽きるまで、炎が消えることは無かった。




