3. 出会いの回想
ニグモイとセキナの出会いは、今から約一か月前までさかのぼる。
その日、ニグモイは医薬品の仕入れで、貧民窟の外に来ていた。公立病院からの横流し品で、人目があるうちは取引ができないと遅い時間を指定されたからだ。
(ま、こっちとしても深夜の方が助かるけどな。今日は特に物が多かったし、帰り途中で誰かに見咎められんのも面倒だ)
ニグモイは親の顔を知らない貧民窟育ちだ。それゆえに治安の悪い場所で起こりうるトラブルには目端が利く。
明るい通りを避け、ニグモイは最近見つけた洞道に入り込む。私営のケーブル洞道だったが、放棄されて長く、取り壊されることもなく放置されている。
ニグモイが足元を懐中電灯で照らしながら歩いていると、赤い点のような染みを地面に見つけ、立ち止まった。
(……これ、血痕か?クソ、誰か居るとしたら面倒だな……)
傷を負って人目のない場所を歩いている人間など、確実に堅気ではない。即座に懐中電灯を消し、周囲の気配を探る。
(……誰かが近づいてくる感じはねぇし、ここまでは一本道だ。……戻るか)
ニグモイが引き返そうとした瞬間、洞道に備え付けられた明かりが一斉に点灯した。
「っ……!?」
明るさに目を眩ませながらも、ニグモイは腰を落として臨戦態勢を取る。そして、素早く視線を巡らせると、明かりに照らされた血痕が続く先、うずくまる人影を見つけた。
「……しに、がみ……?」
小さな呟きは、弱々しい。うずくまっていたのは、ニグモイと同じぐらいの年頃か、それよりも幼い少女だった。
これが、セキナとの出会いだ。
セキナは、肩から腰にかけて大きく背中を切られていた。血を流して肌は青白く、浅い呼吸を繰り返している。放っておけば、死に至るのは明白だった。
(今の手持ちなら、応急処置はできる……)
ニグモイの手元には、病院からの横流し品がある。しかし、貧民窟の人間にとって、医薬品は貴重だ。同じ貧民窟の仲間ならいざ知らず、目の前に居るのは見知らぬ他人。そのうえ、急に電灯が点き――誰に見られているとも分からない、異様な状況にさらされている。
しかし、ニグモイは、非情になれなかった。
「だぁークソッ!死神にならねぇよう努力してやるから、何とか生き延びろよ……!」
ニグモイは手早く荷物から医薬品を取り出し、止血に取り掛かる。衛生的とは言い難い場所だったが、運ぶ猶予はない。血を流せばそれだけ死に近づく。
止血のために圧迫している時間が、もどかしかった。なにしろ、身の回りの安全すら怪しい状況だ。
「……なあ。急に明かりが点いたけど、あんたが何かしたのか?」
「…………でぃ、い…………」
ショック状態が進んでいるせいか、ニグモイの問いかけに意味のある答えは返ってこなかった。予想はしていたので、さほど落胆はない。先ほど取り出したラップフィルムとワセリンの位置を確認しようとニグモイが顔を上げたとき、真上から声を掛けられた。
『明かりは俺が点けた。セキナ――その子の味方だ。害意はない』
声は、埃をかぶったスピーカーから流れていた。予想の範疇を超えた事態にニグモイは固まったが、声は気にした素振りもなく言葉を続ける。
『必要な薬や施設はあるか?』
ディーとの出会いも、このときだった。
ニグモイは、回らぬ頭でどう立ち回るのが正解か悩んだが、ひとまずは素直に答えた。
「……感染症の予防薬と抗菌薬が無い。あと、輸血用の血液製剤も欲しいし――」
「いらない」
ぴしゃりとセキナがニグモイの言葉を遮る。身じろぎをして、体を起こそうとするセキナにニグモイは慌てた。
「なっ!?バカ、動くなって!!傷口が……!」
セキナが身体を捻ってニグモイの腕から抜け出し、起き上がった拍子に止血用のガーゼが外れた。その背中に、傷は無い。
「は?傷――って、うぉっ!?」
セキナの掌底がニグモイの顎をすり抜ける。続けて足払い、踵による突き――流れるように打ち出される攻撃を、ニグモイは寸でのところで捌いていく。セキナの一挙一動は確実に急所を狙っており、少しでも目測を誤ればニグモイは昏倒するだろう。
不意打ちによるニグモイの動揺が落ち着いてきた頃合い、それを見抜いたかのようにセキナは距離を取った。
「…………」
沈黙のまま、セキナは少し困った顔をした。困り顔をしたいのは、応急処置をしていたにも関わらず襲われたニグモイの方だ。
「ここで見たこと、忘れてもらわないと……困る。ちょっと、気絶してほしいだけだから……」
(いや、そう言われて頷く奴はいねぇだろ……)
心の内でツッコミを入れながらも、ニグモイは半身の構えを解いた。気絶してやるつもりは無いが、殺意を感じない。交渉の余地があるならば、まずは話し合いの意思を見せる必要があると判断した。
「勘弁してくれ、俺はあんたをどうこうしようって気はない。見なかったことにした方が長生きできる事があんのも、分かってる」
セキナはすぐにでも飛び出せる態勢のまま、黙ってニグモイの言葉を聞いていた。……単に隙を伺っているだけかもしれないが。
どう転ぶか分からない緊張感の中、救いの手は思わぬところから差し出された。
『セキナ、もう話した方が早い。理由が分かれば、彼も応じるだろう』
ディーの言葉に一拍の間を置いて、セキナが頷いた。
「……そうだね」
セキナも構えを解き、ニグモイに向き直る。しかし、糸を張りつめたような隙の無さがあり、ニグモイの緊張は続いた。
「私は、生まれつき普通じゃない」
どう普通でないのか、ニグモイが尋ねるよりも前に、セキナが動いた。屈んで、地面についた血痕を指でなぞる。すると、積もった埃はそのままに、血だけが跡形もなく消えていた。
「な……」
ニグモイは、呆然と血が消えた地面を見つめる。セキナは目を伏せて、静かな声で続けた。
「……どうしてこんな事が出来るのか、理由は分からない。確かなのは、命が狙われていることだけ」
セキナは血に濡れたガーゼを拾いあげ、ニグモイの瞳を見据える。
「私と関わった痕跡を消せば、巻き込まれずに済む。だから、ここで大人しく記憶を消されてほしい。……その方が、長生きできる」
途方もない話に、ニグモイはまだ当惑していた。嘘みたいな話だが、目の前で起きていることが何よりの証明だった。
「……ひとつ、聞きたいんだけど」
「何?」
「記憶なんか消して、後遺症とかねぇだろうな」
「……ふふ。うん、大丈夫。この言葉だけじゃ、証明にはならないだろうけど」
何が可笑しかったのか、気の抜けたような笑いだった。表情があまり変わらないせいか、その顔が妙に可愛く思えて――しかし、すぐに元の無表情に戻ってしまった。
「じゃあ、目を閉じて。記憶を消すから」
セキナの手が、ニグモイに向けて伸ばされる。
このまま目を閉じれば、いつもの日常に戻るのだろう。目の前の少女は、ニグモイが手を貸さずとも――独りで、生きていけるような気がした。
「あんたさ、誰か傍に居た方がいいんじゃねえの」
ふいに言葉が口を衝いて出た。目を瞬かせたのは、言葉を発した張本人のニグモイだった。
(いや、誰かって誰だよ……)
なぜそんなことを口走ったのか、自分でも分からなかった。
(つーか、本人がそれで良いなら余計な口出しだろ……)
ニグモイは自分の言葉に呆れながら、セキナの反応を伺う。その顔には動揺も驚きもなかったが、ニグモイの頬に向けて伸ばしていた手が止まっていた。
たったそれだけの出来事が、とても重大なことに思えた。
一歩、ニグモイは後ろに下がる。
「……やめとく。記憶は、消さないでくれ」
「どうして」
ニグモイはその疑問に答える言葉を持ち合わせていなかった。同情と呼ぶには哀れみがなく、助けると言うには手に余る。自分の中に湧いた感情だというのに、正しく言葉で言い表せない。
しかし、そうしたいと、心は決まっていた。
「あんたのことを、手伝うと決めた。理由は、……。半端に助けて見捨てるような真似すんのは、俺の信条に反するんだ」
ニグモイはそう言いながらも、それが決断の理由ではないことを分かっていた。信条があるのも嘘ではないが、あそこでセキナと別れても見捨てたように思うほど、セキナのことを庇護が必要な存在だとは思っていない。
セキナはじっと、ニグモイを見つめてから呟いた。
「……その信条、ずっと実践してきたんだ。今まで、よく生きてこれたね」
セキナの言葉に、ニグモイは肩をすくめる。この信条に対して、お人よしだの甘ちゃんだの、好き勝手言われてきた。それでも、自分を捨てた顔も知らない親のような生き方はしたくない――そういう意地だ。
「よく言われる。ま、喧嘩だけは負け知らずなんでね」
「確かに」
やけに深い納得をもって頷かれた。この手の話をすると、大抵は疑われるか鼻で笑われるかの二択だったので、なんとも新鮮な反応だった。
「うん。確かに、強い。確かに……」
セキナがブツブツと呟きながら、考え込む。ニグモイがどうかしたのかと尋ねようとした時、セキナは顔を上げた。
「手伝ってくれるなら、一緒に探してほしい。私にこんな能力がある理由……命が狙われる原因を、知りたい」
ニグモイは提案に驚いていた。リスク扱いされて断られる妙な既視感があったからだ。しかし、その既視感に信を置くほうがおかしな話である。
セキナの言葉に頷き、ニグモイは片手を差し出して信頼の意思を示した。
「ああ。これから、よろしくな」
「ん、よろしく」
こうして、ニグモイとセキナは仕事仲間として組むようになった。
洞道は秘密基地みたいでわくわくするし、シールドマシンはロマンなのでぜひ調べてみてください。え、値段?さぁ……?




