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13. 透明な縁

それを縁(よすが)として縋るには、あまりに細く消え入りそうだった。


 満月の夜、訳も分からず泣いていた。汗をかいて、疲れて、もっと不快になる。

 ふと、身体に触れられた感触に気が付いた。どうやら、寝ていたであろう両親を泣き声で起こしてしまったらしい。


「オムツじゃないなぁ。ミルクはさっき飲んだばかりだし……ああ、リナ、僕があやすから。寝ていて」


 赤子の頃の記憶は、景色が何もかもぼやけている。音と匂いと、自分に触れる手の感触――それらの方が鮮明だ。


「ありがとう。……はい、首のところ気を付けてね、ルイス」


 離れがたい、甘い母の香りをねだって、火が付いたように泣いた。今思うと申し訳ない。当時は、まだ自分の感情というものを認識すらできていなかった。


「はぁ~、これ毎度辛いな。お父さんのことも好きになってくれよー、セキナ」


 クスクスと笑う母の声と揺れる自分の身体。暗闇の中で、ふと白くやわらかな光が瞼をかすめた。


「ほーら、セキナ。月だよ、きれいだろう?今夜は満月だ」


 白くて丸い、ぼんやりとした明かり。光に反応して泣き止む私に気が付いてか、父はこうして月を見せてあやすことが多かった。そんなことがあったからだろうか。私は月が好きなのだと、両親はそう思っていたらしい。


「セキナ、寂しくなったら月を見上げてね。太陽が月を照らしているように、お父さんもお母さんも、ずっとセキナを想っているから……」


 特別、月が好きという訳ではない。けれど、この言葉は、今も深く私の中に残り続けている。


◇◇◇


 エン以外、誰も居ない病室。窓の外は薄明の空が広がり、まばゆい朝陽(あさひ)が1日の始まりを告げていた。そこに低い声が響く。


『エン、セキナの情報を教える』


 何も無いところから響く声に、エンは驚いた様子も見せず、鷹揚(おうよう)に頷いた。


「あれから話が出来なかったもんねぇ、ディー。こんな状態で起き上がれなくって、ごめんね」


 エンは全身に火傷を負い、介助無しに起き上がることもままならない――という体(てい)だ。既に火傷はユードによって治され、見た目だけのものとなっている。


(ま、逆にこの2日間接触してこなかった理由は気になるけど……)


 寺院の用心棒に着いていったとしても、多少の時間はあったはずだ。どう探りを入れたものかと思考を巡らすエンだったが、ディーが次に発した言葉で理由は分かった。


『しかし、まずは質問に答えてもらおう。……インプランターとは何だ』


 ディーの言葉を聞いた瞬間、ぞわりとエンに鳥肌が立つ。やはりこの男はジョーカーだと。


「君なら辿りつけるとは思っていたけど、予想以上の早さだったなぁ。すごいよ、うん。……さて、約束だからね。答えよう」


 エンは喋りながら、“網”の様子を伺う。“網”に光が通うことなく、静かな様子を見てエンは再び口を開いた。


「インプランターとは、アニマを管理するAGI――人工知能だよ」


 AGI、人間と同等あるいはそれ以上の知識や能力を持ち、独自の学習や問題解決の能力を持つ人工知能。ユードや――おそらくセキナも、人間の振る舞いこそすれど、アニマは持たない。


『それは、全員……人間では、無いんだな』


「うん、そうだね。――でも、どうだろう。今や人間の意識はアニマという形でデータ化され、肉の器でなく、量子回路上で生体信号を再現している」


 そして、それはこの仮想空間内に限った話ではない。エンは、腹の底から湧き上がる憎悪を自覚しながら、笑みを深めた。


「それは、模擬人格で人間性を再現したインプランターと何の違いがあるのかな」


 ディーの回答に興味があったエンは待ったが、長い沈黙にしびれを切らして再び口を開く。


「ま、違いにお答えするならば、AGIの方が圧倒的に処理能力が高い。そして、作成者が指定した仕様に沿って活動する。あとは、模擬人格を再現しているに過ぎないという自意識がある……そんなところかな」


『模擬人格とは、何だ?』


 ディーがどこか剣呑(けんのん)とした雰囲気を醸(かも)していることにエンは気が付いたが、説明役に徹した。


「字の通り、実在する人間の人格をシミュレーションする骨組み(アーキテクチャ)だよ。もちろん、違法。自我同一性を壊す行為だからね。アニマのコピーに並ぶ重罪だ」


『……待て。インプランターは模擬人格を再現していると言ったが……』


 エンの言うことが真実ならば、インプランターは違法な存在ということになる。ディーが推測する限り、エンは外――“現実”側の人間だ。それを見過ごしているならば、どんな意図があるのか。


「うん。ただ、インプランターの模擬人格は旧人類――つまり、アニマ化されていないはずの人間なんだよねぇ……。だから、その模擬人格が実在する人間の人格と同等か証明することができない。法の抜け穴ってやつだ」


『法の抜け穴って……そういう問題じゃないだろう。今の人権意識はどうなってんだ……』


 自分とよく似た存在が生み出されていることに変わりない。自我同一性を脅かさないことを法の根拠とするならば、証明できないというだけで法の適用外とするのは横暴だろう。


 ディーの呟きに対し、エンは感情の読めない笑顔を浮かべた。


「いやあ、存在しないものには適用できないでしょ」


『……は?』


「旧人類は、2120年頃に絶滅したらしいからね。旧人類向けの法律は廃止されて、いま運用されているのは、アニマ化された新人類向けの法律だけだよ」


 ディーは、自身の足元が崩れていくような感覚に襲われる。

 絶滅。つまり、それは――。


『汐那(せきな)は、もう、死んでいるのか……?』


 確証は無かったというのに、予想以上にセキナと汐那(せきな)を重ね合わせていたのか――愕然としながら、ディーは自身の浅ましさに気が付き、自嘲(じちょう)した。


 ただ、重ね合わせていただけではない。


 齢(よわい)14という若さで死んでしまった汐那(せきな)。その代わりに、セキナを助けることで――自責の念から逃れたかった。セキナのためではない。無力な自分をやり直すために、利用したかったのだ。


「……どうだろう。私が知っているインプランターが旧人類ってだけだよ。セキナも同じかは、調べてみないと分からない」


 エンの視線が、窓の外からディーへと移る。


「知りたい?」


 凪いだ湖面のような瞳は、ディーの感情を探るようであり、真実を知る覚悟を問うているようでもあった。


『……調べるには、この仮想環境から現実に戻る必要があるんだろう。アニマ保護の仕事とやらは、放っておいていいのか?』


 話を逸らしたディーを追及せず、エンはいつもの薄笑いに戻った。


「フフ、何でもお見通しって訳だ。うん。ディーの言う通り、ニグモイ君のアニマをここから引っ張り出さないといけない」


 ディーの推理は合っていたらしい。保安統制局という組織は、この仮想空間に存在しなかった。ならば、それは外――現実にある組織で、エンはそこに所属している。


「私がそのお仕事をするには、セキナの情報が欲しいんだ。だから、情報を教えてくれるのは大歓迎」


『そうか』


 ディーの脳裏に、汐那(せきな)とセキナの顔が順番に浮かぶ。汐那(せきな)は年相応に屈託のない笑顔を見せたが、セキナが同じ表情をしたことは無かった。


 これは本当に正しいやり方か?これ以外にどんなやりようがある?


 浮かんでは消える心中の言葉を呑みこみ、ディーは口を開いた。


『セキナは……今夜、22区の第3湾岸換気塔に来る』


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