12. 月下の怪物
セキナが、はたと白い石門を見つめる。
――略奪者が寺院を襲ったのは、日没から間もない頃だった。
「来た。数が多い……東の通用門が8対2で押し負けるかも、行こうニグモイ」
「ああ」
セキナの言葉に、ニグモイが相槌を打つ。中庭から抜けたところで、振り鐘による合図が鳴り響いた。東の通用門までは、まだ距離がある。
(まだ突破はされてないけど、いつまで持つか……)
悪い予感は的中した。セキナたちが東の通用門に辿り着いたときには、すでに警護側の人間が1人地面に倒れ伏していた。
「チッ、1人やられてる……!救護に行くから、セキナはカバーを頼む!」
ニグモイの言葉に頷きながら、セキナはざっと辺りを見渡した。
倒れているのは、警護側だけではない。略奪者も数が減っており、5対1の状態で奮戦している。1人で応戦するのは、タジーラだ。石壁のある狭い道を使ってうまく捌いているが、自身の後ろで倒れた人物を庇ってか、反撃の精彩に欠けた。
ニグモイが倒れた人物に駆け寄るのを見て、鉤縄で石壁を登る男が笑った。
「はっ!ガキが、いい的だぜ!!」
仲間が近いタジーラより、射線の通ったセキナやニグモイの方が狙いやすい。棒状の鉄塊が男の手から放たれた。
(思考の圧縮、放物運動の計算、予備動作による行動パターンの推測……数が多い)
セキナの能力は、無制限に使えるものでない。やむなくこの場にいる全員にセキナへの認識をずらしを止め、他の計算に充てた。
1秒にも満たない速度で全ての計算を終えたセキナは、回し蹴りで放たれた暗器を叩き落とす。間髪入れず、セキナは三角飛びの要領で石壁を駆け登ると、男を支える鍵縄の爪を蹴り飛ばした。
宙へ放り出された男は足から地面に落ち、鈍い落下音と共に苦悶の声を上げる。略奪者たちの視線が、石壁の上に立つセキナへ集まった。
白く長い髪が、風に吹かれて大きく広がる。
月に照らされたセキナが、無機質な瞳で略奪者たちを見下ろす。人間離れした身のこなしと暗闇は、略奪者たちの恐怖を掻き立てるに十分だった。
「ば、化け物っ……!」
恐怖から寺院の外に向かって逃げ出した1人に、セキナが飛び掛かる。狭い通路の1本道、略奪者たちの退路は塞がれた。
(注目が集まったなら、丁度いい。全員やれば、ニグモイには手を出されない)
カバーの域を超えているが、本来の目的を達成できれば、それでいい。
数は多いが、恐れで身を竦ませた相手など、何人居たところでセキナの敵ではなかった。追い詰められ、直線的な動きで襲い掛かる略奪者たちをいなし、鳩尾に踵や拳を叩きこんでいく。
1人、2人、と略奪者は地面に倒れていき、最後の1人を下し終えたセキナは、呆然とするタジーラに声を掛けた。
「……タジーラ、怪我は無い?……んと、ですか?」
敬語に慣れないながらも、セキナはそれが敬意の示し方だと知っている。タジーラに尊敬の念を抱いていると、それが伝わって欲しいと思った。
ひゅっ、と息を呑む音がセキナの耳に入る。
「ぁ、ああ、大丈夫だよ、ありがとう……」
その瞳に映るのは、やはり恐怖の色だ。お前は、我々とは違う。異質で、異端で、理解できぬもの。
(あ……)
境界線が引かれ、分かたれた。セキナはそれを瞬時に理解すると、表情を崩すことなく頷く。そして、タジーラの視界から外れるように応急処置を続けるニグモイの方へ向かった。
「ごめん、ニグモイ。1人骨折させたかも……」
「分かった、そっちも見るわ。タジーラさん、この人を寺院まで運んでもらえますか!」
ニグモイの声でタジーラは我に返ると、負傷者を抱えるべく駆けだした。
「ありがとう、本当に助かった」
タジーラが負傷者を背負い、セキナに向かって一礼する。その顔に罪悪感が滲むのは、助けられたにもかかわらず恐れたから――セキナは、同じような顔をこれまで何度も見てきた。
セキナは小さく頷き返し、立ち去るタジーラを見送る。
――あんたさ、誰か傍に居た方がいいんじゃねえの。
いつかの言葉が、セキナの脳裏によみがえった。何も知らない、やさしい言葉。
(私の傍に居てくれる人なんて、一握りなんだよ。ニグモイ)
ニグモイ、強くて勇敢で優しい人。例え自分に危害を加えてくるような相手でも、命を奪ったり、長く後遺症が残るような怪我は負わせたくない人。……1か月一緒に居ただけに過ぎない相手のために、命懸けで戦おうとしてくれる人。
セキナは、空を仰いだ。暗闇に浮かぶ月は、静かにセキナを見下ろしている。
◇◇◇
翌日の夜は、静かだった。先日の襲撃で主だった略奪者を撃退できたのか、警鐘が鳴ることなく夜が更けていく。
「タジーラさん」
セキナは、単身で見回りをするタジーラを見つけ、声を掛ける。
「ああ……セキナ。君は、強いけれど……それでも、1人で夜出回るのは危ないよ」
タジーラは困ったように笑った。初対面の時とは異なる、緊張感をわずかに滲ませながら。
セキナは、その緊張に反応することなく、いつものように淡々と言葉を続けた。
「明日にはこの仕事も終わるので、最後に訊きたいことがあるんです」
優しくて、虐げられた者に手を差し伸べてくれる、立派な大人。そして、セキナを恐れるほどには、普通の人。
「タジーラさんは、1番大切なもののために、2番目に大切なものを見捨てられますか?」
普通で、立派な人なら、正しい答えを知っているだろうか。普通でない私には、出せない――真っ当な答えを。
タジーラは、セキナの質問に驚いたようだった。しかし、呆れた顔も奇妙なものを見る目も向けることはなく、真剣な表情で考え込む。
「そうだな……。俺にとって1番大切なのは、この寺院なんだ。俺は、ここで育ったからね」
この寺院は、孤児院の役割もあるらしい。タジーラの言葉を裏付けるように、用心棒ではない子供の姿を、セキナは何度か見かけていた。おそらくタジーラも、そうして育ったのだろう。
「寺院の外で、仲良くなった子が居て……そういう子を2番目とするなら、俺は寺院に来るよう誘うんだ。そうすれば、見捨てずに済むからね」
セキナは、当惑した顔でタジーラを見つめた。質問の答えになっていない、というのはタジーラも分かっているのだろう。穏やかな笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「俺はね、1番大切なものと、2番目に大切なもので、扱い方を無理に変える必要はないと思うんだ。みんなひっくるめて大事にしようと、欲張っていいんじゃないかな……そういう道を、死に物狂いで探すんだ」
それが叶うなら、世界はもっと穏やかな幸福に満ちているだろう。セキナは思わず、綺麗事だという反感が湧き上がった。
「……現実は、そんなに甘くないです」
タジーラは、セキナの言葉に相槌を打つ。
「現実には限りがあるからね。ただ、君みたいな子は、たぶん……1番大切なもののために、2番目に大切なものを見捨てられる――いざという時、迷わず選べる」
タジーラの太鼓判に、セキナは弾かれたように顔を上げた。視線が交差する。
「今はまだ、いざという時じゃないから、迷っている。なら、欲張ればいいじゃないか。そのやり方を探す時間は、まだあるんだろう?」
セキナは無言のまま、タジーラの言葉に頷く。そして――セキナの放った足払いを、タジーラの持つ棒が弾いた。
乾いた音が響き、場の空気は一変した。互いに間合いを取って対峙する。
昨夜の襲撃では、ニグモイの安全を第一にして、セキナへの認識をずらす対処をしていなかった。略奪者たちの記憶は消したが、タジーラの記憶はまだ残っている。
「――私のことを、忘れてもらいます。その方が、あなたは大切なものを失わずに済む」
タジーラの返答を待たず、セキナは鋭く踏み込んだ。地面の砂利が飛び、タジーラの頬や目元をかすめていく。怯んだ隙に距離を詰めようとしたセキナに、短く持ち直した棒の跳ね上げが襲う。
(……掠った)
セキナは咄嗟に身を引きながら顔を横に向けたが、下顎を狙った棒の切っ先は耳朶をかすめた。タジーラは棒を手元で素早く回転させ、セキナに距離を詰められないよう威圧する。
やはり、銃より徒手空拳や近接武器の方が読みにくい。誰が使っても同じ威力や弾速のものと違い、個人差が大きく読みの精度が落ちる。しかし――。
「ニグモイの方が速い」
セキナは戦闘の読み合いを、計算能力だけに頼っている訳ではない。
呟きと共にセキナは助走をつけて、回転しながら飛び上がる。回し蹴りで放たれた足底がタジーラが回す棒を捉え、叩き落すようにへし折った。
流石というべきか、タジーラはすぐさま棒から手を放しており、手の骨にヒビが入るような事態は避けていた。
タジーラが崩された体勢から立ち直るより早く、セキナの掌がその額を鷲掴む。
「な、にを――……。………………」
意識を失ったタジーラの身体を支え、セキナは呟く。
「1番最初に、庇ってくれて嬉しかったです。こんなことして、ごめんなさい」
セキナは地面にタジーラを寝かせ、再びその額に手を当てた。セキナにまつわる記憶を消し、整合性のとれた記憶に改ざんする。
(化け物、か)
記憶を消した略奪者たちの言葉が、ふと蘇る。
その通りだと思った。
傷を負っても時間が経てば治り、体格に見合わぬ膂力を持つ。そして、あなたのためだと言いながら、自分の情報が漏れないよう保身のために記憶を奪っていく。
――そんな怪物は、消えてしまった方がずっと良いんじゃないんだろうか。
胸に冷水を流し込まれたように、冷たく苦しい。固く目を閉じて、セキナは暗澹たる思いを振り払った。
(……原因が分かれば、普通になれるかもしれない。何か妥協点が見つけられるかもしれない。まだ、諦めない。……諦めない)
セキナが1番大切なものを、危険に巻き込まないため。ずっと、一緒に居るため。
(おかあさん、おとうさん……)
8歳のとき、セキナは親元から離れた。自分の能力を知った誰かが、両親を人質に取る可能性があったからだ。それからずっと、孤児の振りをして、こんな能力を持つに至った原因を探し続けている。
セキナは、息を吐いて立ち上がった。
未来への恐怖。ただ情報が足りず、想定ができていないというだけに過ぎない。恐怖は将来の不利益を過大評価する。
(私は、そんなものに負けない。絶対に)




