<三十二>
長かったシィン編も終了です。
シィンが跳ばされた先は、自分の研究室だった。
その事実は自分の魔法が彼の影の足元にも及ばないことを示していた。
目の前の人間を、思い通りの場所に転移させる魔法の存在をシィンは知らない。
更にあれほど早く、そのような大魔法を発動させることもシィン、と言うより人間には不可能だった。
しかし。
眼の前には、今日の夕刻に魔法実験が成功した物が在った。
(これならば!)
それを掴むと、部屋から飛び出すシィン。
何故か、彼を見とがめる者も声を掛ける者もいなかった。
夜の街路を走る。
(アイシャを助け出す!)
その思いだけで走っていた。
人影が見られないことに、その時のシィンは気づくことはなかった。
その頃、街には静かな「死」が蔓延し始めていたのだが…。
どちらへ向かえば良いのか、それは「知識」として刻まれていた。
灯に吸い寄せられる羽虫のように、シィンは進んでいった。
辿り着いたのは、街外れの古びた屋敷。
長く住む人もなかった荒れ果てた屋敷である。
以前聞いた噂では、借金を苦に自殺した商人の家だったと、聞いた気もする。
迷わず、入り口の戸を開け放つシィン。
見ると埃の溜まった床に、複数の乱れた足跡があった。
それを追うシィン。
その跡は、地下へ降りる階段へとつながっていた。
その階段に足を踏み入れたことがシィンの運命を決定づけた。
後にシィンは後悔の念と共に思い起こすことがあった。
もし、あの時逃げ出していたら。
アイシャを見捨てた卑怯者になっていたら。
残りの人々を手に掛けることはなかったのかも知れないと。
しかし、その時のシィンに選択肢はなかった。
シィンはアイシャを命に代えても救いたかったし、彼の影達も、シィンにとってのそのような存在を選んでいたのだから。
そして予定調和の悲劇の幕が上がった。
階段を下りた処にはぼんやりした灯りが点いていた。
そこにいたのは二人。
影が一つとアイシャだった。
アイシャの喉元から流れるのは生命の証。
深紅の輝きをした液体だった。
それを舐め取るのは背後にいる影。
半ば恍惚とした表情をしたアイシャがシィンに気づくと、言葉にならない声を発した。 唇は短い言葉を作った。
(見・な・い・で。)
そこまで見たシィンは獣のような雄叫びを上げた。
「貴様ーっっっ!!!」
そうして、手に持っていた物を抜き放つ。
それは剣だった。
柄元から剣先まで漆黒の剣。
それは、この地方では珍しい片刃の剣だった。
緩やかな曲線を描く刃の部分だけが白々と輝いていた。
シィンの研究。
それは強力な呪器物を、呪いに囚われることなく利用することができるようにする、というものだった。
呪器物は呪われているが故に強力な効果を持つ物がある。ただし、それは使い手自身の破滅を意味するため通常は使われることがない。
しかし呪いの影響を受けなければ?
普通の魔道具よりも強い効果を持つ呪器物の利用価値は、計り知れない物になる。
今、シィンの手に在る剣は「魂喰」。
相手と己の魂を共に喰らう呪いの剣だった。
シィンはその制御に仮初めながら成功していたのである。
-その剣ならば…我を傷つけることができるかもしれんな。-
躍りかかろうとするシィン。
その前に立ちふさがったのはアイシャだった。
いつの間にか、その手には短剣が握られていた。
-だが、その娘を斃さねば我には届かん。-
そう言うと影が後ろに下がる。
アイシャが短剣を構えたまま、前に進んでくる。
-娘よ、その男を殺せ。-
アイシャの背後から影が命ずる。
「アイシャ、止めろ!止めてくれ!」
シィンの叫びに、嫌々をするように首を振りながら近づいてくるアイシャ。
その眼からは二筋の涙が流れていた。
アイシャに剣を振るえるはずもなく、追いつめられていくシィン。
そんなシィンに、アイシャが掠れた声で呼びかける。
「お…願い…、シ…ィ…ン。私…を殺…し…て。」
「できる筈がない!」
それを否定するシィン。
「で…ない…と、私、が…あな…たを…殺し…てしま…う。」
「違う!二人とも生きて帰るんだ!彼奴を倒して!」
「無…理、よ。もう…私は…、殆ど、人、じゃ…ないの。」
そう言うと短剣を自分の腕に突き立てるアイシャ。
突き刺した所からどす黒い血が流れ。
けれど短剣を抜くと同時にその傷は消えてしまう。
「だ…、から、お…願い、人の…心が…残って…いる内に、死、なせて。」
そう言うと同時に短剣を振りかぶり、一気に襲いかかってくるアイシャ。
そのアイシャに反射的に剣を振るうシィン。
その剣はアイシャの胸の中央を貫いた。
カラン。
乾いた音が響いた。
アイシャの手からこぼれた短剣が落ちた音だった。
アイシャは、シィンにもたれかかる様に立っていた。
それは恋人同士が抱き合っているようにも見えた。
シィンの手がアイシャの血で染まっていく。
みるみる顔が蒼白くなっていくアイシャ。
まるで彫像のように固まっているシィンの耳元でアイシャが囁いた。
「これ…で遅れた…ことは許し…てあげる。愛して…るわ、シィ…ン。」
と同時にアイシャの身体が崩れていく。
真っ白な灰となってアイシャはこの世から消えていった。
シィンはその場に崩れ落ち、意識を手放していた。
-ふむ、予定通りか?-
=予定以上かもしれんな。=
-何かあったのか?-
=あの剣が変化した。=
-それは興味深いな。-
=霊体の数値、魂のエネルギー量、そこに運命係数を重ねてみると…=
そのような「声」を聞きながら。
未完成の技術で無理矢理、呪器物を使用した反動だった。
本来ならシィンの魂も喪われていておかしくないほどだったのだ。
気を失いながらも息をしていること自体が奇跡であった。
シィンが目覚めたのは次の日の昼であった。
屋敷内には誰もおらず。
街にも人影は見あたらなかった。
普段賑わう市場も。
馬車の行き交う筈の大通りも。
王が住まう王城さえも。
誰一人存在しなかった。
原因を直感的に覚ったシィンは、その足で王都を出た。
彼の影の行方を追うために…。
そう、あの日アイシャを喪ってから俺の復讐の旅は始まった。
目の前にいるのはあの日のアイシャ(つみ)。
アイシャ(つみ)が告げる。
「あなたの所為で私は死んだ。」
その通りだ。
「あなたがいなければ誰も死ななかったのに。」
そうかも知れん。
だから。
俺は右手を振るう。
「よく知っている。」
アイシャ(つみ)が跳び退く。
「また、私を殺すの!?」
額から一筋の血が流れている。
あの日とよく似ている。
「何ゼためラいがないノ?」
そう言ってアイシャ(つみ)は縦に二つに分かれ、崩れ去った。
「覚悟があるから、な。」
地獄の底まででも、奴らを追い続けることを。
例えこの身が煉獄の炎に焼かれようとも。
己の魂が砕け散ろうとも。
そう誓ったのだから。
シィンの前に再び影があった。
朧な影。
もう一度、剣を構えるシィン。
影は輪郭の滲んだ人影となった。
『待ってたわ。』
その声は聞き覚えがあった。
『もうすぐ会える。それに…。』
そう言いながら消えていく影。
『もう、会って…』
「アイシャ?」
『待ってるから。』
その声を最後に影が消えた。
「アイシャーッ!!」
シィンの叫びは果てしなく続く荒野の果てへと消えていった。
何とか第二話もゴールが見えてきました。




