序章 届かない弾丸
『緊急! 緊急! 右京区、太秦にて怪異の発生を確認! 右京区、太秦にて怪異の発生を確認! 壱番隊から参番隊まではただちに――』
食堂にけたたましいサイレンが鳴り響いたのは、番匠谷椿がチャーシューメンに箸を伸ばした瞬間だった。
「………………」
目の前のどんぶりからは、ほかほかと湯気が立っている。スープの薫りが食欲をそそり、チャーシューの艶っぽい脂身がてらりと光っていた。
「なに呆けてんの。行くよ、椿」
たったいまカツ丼を食べ終わったばかりの東堂梓が言った。
「なぁ梓。ひと口……いや、ひとすすりでいい! せめてチャーシューの一枚だけでも――」
「ダーメ、行くよ」
「そんな殺生な!」
そう言って、梓は椿の首根っこをつかんで引きずっていった。
涙目になった椿の腹が、ぐぅと鳴った。
●
けたたましいサイレンを鳴らしながら、三台の軍用車両が京都市内を駆け抜ける。一般の車両はハザードランプを点灯させ、パトカーや救急車が来たときと同様に道を広く空けた。
隙間を縫うように走る軍用車両の荷台には、椿と梓を含め七人の少年少女が乗っていた。全員が白を基調とした軍服をまとい、物々しい銃火器で武装している。
「――では、状況を説明する」
隊長が車内を一瞥する。全員の表情を確認してから一度うなずき、備え付けのホワイトボードに要点を書き記していく。
「怪異の発生場所は右京区、太秦。発生時刻は二〇分ほど前で、数は八体」
「八体? たったそれだけなのに、参番隊まで駆り出されたんですか?」
「当たり前だろうが。俺たちはまだ祈祷兵じゃない。ただの候補生だ」
「そりゃそうですけど……」
納得のいかない顔を浮かべる少年をひとにらみし、隊長は説明を続ける。
「現れたのはどれも低位の怪異ばかりだが、油断はするな。各自、兵装をもう一度確認しておけ。……霊力もな」
隊長の目が、一瞬だけ椿に向けられた。
視線から逃げるように目をそらし、椿はホルスターの祈銃に触れた。
「間もなく太秦に入る」
「「「了解!」」」
運転手の声に全員が強く応じた。
●
目的地に到着した軍用車両は、砂煙を上げながら停車した。同時に少年少女たちが勢いよく車両から飛び出していく。
「整列!」
椿たちの部隊――壱番隊の隊長が声を張り上げる。
それに合わせて隊員たちが順に整列していく。
「状況に変化はない! 怪異は八体、すべて低位だが油断するな! 一刻もはやく祓え! ひとりの犠牲も出すな!」
「「「了解!」」」
「いくぞ!」
隊長の合図とともに、閑静な住宅街を少年少女たちが駆けていく。
通りに民間人の姿はひとりも見当たらない。
すでに通報から三〇分以上経過していて、避難はとっくに完了しているはずだった。
「椿、調子はどう?」
「腹が減って力が出ねぇよ」と椿は恨みがましそうに答えた。
「それもそうだね」
梓は爽やかに笑った。屈託のない笑顔が腹立たしい。
古い商店街に差しかかる。
一角にある雑貨屋のショーウインドウには、ちりめん細工や和柄のポーチなど、いかにもな京都土産が多数陳列されている。昨今のインバウンド需要とも相まって、最近はこういった店舗がとくに増えている気がする。
(こんだけ怪異に溢れる帝国にわざわざ観光なんて……いったいなに考えてんだか)
そのショーウインドウに自分の姿が映った。
黒髪黒瞳のどこにでもいそうな日本人の少年だ。取り立てて容姿が整っているわけでも、イケボ配信者のように渋い声をしているわけでもない。
強いて特徴をあげるなら、同年代の候補生と比べても、とくに引き締まった肉体だろうか。日々の訓練の賜物として我ながら多少の自負もあった。
(まあそんなこと言っても、なんだけどなぁ……)
肉体をいくら鍛えたところで、それがいったいなんの役に立つというのか。
「敵影確認! 二時方向!」
前を走る先輩隊員が叫んで、ハッとした。
流れるように祈銃をかまえる。
視線の先には溶けた蝋人形のような怪異が、民家の陰から這い出していた。耳をふさぎたくなるような不快な声を、あたりに撒き散らしている。
「ほんっとに、おまえらは――気色悪ぃんだよ!」
隊員のひとりが発砲した。
鳴鏑のような銃声が、静かな商店街に反響する。
放たれた青白い弾丸は怪異めがけてまっすぐ飛ぶと、口と見まがうほどに大きな右目を撃ち抜いた。異常に長い左手を振り回し、怪異が苦鳴をあげた。
かと思えば、灰色がかっていた肌が少しずつ白くなり、乾いてひび割れていく。
やがてひびは身体全体に広がり、怪異はこなごなに砕け散った。
あとに残ったのは、まるで盛り塩のような白い灰の山だった。
「撃破を確認! 残り六……いや、五体!」
通信機に耳を当てながら、女性隊員が報告した。
(弐番隊も首尾よく撃破しているみたいだな)
「次、行くぞ!」
隊長が言って、壱番隊はふたたび駆け出した。
「椿、行こう」
「あぁ。――っ!」
梓の声に応え、駆け出そうとした椿の視界に黒い影が映った。
「上だ!」
瓦屋根の民家の上。
そこに青黒い肌をした人型の怪異が身を潜めていた。
周りにいる隊員たちがそれを視認したとき、椿はすでに発砲を終えていた。カウボーイも舌を巻くような早撃ちだった。
狙いは怪異の眉間。
破魔矢は、とっさに撃ったとは思えない正確な弾道を描き、甲高い音を鳴らしながらみるみる怪異へと迫っていく。
(きょうこそは……!)
椿は弾丸を一心に見つめ、祈った。
そんな祈りを嘲笑うかのように、弾丸は怪異に届くはるか手前で霞にまぎれるように儚く消えた。
「くそっ!」
嫌悪感をともなう不快な叫び声をあげながら怪異が立ち上がる。血色の大きな瞳は、まっすぐ椿をにらみつけていた。
「それなら――!」
椿は駆け出した。
さっき撃った破魔矢から射程を逆算する。射線の確保は難しいが、これくらいの工夫なんていつものことだった。
(この位置、この距離なら……!)
と椿が射程に入り、その指が引き金を引く寸前、
「椿!」
梓が発砲。
狙い過たず弾丸は怪異の左胸に命中。みるみる怪異は白い灰となり、奇声をあげながら風に吹かれて消えた。
「っ……!」
椿は悔しそうに歯噛みした。
「椿、梓! 行くぞ!」
隊長の声は有無を言わさぬものだった。
「椿」
「わかってる」
まったく無意味に終わった祈銃をホルスターにしまい、椿は先に走り出した先輩たちのあとを追った。
梓も一歩遅れて、椿の背を追いかけた。




