第六話 地脈へ
中央神殿を後にすると、地脈の領域へ足を踏み入れるにつれ、足元に続く道は次第に荒涼とした景色へと変わっていった。枯れ木が点々と残り、緑はほとんど見当たらなかった。
中心へ近づくほど、空気はますます熱を帯びていく。
灼けつくような太陽が頭上に照りつけ、遮るもののない陽光が容赦なく降り注いでいた。
エイノは汗だくになり、服もすでに汗でぐっしょりと濡れていた。
歩き続けるうちに、エイノの意識はすっかり別のことへと飛んでいた。
自分には空を飛べる魔獣がいることなど、完全に頭から抜け落ちていた。
(原作では、エイノは最後に自分の魔力で神樹を蘇らせた。つまり、本来なら相当な魔力を持っているはずなんだ。でも、今の僕の魔力はほんのわずかしかない……おかしすぎる。)
考え事に夢中になっていた、そのときだった。不意に地面から突き出た木の根に足を取られ、そのまま前のめりに倒れ込み――。
こうして彼のファーストキスは、めでたく大地に捧げられた。
「歩くときくらい前を見なさい。」
背後から、コウシンの淡々とした呆れ声が飛んできた。
次の瞬間、彼女もまったく同じ木の根につまずいた。
小柄な身体が、そのまま前へと倒れ込む。地面にうつ伏せになったままのエイノは、ゆっくりと顔を上げ、コウシンのほうを見た。
コウシンは不機嫌そうに顔を上げた。
二人の視線がぶつかる。エイノはじっと彼女を見つめながら、ぼそりと口を開いた。
「君こそ、歩くときくらい前を見なさいよ。」
「うるさい!」
コウシンは顔を真っ赤にしながら素早く立ち上がり、服についた埃を軽く払うと、振り返ることもなく足早に歩き出した。その足取りは、さっきよりもさらに速くなっていた。
その様子を見たカイロスは、笑いすぎて腰を折るほどだった。
地面から突き出た木の根を指差しながら、大声で叫ぶ。
「最強の木の根だーー!!」
「地道は夜間は立ち入り禁止。先に休める場所を探しましょう。」
エイラはそう言いながら、手元の地図を広げ、宿の場所を探し始めた。
カイロスはとっくに腹ぺこだったらしく、その言葉を聞いた途端、さっそく近くの民家へ駆け寄っていった。
「こんにちは~! どなたかいませんか~?」
まるで自分の家に帰ってきたかのような慣れた口調だった。
「えっ、僕たち民家に泊まるの?」
「だって俺たち、お金ないだろ~? じゃあどうするんだ? ノンノンが払ってくれるのか?」
カイロスは無邪気な表情で振り返り、両手を広げてみせた。
「なんだよ、その『ノンノン』って!」
エイノは口元をぴくりと引きつらせた。
コウシンはこの二人に付き合う気などまるでなく、そのまま別の民家へ向かい、扉を軽くノックした。
「こんにちは。どなたかいらっしゃいますか?」
今度はほどなくして扉が開き、一人の婦人が顔をのぞかせ、四人に目を向けた。
「あなたたち、依頼を受けに来たんでしょう?」
婦人の表情に驚きや戸惑いはなく、まるで見慣れた光景であるかのようだった。
「はい。もしご都合がよろしければ、今夜一晩泊めていただけませんか? 宿代の代わりに、お手伝いなら何でもいたします。」
「いいのよ。毎週のようにあなたたちみたいなパーティーが泊まりに来るから、もう慣れっこなの。家が賑やかになるし、気にしなくていいわ。」
そう言って婦人は体を横へずらし、道を空けた。
四人は顔を見合わせると、そのまま家の中へと足を踏み入れた。
「お邪魔します!」
家の中はそれほど広くはなかった。
玄関を入るとすぐに居間があり、その奥には台所が続いていた。二つの空間は、大きな木製のテーブルによってゆるやかに仕切られていた。
そのテーブルは、長い年月を経て角が少し欠けていたが、隅々まで丁寧に磨かれており、とても清潔に保たれていた。
テーブルの上には、精巧な花瓶がいくつかと、一つの写真立てが置かれていた。
花瓶はそれぞれ形や模様が異なり、その胴には一つひとつ違う人物の署名が残されていた。
左手には二階へと続く木の階段があり、その脇の壁一面には、たくさんの写真が飾られていた。
飾られた写真の主役は、どれも面影のよく似た二人の少年だった。
肩を並べて陽だまりの中に立つものもあれば、泥だらけになってしゃがみ込み、無垢で屈託のない笑顔を浮かべているものもあった。
どの写真も温かく穏やかな空気に満ちており、思わず足を止めて見入ってしまうほどだった。
「こちらは、お子さんのお写真ですか?」
写真の前で足を止めたエイノが、そう尋ねた。
「ええ。双子なのよ。」
婦人はそう答えると、うつむいたまま、手にした包丁で、一定のリズムを刻むように野菜を切り続けていた。
エイラは静かに傍らに立ち、部屋の中へと視線を巡らせた。
室内は隅々まで整えられており、飾り気こそないものの、素朴で落ち着いた造りだった。
エイノもまた、家の中に漂う違和感に気づいていた。
写真から視線を外し、改めて室内を見渡した。
「あの……今は、その子たちは……」
「もういないの。永遠にね。」
「えっ……そ、それって……」
婦人は手にしていた包丁を静かに置くと、テーブルのそばへ歩み寄り、一つの花瓶を手に取った。
指先で瓶に残された署名をそっとなぞりながら、静かに口を開く。
「地族は魔族の領地に近いから、時折魔族の襲撃を受けるの。本来なら、国境には守備隊が駐屯しているはずだったんだけどね。」
彼女は花瓶を静かに置くと、写真の並ぶ壁へ向かい、一枚の家族写真を手に取った。
写真には、四人家族が幸せそうな笑顔を浮かべて写っていた。
背景には崩れかけた城壁と、戦火に包まれた街並みが写っていた。その笑顔だけは眩しいほどに温かかった。
「でも、あの日は守備隊の姿がどこにもなかったの。私たちは自分たちだけで必死に耐え続けたわ……もう、もう、耐えられなくなるその時まで。」
婦人は写真をそっと置くと、窓の外へ視線を向けた。その手は、無意識のうちに指にはめた指輪を優しく撫でていた。
「あの時、まだ幼かったあの子たちは、身重だった私を守ってくれたの。血だまりの中に倒れ、それが私にとって、あの子たちとの最後の別れになった。そして、お腹の中にいたあの子は……私は、その子の顔を一度も見ることはできなかったの。」
彼女の視線は、窓の外へ向けられたままだった。
まるで、あの日の光景が再び目の前に蘇ったかのように。
空を覆い尽くす黒煙、舞い上がる土埃。血だまりの中に倒れた彼女は、力なく手を伸ばし、子どもたちへと届かぬ腕を差し出す。
そしてあの子たちは――涙を浮かべながらも、笑顔で彼女に別れを告げた。
「それじゃあ、この花瓶と、そこに書かれている署名は……?」
重苦しい沈黙を最初に破ったのはエイラだった。
彼女の視線は、木のテーブルに並べられた花瓶へと向けられていた。
「依頼でこの村を訪れたパーティーが、よくここへ泊まりに来るの。無事に帰ってこられた子たちは、お土産を持って顔を見せに来てくれるのよ。」
婦人は写真を壁へ掛け直すと、静かな声でそう語った。
カイロスは眉をひそめ、そこでようやく思い出した。
確かに、そんな暗黙の慣習があった。依頼を無事に終えた者は、旅の途中で受けた助けへの感謝として、贈り物を持って再び訪れるのが慣わしだった。
「これ、全部そうなんですか?」
「ええ。昔は仕掛けがあって、地道へ入る依頼者たちは守られていたの。でも最近は……無事に帰ってこられる子たちが、だんだん少なくなってきたみたいね。」
婦人は身を翻し、再びかまどの前へ戻ると、鍋の中で煮込まれたスープをゆっくりとかき混ぜた。
立ちのぼる湯気が、彼女の姿を淡く包み込み、その輪郭をぼんやりと霞ませていく。
「地王が突然眠りにつくようになってから、地道の仕掛けは次第に制御が利かなくなってしまったの。だから……無事に帰ってこられる人も、年々少なくなっていったわ。」
やがて、四人分の料理が次々と食卓に並べられた。炒めた山菜、こんがりと焼き上げられた肉料理、そして湯気を立てるジャガイモの煮込みスープだった。
湯気とともに食欲をそそる香りがふわりと立ちのぼる。
四人は並べられた料理を見つめ、そろってごくりと唾を飲み込んだが、誰一人として最初の一口に手を伸ばそうとはしなかった。
カイロスが真っ先に箸で焼き肉を一切れつまんだ。
「腹減ったー! もう一日中何も食べてないんだよ!」
ひと口食べた瞬間、彼の瞳がぱっと輝き、感嘆の声を上げた。
「うまい! 本当にすっごくうまい!」
コウシンは不思議そうにカイロスを一瞥した。
「お腹が空きすぎて、おかしくなったの?」
そう言いながらも、コウシンも焼き肉を一切れ箸でつまみ上げた。
「んっ! これ、おいしいじゃない!」
そう言いながら、彼女の箸はもう二切れ目の肉へと伸びていた。
その様子を見たカイロスは、火山が噴火したように怒り出した。
「おい! さっきまであんなに文句言ってたじゃないか!」
「ん? 何わけのわからないこと言ってるの? 証拠は?」
「はぁ!? さっきのあの顔だよ!」
「え~? どんな顔? それって全部あなたの思い込みじゃない?」
「うわああああっ!!!」
「適当なこと言うなら――責任取らなきゃいけないんじゃない?」
コウシンは煮込みスープをゆっくりと一口飲み、一切悪びれる様子もなく、無邪気な表情を浮かべていた。
「このやろーー!!!」
エイノは二人のやり取りを見て、思わず吹き出してしまった。
――いや、違う。よく見れば、騒いでいるのはどうやら片方だけだった。
エイノは山菜を箸でつまみ、口へ運んだ。
さっぱりとした風味が、口いっぱいにふわりと広がる。
華やかな味付けや凝った調理ではない。
それなのに、思わずもう一口食べたくなる――そんな素朴で優しいおいしさだった。
(おいしい……これ、お店を開けるくらいの味じゃないか。)
深夜――。
部屋の中は静寂に包まれていた。
窓から差し込む月明かりが、エイラの瞳を静かに照らしていた。
彼女はベッドの縁に腰掛け、静かに月を見つめていた。
その脳裏には、夕食の席で湯気の向こうにふと目にした、あの写真が浮かんでいた。
(……何かが、おかしい気がする……)
彼女はわずかに眉をひそめ、写真の細部を思い出そうとした。
だが、その記憶は霧の中へ溶けていくように薄れ、胸には言葉にできない違和感だけが残った。
(……いったい、何だというの?)
部屋の中は静まり返り、聞こえてくるのは穏やかな寝息だけだった。
エイラはゆっくりと目を閉じる。胸に拭いきれない疑念を抱えたまま、静かに眠りへと落ちていった。




