第三十一話 祭典
星海族の国境へ近づくにつれ、波が岩礁に打ちつけ、白い飛沫を次々と散らしていた。
遠くの海面には、巨大な白いアーチがそびえ立っている。
そのアーチは純白の晶石で造られ、表面には様々な星の紋様が刻まれていた。
アーチの奥には、海上へと伸びる白い石橋が続いており、その中央には巨大な魔法陣が刻まれている。
星海族へ入る者は、皆この魔法陣を通って国境を越えなければならない。
四人は人の流れに続いて石橋を渡り、魔法陣へ足を踏み入れた瞬間――目の前の景色が一変した。
先ほどまで広がっていた広大な海面は消え去り、その代わりに姿を現したのは、海底に築かれた巨大な都市だった。
街全体が透明な結界に覆われている。
結界の外では魚の群れが悠々と泳ぎ、海面から差し込む陽光が海水を通り抜け、揺らめく光の影を落としていた。
街の中央には、巨大な海底神殿が鎮座している。
神殿の外には、幾本もの透明な水路が縦横に入り組み、街全体を縫うように流れていた。
空中には大小様々な水色の光球が浮かび、通りの両側には無数の旗が飾られている。
さらに、どの家の扉にも色とりどりの貝殻や花輪が飾り付けられていた。
「綺麗だな……」
エイノは目の前に広がる光景を見つめ、思わず足を止めた。
原作ですでに見たことのある景色だったとしても、こうして実際に目の当たりにすると、やはりその美しさに圧倒される。
神殿の中は一点の曇りもなく純白で、周囲の壁や床には絹のような光沢が浮かんでいる。
その中央には水晶台があり、その傍らに一人の男が立っていた。
男は小柄で、顔立ちも決して目立つものではない。
人混みの中に紛れてしまえば、瞬く間に群衆に埋もれてしまいそうなほどだ。
しかし、どうしても目を引いてしまう。
なぜなら、彼の胸元には、黄金色に輝く五つのバッジが留められていたからだ。
五つのバッジは胸元に整然と並び、周囲のほとんどの視線を引きつけていた。
「こんにちは! あなたが依頼人だよな?」
カイロスが歩み寄り、相手に尋ねる。
「はい、皆さんこんにちは。私はワーグと申します。」
ワーグは慎重に一枚の紙を取り出し、皆へ差し出した。
「私の契約魔獣は『羽毛』という名前で、だいたいこんな姿をしています。」
「どれどれ、どんな……」
カイロスの声が、途中でぴたりと止まった。
しかし、ワーグは皆の様子がおかしいことに気づかず、なおも真剣な表情で説明を続けていた。
「そいつ、すっごく可愛いんですよ。毛並みは真っ白で、契約印は耳にあって、金色の小さな肉球の形をしているんです。ほら! 目も大きくてキラキラしていて、尻尾も……ん?」
話している途中で、ようやく彼は気づいた。
四人とも自分の話をまったく聞いておらず、複雑そうな表情で一枚の紙を囲んでいる。
「どうかしましたか?」
四人は俯き込み、複雑そうな表情でその紙を見つめていた。
紙には、少し歪んだ楕円が描かれていた。
その下には、長さの異なる四本の直線が脚として描かれ、二つの黒い点が目になっている。
その後ろには、やけに長い曲線が一本、適当に引かれていた。
――あまりにも抽象的なその絵こそが、彼の言う「すっごく可愛い」契約魔獣だった。
四人は沈黙した。
エイノが先に沈黙を破り、気まずそうに笑う。
「い、いいと思う……うん、はは……」
「だろ! やっぱり君たちなら分かってくれると思ってた!」
(これじゃ、何の種類なのかすら分からない……)
エイノは口元を引きつらせた。
もう、何と言えばいいのか分からなかった。
一行はその後、ワーグと再会の約束を交わした。
三日後――つまり、祭典の最終日に、再び海底神殿で集合することになった。
「それでは、皆さん。どうかよろしくお願いします!」
「任せてくれ! 俺たちが必ず連れて帰ってくる!」
カイロスは胸を叩いてみせ、四人は揃って振り返り、神殿を後にした。
彼らが立ち去った後、ワーグは懐からもう一枚の紙を取り出した。
「僕の絵、上手いでしょう?」
そこに描かれていたのは、まるで生きているかのように精巧な魔獣だった。
もしエイノがこの絵を見ていたなら、きっと分かっただろう。
その魔獣は獅子に似た姿をしていた。
ただし、全身は真っ白で、尻尾だけが水色をしていた。
「僕が描いたのも、これとまったく同じなんだけどな!」
神殿を出たばかりだというのに、街道の人混みは先ほどよりもさらに増えていた。
遠くから、荘厳な角笛の音が響き渡る。
低く、力強いその音は、街全体を貫くように響き――
続いて、鐘の音が星海全体へと鳴り響いた。
「始まったぞ!」
人混みの中から、誰かが大声で叫んだ。
すると、それまで街のあちこちに散らばっていた人々が、次々と星湖宮の方へと集まり始める。
四人は顔を見合わせると、人の流れに続いて星湖宮へ向かった。
人々が次々と集まり、先ほどまで騒がしかった広場が、ふと静まり返る。
全員の視線が、正面にそびえ立つ壮大な宮殿へと注がれていた。
ドォン――。
星湖宮の大扉が、ゆっくりと開かれる。
その奥から、一人の人影が姿を現した。
彼女は一歩、また一歩と、ゆっくりと階段を下りてくる。
彼女は水色のロングドレスを身に纏っていた。
裾はまるで波のように幾重にも重なり、歩みに合わせて優雅に揺れている。
銀白色の緩やかなウェーブのかかった長髪は腰まで流れ、頭には精巧な王冠を戴いている。
その中央には一粒の黄色いダイヤモンドが嵌め込まれ、陽光を受けてきらきらと輝いていた。
彼女は階段の下で、ゆっくりと足を止めた。
右手を掲げると、彼女の身長ほどもある杖がその手の中に現れる。
杖は全体が水晶のように透き通っており、その頂には拳ほどの大きさのサファイアが嵌め込まれている。
陽光を受けたサファイアは、眩い光を放っていた。
「遠路はるばるお越しいただき、私たちの周年祭典にご参加くださった皆様を、心より歓迎いたします。」
女性の声が、広場全体へと澄み渡るように響く。
「星々が私たちの物語を紡ぎ、海が私たちの祝福を歌う。今日ここで巡り逢えたことが、決して忘れられることのないように。」
そう言って、彼女は杖をそっと地面へ打ちつけた。
ドン――。
波紋のような魔法陣が足元から次々と広がり、瞬く間に広場全体を覆い尽くす。
人々が顔を上げる。
結界の外に広がる海もまた、この瞬間、幾重もの波紋を描き始めた。
杖を中心として、波紋は瞬く間に四方へと広がっていく。
「宣言します!」
女性は手にした杖を高々と掲げる。
「星海祭典、ただいま正式に開幕します!」
ドォン――。
蒼い魔力が、一直線に天へと駆け上がる。
次の瞬間、大海が激しくうねり始めた。
結界を取り囲むように、合計百八本の水柱が一斉に天へと噴き上がった。
そして、巨大な水柱が空中で轟音とともに弾けた。
無数の水飛沫が空からゆっくりと降り注ぎ、まるで青空に咲き誇る花火のように、空いっぱいに広がっていく。
耳をつんざくような歓声が、天まで響き渡った。
やがて華やかな音楽が奏でられ、低く響く角笛の音と、楽しげな歌声が幾重にも重なっていった。
続いて、二つのパレードが星湖宮の両側から出発した。
先頭を進むのは楽隊。
その後ろには、パレードの山車が続いている。
山車の上では、何人もの子供たちが笑顔で色とりどりの花びらを掴み、周囲へ次々と撒いていた。
「始まった!」
カイロスの目が輝き、興奮した様子で人混みの最前列へと駆け込んでいく。
「待ってよ!」
エイノも慌てて後を追った。
カイロスを一人で行動させるわけにはいかない。
目を離したら、またどこへ行ってしまうか分からないのだから。
パレードの人々は音楽に合わせて軽やかに舞い、通りの両側にいた人々も次々とその輪に加わっていく。
目の前に広がる賑やかな光景。
笑い声、歌声、そして音楽が耳の中で幾重にも重なる。
その瞬間、エイノは少しだけぼんやりとしていた。
この楽しげな空気に包まれて――一瞬だけ、忘れそうになった。
ここはただ、本の中の世界でしかない。
現実ではないのだと。
エイノが人々に混ざって踊ろうとした、その時――
突然、隣にいた人にぶつかられた。
「大丈夫ですか!」
エイノは慌てて手を伸ばし、相手の身体を支える。
「大丈夫です。すみません。」
相手は体勢を立て直すと、顔を上げてエイノを見つめた。
エイノは相手の顔を見た瞬間、どこかで会ったことがあるような気がした。
「え? 僕たち、どこかで会ったことない?」
「まあ――私があまりにも特徴のない顔だからじゃないかな。街中を探せば、私みたいな顔なんていくらでもいるよ。」
エイノがまだ何かを言おうとした、その時――
突然、肩をぽんと叩かれた。
「エイノ! 早く来いよ! ここ、いい場所だぞ!」
カイロスはそう言うなり、エイノの腕を掴んでそのまま引っ張っていく。
エイノが振り返って後ろを見ると――
先ほどの人物は、すでにそこにはいなかった。




