第二十四話 幸福
一方その頃、背後で純白の大扉がゆっくりと閉じられた。
目の前に広がっていたのは、どこまでも続く広大な草原。
雲一つない青空が広がり、陽光がまっすぐに草原を照らしていた。
遠くには、爪の先ほどの大きさの光球が、静かに宙へ浮かんでいた。
(あれが星なんだろうね。ってことは、ここが試練なの?)
エイラは一切ためらうことなく、足を踏み出し、そのまま真っ直ぐ前へ歩き始めた。
一歩、また一歩。
どれほど歩いたのかも分からない。
それでも、目の前の光球は相変わらず遠く、振り返れば、背後の扉は小さくなっていた。
エイラは深く息を吸い、再び前へと歩き続けた。
さらに長い時間が過ぎた。
足の裏に痛みが走り、呼吸も次第に重くなっていく。
ふと顔を上げると――
それでも、あの光球はまだ遠くにあった。
その時、エイラはふと横を見た。
いつの間にか、すぐ傍に一脚のベンチが置かれている。
さらに数歩進むと、また一脚。
そしてまた一脚と、次々にベンチが現れていた。
今のエイラは、そこに座って少し休みたいと、心の底から思っていた。
けれど、なぜか――座ってはいけないような気がした。
彼女は目を閉じ、深く息を吸って呼吸を整える。
そして再び、前へ向かって歩き始めた。
「どうして、そんなに頑張り続けるの?」
不意に、耳元から声が聞こえた。
――エイノの声だった。
エイラは、思わず足を止めた。
(この言葉……)
エイラはふと、この言葉を聞いたのが、父親を亡くしてから間もない頃だったと思い出した。
あの頃の彼女は、毎日のように自分を追い込み、深夜まで鍛錬を続けていた。
少しでも時間があれば、一冊、また一冊と本を読み漁った。
強くならなければ。
エイノを守らなければ。
――彼は、自分にとって何よりも大切な家族だった。
エイノは自分とは違っていた。
魔力こそ少なかったが、とても頭が良く、一度目を通した本なら、ほとんどすべて覚えていた。
だからこそ、エイラは一分一秒たりとも無駄にせず、ひたすら本をめくり続けた。
その知識を決して忘れないように――自分の頭の奥深くへ刻み込むために。
エイラは目を閉じ、その記憶を頭の中から振り払おうとした。
「お姉ちゃん、どうしてそんなに頑張るの? 少し休もうよ。」
(そういえば……もうずいぶん長いこと、あいつからそう呼ばれてないな……。)
エイラは振り返らなかった。
ただ、一歩、また一歩と、前へ歩き続けた。
足取りは先ほどよりも重くなっていた。
どれほど歩いたのかも分からない。
その時、再び背後から声が聞こえてきた。
「いただきます!」
エイラはゆっくりと振り返った。
いつの間にか、草原には一軒の小さな木造家屋が建っていた。
窓越しには、一家が食卓を囲み、楽しそうに語り合っている姿が見える。
テーブルの上には湯気の立つ料理が並び、白い湯気の向こうには、皆の笑顔が浮かんでいた。
(もう……どれくらい経ったんだろう。あの頃は、まだ母さんは女王じゃなかった。父さんも生きていて――私たちは、ただの平凡で幸せな家族だった。)
エイラは静かに、その木造家屋を見つめていた。
父が朗らかに笑い、シアナが優しく二人の皿へ料理を取り分けている。
幼いエイノは笑顔で、手にした木のスプーンを振っていた。
けれど――
食卓には、彼女の姿だけがなかった。
エイラは無意識に家の中を探した。
台所にもいない。
居間にもいない。
奥の部屋にも、彼女の姿はどこにもなかった。
――彼女は、どこにいるの?
その時、シヴィルトンは手にしていた器を置き、ゆっくりと振り返った。
その視線が、まっすぐエイラへと向けられる。
「エイラ。」
エイラの瞳が、大きく見開かれた。
「ご飯だぞ。」
エイラはその場から一歩も動けなかった。
かすかに震える手が、平静を装っていた彼女の心を、すでに物語っていた。
目の前にあるものが、ただの幻だということは分かっていた。
それでも――
この呼びかけを、彼女はずっと、ずっと待っていた。
あまりにも長い間、待ち続けて――父の声が、こんなにも優しかったことさえ忘れかけていた。
彼女は無意識に足を踏み出した。
一歩、また一歩と、木屋へ向かって歩いていく。
エイラがふと足元へ目を落とす。
いつの間にか、足元の青々とした草原は、一面の白い雪に覆われていた。
雪が、一片、また一片と静かに降り積もる。
封じ込めていた記憶が、舞い落ちる雪とともに、少しずつ脳裏へと蘇っていった。
(そうだ……あの年は珍しく大雪が降った。あれは、私たちにとっての幸せな――最後の日だった。)
そして、指先がドアノブに触れようとした、その瞬間――。
カチャ――。
木製の扉は、エイラが触れるより先に、内側から開かれた。
そこには、見慣れた人影が立っていた。
幼いエイノだった。
その腕には、小さな鳥のぬいぐるみをぎゅっと抱えていた。
その顔には、無邪気な笑みが浮かんでいた。
彼はエイラへ手を差し伸べる。
「お姉ちゃん、帰ろう。」
エイラは呆然とその場に立ち尽くしていた。
木屋の中には暖かな暖炉があり、テーブルには湯気の立つ料理が並んでいる。
そして最後に、エイノの白く小さな手のひらへと視線を落とした。
――ただ、その手を握ればいい。
そうすれば、あの幸せだった日に帰れる。




