第十五話 第一の星
静まり返った地下空間で、、エイノはわずかに眉をひそめ、ゆっくりと瞼を開いた。
最初に目に飛び込んできたのは、一人の大柄な人物の背中だった。
広い肩に、厚く逞しい背中。隆々と盛り上がった筋肉には力強さが漲り、長い白髪が背中へと流れ落ちている。
その姿は、まるで一つの山がそこにそびえ立っているかのようだった。
エイノはゆっくりと顔を上げた。
その顔を目にした瞬間、彼は息を呑んだ。
――その顔には、見覚えがあった。
原作にただ一度だけ登場したことのある人物。
地王――セリフェル。
「目が覚めたか?」
低く短いその一言。
その声を聞いた瞬間、エイノの脳裏に一つの感想がよぎった。
(……声、めちゃくちゃいいな。)
「は、はい……地王セリフェル様、ですか?」
エイノは周囲を見回したが、コウシンの姿はどこにもなかった。
エイノの視線を追ったセリフェルは、彼が誰を探しているのかを察したように、静かに口を開いた。
「試練に入った。」
その言葉を聞いた瞬間、エイノは勢いよく立ち上がり、そのまま試練へ向かおうとした。
だが、その次の瞬間――
子猫でも持ち上げるかのように、襟首をひょいと掴まれ、そのまま宙へ持ち上げられてしまった。
「え?」
エイノはきょとんとした表情のまま、首だけを横へ向け、自分を摘み上げている人物を見上げた。
「試練に入れるのは、一人だけだ。お前が入れば、あいつの試練は無駄になる。」
「あ……そういうことだったんですね。」
「一つの魂が試練に挑めるのは、一度きりだ。」
「……どうしてですか?」
「神は、一つの魂に一度しか機会を与えない。」
エイノは俯き、何かを思い出したように、再びセリフェルを見上げた。
「さっき、一度しか入れないって言ってましたよね。……ということは、地王様も以前、この試練に入ったことがあるんですか?」
「ああ、五年前だ。」
エイノの瞳がぱっと輝いた。
試練については、原作でも一切語られていない。
好奇心を抑えきれず、彼は思わず身を乗り出して問いかけた。
「試練の中には、何があるんですか?」
セリフェルは石門へと静かに視線を向けた。
その深い灰色の瞳に、かすかな感情の揺らぎが浮かんだ。
「俺だ。」
「え? ご自分のことですか?」
「世界。」
「世界……ですか?」
「ああ。この世界だ。」
エイノは黙り込んだ。
(この人、本当に口数が少なすぎる……。)
「一年で十回も口を開くんですか?」
「喋れる。」
「えっ!? 今の声に出てました!?」
「ああ。」
エイノは再び沈黙した。
どうやら、さっきは胸の内で思ったことを、無意識のうちにそのまま口に出してしまっていたらしい。
再び沈黙が訪れた。
空気は静まり返り、その静けさがかえって落ち着かない。
エイノはしばらく考え込んだ末、意を決して再び口を開いた。
「あの……では、どうしてセリフェル様は試練を突破できなかったんですか?」
「突破した。」
「えっ? じゃあ、コウシンは……?」
「各種族の星は、次の日の夜明けまでに各族の誓いの台へ返さなければならない。俺は誓いの台へ戻するのに間に合わなかった。だから、星は消えた。」
「どうして、間に合わなかったんですか?」
セリフェルはじっとエイノを見つめた。
その視線に居心地の悪さを覚え、エイノが思わず身じろぎしたその時――
セリフェルは不意に、まったく関係のない問いを口にした。
「誰と組んでいる?」
「え? エイラと、コウシンと、カイロスです。」
「そうか。」
「……えっ? それだけですか?」
エイノは、その先の話を待っていた。
だが――セリフェルはそれ以上何も口にしなかった。
「……終わりですか?」
思わずそう尋ねるが、返ってきたのは、ただ沈黙だけだった。
セリフェルはただ静かに頷くと、それ以上は何も語らず、ゆっくりと目を閉じた。
エイノはそれ以上問い詰めることはしなかった。
セリフェルはそれ以上何も語ってはくれなかったが、あの問いは決して何気ないものではなかったように思えた。
――まるで、何かを確かめるために尋ねたかのように。
二人の間に再び沈黙が流れた。
エイノは傍らに腰を下ろし、興味本位で自分の体内の魔力へ意識を向けた。
すると、転生したばかりの頃よりは、ほんのわずかに魔力が増えていることに気づいた。
――とはいえ、本当に「ほんの少し」だけだった。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
不意に、石門に刻まれた紋様が黄金色の光を帯び始めた。
一本、また一本と、光が刻印に沿ってゆっくりと流れ、まるで血が巡るかのように、門全体へと広がっていく。
同時に、足元の大地も微かに震え始めた。
重々しい轟音を響かせながら、巨大な石門はゆっくりと左右へと開いていく。
その奥から――
一人の小柄な人影が、一歩、また一歩と静かに姿を現した。
コウシンは俯いたまま、額にかかった前髪がその瞳を隠していた。
彼女は手の中に握られた一つの黄金の星を、じっと見つめていた。
その星は柔らかな光を静かに放ち、まるで彼女を優しく引き留めるかのような温もりを宿していた。
「コウシン!」
聞き慣れた声が耳に届いた。
その声に、コウシンの足がぴたりと止まった。
彼女はゆっくりと顔を上げると、どこか無理に微笑むように、いつもの笑みをそっと浮かべた。
エイノは一瞬、言葉を失った。
確かに彼女は笑っていた。
――だが、その瞳は赤く潤み、目尻にはまだ拭いきれていない涙が残っていた。
喉元まで込み上げていた問いを、エイノはすべて飲み込んだ。
代わりに彼はコウシンの手に握られた星へと視線を向け、できるだけ普段どおりの軽い口調で声をかけた。
「行こう!」
コウシンはエイノの気負いのない笑顔を見つめると、再びそっと俯いた。
エイノが聞きたいことを山ほど抱えているのは、コウシンにも分かっていた。
それでも彼は、今は何も問いただそうとはしなかった。
コウシンはそっと掌を開き、その中に収めていた星を静かに解き放つ。
エイノは笑みを浮かべたまま振り返り、セリフェルへと視線を向けて尋ねた。
「それで、ここからはどうやって出ればいいんですか?」
セリフェルは右手を差し出した。
次の瞬間、その手の中に一つの転送装置が現れた。
二人は揃ってコウシンへと視線を向け、彼女が歩み寄ってくるのを静かに待った。
コウシンはすぐには歩み出さず、ゆっくりと閉じていく石門を振り返った。
「後悔はしないのか?」
――あの声が、再び耳元で響いた。
コウシンは深く息を吸い込むと、静かに二人のもとへ歩き出した。
後悔するのか――。
それは自分にも分からない。
けれど、後悔するとしても、しないとしても。
あの選択だけは、決して選ばない――そう彼女は確信していた。
――こうして、最初の星が正式に生まれた。




