第十三話 コウシン
カン、カン、カン。
コウシンが振り向くと、背後にはいつの間にか巨大な魔導炉が姿を現していた。
周囲を見回すと、そこはもう銅村ではなかった。
そこは地下空間のようだった。
目の前にそびえる巨大な魔導炉の外殻には、幾重にも重なった金属製の環が、その身を取り囲んでいた。
そして中央部からは、大人の胴ほどもある太さの管が五本、放射状に外へと伸びていた。
魔導炉の傍らには、大勢の人々が集まっていた。
その中心に立っていたのは――コウロとリンヴィティエルだった。
コウロの手には鉄槌が握られており、魔導炉の基部へと打ち下ろしていた。
カン――。
槌が振り下ろされるたび、黄金色の火花が辺りへと散り、眩い輝きを放っていた。
リンヴィティエルは分厚い資料の束を抱え、資料へ目を落としたまま、何かを計算していた。
「コウロ、光の魔力は純度が高すぎるの。そのまま導入すれば、強い拒絶反応が起きてしまう。やっぱり“あれ”が必要よ。」
「分かっている。」
コウロは立ち上がると、額の汗を拭い、静かに魔導炉を見据えた。
コウシンは少し離れた場所に立ったまま、二人の様子を見つめていた。
二人が交わす会話も、目の前で進められている研究も――そのどれもが、彼女にとっては初めて目にし、耳にするものばかりだった。
コウシンの記憶では、父は片腕を失いながらも中級鍛將として働く人物であり、母は初級鍛將だった。
だが、目の前で進められているこの計画は、どう見てもただの鍛將が設計できるようなものではない。
それに――ここはいったいどこなのか?
そして、この計画の正体とは何なのか。
「準備は整えておく。もし失敗したら、すぐに撤退するんだ。絶対に彼女を巻き込んではならない。」
リンヴィティエルは無意識に視線を落とし、そっと腹部を撫でた。その瞳には、深い慈しみの色が浮かんでいた。
「あの子が……君と同じだったら?」
コウロは長い沈黙の末、ようやくその一言を口にした。
「私に似たら、賢くて綺麗な子になるわ。」
「じゃあ、俺に似たら?」
「すごく鈍くさい子になるわね。」
リンヴィティエルは満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、この冷たく無機質な場所に、まるで陽だまりのような温もりをもたらしていた。
「でも私は……あの子には私たちみたいにはなってほしくない。誰かに似る必要なんてない。あの子だけの、たった一人の自分になってくれれば、それでいいの。」
「きっと、そうなる。」
コウロは一歩前へ踏み出し、そっとリンヴィティエルを抱き寄せた。
コウシンは無意識のうちに一歩、また一歩と前へ進んだ。
――自分も、その温かく優しい抱擁の中に加わりたかった。
だが、彼女が一歩踏み出したその瞬間――目の前の光景は再び音もなく消え去った。
残されたのは、どこまでも続く深い闇だけ。
そこには、もう何もなかった。
コウシンはその場に立ち尽くしたまま、呆然と闇を見つめていた。
やがて、踏み出しかけた一歩を、静かに引き戻した。
「どうして……また消えたの……。」
彼女はぽつりと呟いた。
だが、その声に応える者は誰一人いない。
闇の中には、ただ静寂だけが広がっていた。
漆黒の闇の中――
突如として一本の黄金色の紋様が、遥か彼方から伸び、コウシンの足元を横切っていた。
その光はあまりにも細く、まるで誰かが刃で大地を切り裂き、その裂け目から黄金の輝きが漏れ出しているかのようだった。
コウシンは、その光が闇の奥へと流れていくのを見つめた。
後を追おうと、一歩を踏み出した――その瞬間。
彼女の周囲に、無数の鏡が次々と現れた。
チリン――チリン――チリン――
その時、不意に――
風鈴が揺れるような、澄んだ音色がどこからともなく響いてきた。
コウシンは音の聞こえた方へ視線を向けた。
そこにあったのは、一枚の鏡。
鏡面にはゆっくりと映像が浮かび上がっていく。
――だが、そこに映っていたのは、彼女が期待していた風鈴ではなかった。
それは風鈴の音ではなく――鍛冶槌が打ち下ろされる音だった。
鏡に映し出されていたのは、小さなあばら家で、たった一人、手にした武器を何度も何度も打ち鍛えている自分の姿だった。
カン――カン――カン――
鍛冶槌の音だけが、静かに響き続けていた。
チリン――チリン――チリン――
コウシンはゆっくりと別の鏡へ視線を向けた。
そこに映っていたのは、百鍊塔の議事庁。
大勢の視線が彼女一人へと突き刺さる中、コウシンだけが広い議場の中央に独り立ち尽くしていた。
チリン――チリン――チリン――
コウシンは、もう見たくなかった。
この先に映るものも、きっと自分が望む光景ではない――そんな予感が胸を締めつけていた。
それでも、しばらく逡巡した末、彼女はゆっくりと振り返った。
――風鈴だった。
それは、彼女の風鈴。
それは、父と母、そして彼女――三人の風鈴だった。
だが、鏡に映し出されていたのは――
両親を亡くした後、たった一人で玄関先に立ち、背伸びをしながら風鈴を取り外すコウシンの姿だった。
目の前の風鈴は、幼いコウシンの手のひらよりもなお大きかった。
風鈴が外れたその瞬間、コウシンは咄嗟に手を伸ばして受け止めようとする。
だが、その手は風鈴をすり抜け――。
風鈴はそのまま、ガシャン、と鈍い音を立てて地面へと叩きつけられた。
チリン――。
澄み切った風鈴の音が、静寂に包まれた空間へ響き渡る。
その音が消え去ると、残されたのは、ただ深い静寂だけだった。
次の瞬間――すべての鏡に映る光景が、戦火に呑み込まれた。
静寂に包まれていた空間は一変し、人々の悲鳴と魔族の咆哮が四方八方から入り乱れて響き渡る。
コウシンは、この日のことをはっきりと覚えていた。
――魔族が侵攻してきた、あの日だ。
鏡の中では、幼いコウシンが地面に尻もちをつき、両手を地についたまま、声も出せないほど泣き崩れていた。
魔獣はいつの間にか彼女を見つけていた。
その凶撃が振り下ろされようとした、その刹那――一人の人物が飛び出し、幼いコウシンの前へと身を投げ出す。
そして、その背中で襲い来る一撃を受け止めた。
――コウロだった。
凄まじい一撃をその身で受け、コウロは鮮血を吐く。
それでも倒れることはなかった。
震える腕をゆっくりと持ち上げると、残された魔力をコウシンの体内へと注ぎ込んでいく。
「お父さん!!」
幼いコウシンは張り裂けんばかりに叫び、コウロの両手を必死に握りしめた。
次の瞬間にも、父が灰となって消えてしまうのではないか――そんな恐怖に怯えながら。
「愛しい子……私たちは、いつまでもお前のそばにいる。」
コウロの声はかすかで、まるで最後の力を振り絞るようだった。
その言葉を言い終えた瞬間――彼の手は力なく滑り落ちた。
そして、リンヴィティエルが戦火の向こうから、ゆっくりと歩いてくる。
その顔には、あの頃と変わらない優しい微笑みが浮かんでいた。
――右腕を失い、その断面からなお鮮血が滴り落ちていたにもかかわらず。
「愛しい子……私たちは、いつまでもあなたを愛しているわ。」
リンヴィティエルは最後の力を振り絞り、残された魔力のすべてを防護結界へと注ぎ込んだ。
その結界は、幼いコウシンを優しく包み込み、何があろうとも守り抜こうとするかのように輝いていた。
「いやぁぁぁぁっ!!」
コウシンはその場に立ち尽くしたまま、目の前に映し出される光景を、ただ無力に見つめるしかなかった。
この光景は――幾度となく、毎夜の夢に現れる悪夢だった。
決して忘れることのできない、彼女の心に刻まれた傷跡だった。
あの時の感覚が、鮮明によみがえる。
まるで魔族の侵攻の直後へと引き戻されたかのようだった。
目を覚ました時、彼女の傍らにいたのは――両親ではない。
そこにいたのは、見知らぬ一人の男だけだった。
父も、母もいない。
隣のおばさんも、近所の子どもたちもいない。
誰もいない。
――何も、残ってはいなかった。
「身体の具合はどうだ?」
見知らぬ男はそう言って、コウシンへそっと一杯の水を差し出した。
コウシンはその水を受け取ろうとはせず、ただ相手の目をまっすぐ見つめた。
「……みんなは?」
「……今はそんなことを考えなくていい。まずは傷を治すことに専念しなさい。」
「……みんなに、会いに行っても……いいですか?」




