そのハ
「俺、そんな上手くないよ?」
そう言うと、唯ちゃんはくすっと笑った。
「いいの。上手いとかじゃなくて、一緒に歌いたいだけ」
その言葉が、妙に嬉しかった。
僕は唯ちゃんの隣に座り、スマホの画面を覗き込む。
「何歌う?」
「んー……優しい曲がいい」
唯ちゃんは少し考えてから、懐かしいラブソングを流した。
イントロが部屋に広がる。
僕は緊張しながら歌い始めたけど、途中で唯ちゃんが笑い出した。
「ふふっ、ちょっと音外れてる」
「うるさいな」
「でも、そういうとこ好き」
さらっと言われて、心臓が跳ねる。
唯ちゃんは楽しそうに歌いながら、時々こちらを見る。
その笑顔は、店で見せる作った笑顔じゃなかった。
本当に安心してる時の顔だった。
曲が終わると、唯ちゃんはソファに倒れ込む。
「なんか今日、すごい楽しい」
「よかった」
「こんなの久しぶりかも」
天井を見上げながら、唯ちゃんはぽつりと呟く。
「私さ、本当は普通の恋愛したかったんだ」
その言葉に、胸が静かに痛む。
唯ちゃんは続ける。
「仕事終わりに“おつかれ”って言い合って、一緒にコンビニ寄ったりさ」
「うん」
「休みの日にカラオケ行ったり、くだらないことで笑ったり」
そして少しだけ寂しそうに笑う。
「でも、私には無理だって思ってた」
僕はゆっくり唯ちゃんを見る。
「今、してるじゃん」
唯ちゃんは一瞬、言葉を失った。
「……え?」
「普通の恋愛」
部屋が静かになる。
唯ちゃんの目が、少しずつ潤んでいく。
「そんなふうに言われたら……期待しちゃうよ」
「期待して」
そう答えると、唯ちゃんは唇を噛みながら笑った。
泣きそうなのに、嬉しそうで。
そのあと唯ちゃんは、急に立ち上がった。
「ダメ!なんか恥ずかしくなってきた!」
「今さら?」
「今さらなの!」
そう言いながら、うさぎのクッションを僕に投げてくる。
僕が笑うと、唯ちゃんもつられて笑った。
夜はまだ終わらない。
でも僕は、願っていた。
この何気ない時間が、
ずっと続けばいいのに、と。




