その六
夜は少しずつ更けていった。
窓の外ではネオンが滲んで、
部屋の中だけが、別の世界みたいに静かだった。
唯ちゃんはソファに座ったまま、棚の上をちらりと見る。
そこには、小さなうさぎのぬいぐるみが置いてあった。
白くて、耳の長い、少しくたびれたうさぎ。
僕がそれを見ていると、唯ちゃんは少し恥ずかしそうに笑った。
「それ、昔から好きなんだ」
「うさぎ?」
「うん。なんか、放っておけない感じするじゃん」
唯ちゃんはぬいぐるみを抱き寄せながら続ける。
「あとね、私、絵本好きなの」
「絵本?」
意外だった。
唯ちゃんはもっと、大人びたものが好きだと思っていたから。
でも唯ちゃんは、どこか嬉しそうに頷く。
「絵本って、わかりやすいじゃん」
「うん」
「難しい言葉でごまかさないし、“悲しい”とか“嬉しい”とか、ちゃんと真っ直ぐ描いてるから好き」
その言葉は、まるで唯ちゃん自身みたいだった。
誰より傷ついてきたのに、
本当はすごく真っ直ぐで、不器用で。
唯ちゃんはスマホを取り出して、僕に一枚の写真を見せた。
そこには、古い絵本のページが映っていた。
月明かりの下で、うさぎが一人で座っている絵。
「これ、好きなんだ」
「なんで?」
唯ちゃんは少し考えてから、小さく答えた。
「このうさぎ、寂しいのに、“大丈夫だよ”って顔してるから」
胸が苦しくなる。
僕は思わず言った。
「唯ちゃんみたいだ」
その瞬間、唯ちゃんは目を丸くした。
それから少しだけ困った顔をして笑う。
「……そんなふうに見えてた?」
「うん」
「そっか」
唯ちゃんは、うさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
「ねえ」
「ん?」
「もし私が、普通の女の子だったらさ」
「うん」
「絵本屋さんとか、やってみたかったな」
その夢は、静かで、優しかった。
夜の街とは真逆の、小さな夢。
僕はその夢を壊したくなかった。
「似合うと思う」
そう言うと、唯ちゃんは少し笑う。
「店の隅っこに、うさぎの絵いっぱい飾るの」
「絶対行く」
「毎回来てよ?」
「毎日行くかも」
唯ちゃんは吹き出した。
久しぶりに見る、心からの笑顔だった。
その笑顔を見た瞬間。
僕は思った。
いつか本当に、
唯ちゃんが安心して笑える場所を作りたいって。




