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その五

唯ちゃんの「帰らないで」は、震えていた。

強がって、笑って、

ずっと一人で立ってきた人の声だった。

僕は抱きしめたまま、静かに言う。

「帰らないよ」

その一言で、唯ちゃんの肩から少し力が抜けた。

部屋の中は静かだった。

遠くで車の走る音だけが聞こえる。

唯ちゃんは僕の胸に顔を埋めたまま、小さく呟く。

「ねえ……なんでそんな優しいの?」

「優しくしたいから」

「普通、こんな仕事してる女、好きにならないよ」

僕は少しだけ笑った。

「唯ちゃんが思ってる“普通”って、案外つまらないかもよ」

唯ちゃんは鼻をすすって、困ったように笑う。

「なにそれ……」

「俺は、唯ちゃんだから好きになった」

その言葉に、唯ちゃんは何も返さなかった。

でも、服を掴む手だけが少し強くなる。

しばらくして。

唯ちゃんはゆっくり顔を上げた。

泣いたせいで目元は赤くなっていたけど、

その顔はどこか安心したように見えた。

「……今日だけ、隣にいて」

僕は静かに頷いた。

ベッドじゃなく、ソファに並んで座る。

唯ちゃんは小さなクッションを抱えながら、ぽつりぽつりと昔の話をした。

子どもの頃のこと。

家を早く出たこと。

誰にも頼れなかったこと。

笑いながら話しているのに、時々、言葉の奥が痛かった。

僕は何も否定せず、ただ聞いた。

すると唯ちゃんが、不意に笑う。

「なんかさ、不思議」

「何が?」

「こういう時間が、一番恋人っぽい」

その言葉に、胸が熱くなる。

僕は少し迷ってから聞いた。

「……俺たち、恋人になれるかな」

唯ちゃんは驚いた顔をしたあと、静かに目を伏せた。

「簡単じゃないよ?」

「うん」

「私、面倒くさいよ?」

「知ってる」

「傷もいっぱいあるし」

僕はそっと、唯ちゃんの手に触れる。

「それでも、一緒にいたい」

沈黙。

時計の針だけが進んでいく。

そして唯ちゃんは、泣きそうに笑いながら言った。

「……ほんと、バカだね」

でもその声は、どこか嬉しそうだった。

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