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つきよのうさぎ  作者:
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38/302

妊娠

ある春の日。

唯ちゃんは、朝から少し様子がおかしかった。

食卓に並んだ味噌汁を見た瞬間、

「……ごめん、ちょっと待って」

そう言って、慌てて洗面所へ向かう。

僕は心配になって後を追った。

「大丈夫?」

唯ちゃんは小さく頷く。

「うん……でも最近、ちょっと変なんだよね」

顔色も少し悪い。

最初は疲れかなと思った。

絵本の締切も重なっていたし、最近忙しかったから。

でも数日後。

唯ちゃんは、静かな声で言った。

「……もしかして、って思ってる」

その瞬間。

僕の心臓が大きく鳴った。

二人で病院へ向かう道。

唯ちゃんはずっと無口だった。

不安そうに、僕の袖を掴んでいる。

僕も緊張していた。

嬉しさもある。

でも同時に、“自分はちゃんと父親になれるのか”という怖さもあった。

診察室。

時間が、やけに長く感じる。

そして――

先生が、優しく微笑んだ。

「おめでとうございます」

唯ちゃんの目が、大きく揺れる。

「赤ちゃん、いますよ」

その言葉を聞いた瞬間。

唯ちゃんは口元を押さえて、涙をこぼした。

僕も、何も言えなかった。

ただ、胸の奥がいっぱいになっていく。

病院を出たあと。

春の風が、静かに吹いていた。

唯ちゃんはエコー写真を両手で大事そうに持っている。

何度も見て、また涙ぐむ。

「……ほんとなんだ」

小さな声だった。

僕は隣で、静かに頷く。

唯ちゃんは突然、不安そうに言った。

「ねえ」

「うん?」

「私、ちゃんとお母さんになれるかな」

その瞳は、少し揺れていた。

過去に傷ついたこと。

自分を好きになれなかった日々。

いろんな感情が、きっと心の中にあった。

僕はゆっくり言う。

「唯ちゃんなら、大丈夫」

「でも……」

「だって唯ちゃん、ずっと人を優しくしてきたじゃん」

唯ちゃんの目から、また涙がこぼれる。

「絵本でも、言葉でも、俺にも」

春の陽射しが、柔らかく二人を照らしていた。

僕はそっと唯ちゃんのお腹に手を当てる。

まだ小さくて、何も分からない。

でも確かに、“新しい命”がそこにいた。

唯ちゃんは泣きながら笑った。

「なんか不思議だね」

「うん」

「昔の私たちに教えたら、信じないかも」

僕も笑う。

孤独だった僕たちが、

今、未来を抱きしめようとしている。

唯ちゃんはエコー写真を見つめながら、小さく呟いた。

「この子にも、いっぱい“いってらっしゃい”って言いたいな」

その言葉を聞いた瞬間。

僕は、この家がもっと温かくなる未来を、はっきり想像できた。

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