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大切な居場所

教員として働き始めた春。

僕は、小学校の教室に立っていた。

黒板。

小さな机。

朝の光。

「おはようございます!」

子どもたちの元気な声が教室に響く。

その景色を見た瞬間。

胸の奥が、じんわり熱くなった。

――本当に先生になったんだ。

まだ慣れないことばかりだった。

授業の準備。

保護者対応。

子ども同士のケンカ。

毎日が必死だった。

でも、教室には確かに“生きてる時間”があった。

ある日。

一人の女の子が、休み時間もずっと一人で絵を描いていた。

周りの輪に入れず、下を向いている。

僕はそっと隣に座った。

「何描いてるの?」

女の子は少し迷ってから、ノートを見せてくれる。

そこには、小さなうさぎの絵。

僕は思わず笑った。

「かわいいね」

すると女の子は、小さく笑う。

「……うさぎ好きなの」

その瞬間。

唯ちゃんを思い出した。

“優しい言葉は、弱い人を救う”

“泣く日は、優しい日”

唯ちゃんが大事にしてきたものが、

今の僕の中にもちゃんと残っていた。

放課後。

ヘトヘトで帰宅すると、唯ちゃんが玄関から顔を出す。

「おかえり、先生」

その呼び方に、今でも少し照れる。

「ただいま」

唯ちゃんはエプロン姿のまま笑った。

「今日どうだった?」

僕は鞄を置きながら、少し笑う。

「大変。でも楽しかった」

「いい顔してる」

リビングへ行くと、机の上には新しい絵本のラフが広がっていた。

唯ちゃんも、絵本作家として少しずつ仕事をもらえるようになっていた。

出版社との打ち合わせ。

小さな読み聞かせ会。

地域図書館でのイベント。

夢だった“絵本を書く人生”を、ちゃんと歩き始めていた。

夕飯を食べながら、僕は学校での出来事を話す。

「今日、“先生またうさぎの話してる”って笑われた」

唯ちゃんが吹き出す。

「影響されすぎ!」

「唯ちゃんのせいだよ」

「ふふっ」

その笑い声が、家の中を柔らかくする。

夜。

ソファで並んで座りながら、唯ちゃんがぽつりと言う。

「ねえ」

「ん?」

「昔の私たち、想像できたかな」

窓の外では、静かな春の雨。

唯ちゃんは僕の肩にもたれながら続ける。

「こんなふうに、“おかえり”って言える毎日」

僕は静かに答える。

「できなかったと思う」

「だよね」

唯ちゃんは少し笑う。

「でも、不思議」

「何が?」

「傷ついたことも、遠回りしたことも、全部今に繋がってる気がする」

その言葉に、僕はゆっくり頷いた。

幸せって、最初から綺麗な形で来るわけじゃない。

泣いた夜も、迷った日々も、

全部抱えながら、少しずつ作っていくものなんだと思う。

唯ちゃんは眠そうに目を閉じながら、小さく呟く。

「……いってらっしゃいって、いい言葉だね」

僕はその横顔を見て、優しく笑った。

あの日。

たった一言から始まった恋は、

今、誰よりも大切な“居場所”になっていた。

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