その三
唯ちゃんのその言葉が、なぜか胸に残った。
“その人はいなくなっちゃった”
何気なく言ったように聞こえたけど、
その奥には、まだ消えていない痛みがある気がした。
僕は無理に聞かなかった。
聞いてしまえば、唯ちゃんがまた笑顔を作ってしまう気がしたから。
代わりに、缶コーヒーを一口飲んで言った。
「……俺さ、唯ちゃんに会ってから変わったよ」
唯ちゃんは少し驚いた顔をした。
「え、そう?」
「うん。前まで毎日、なんとなく生きてた。仕事して、帰って、寝るだけで」
「今は?」
「今は……明日が来るの、ちょっと楽しみ」
その言葉を聞いた瞬間。
唯ちゃんの表情が、一瞬だけ崩れた。
嬉しそうなのに、泣きそうな顔だった。
「そういうこと、サラッと言うんだね」
「本当のことだから」
部屋の時計が、静かに時を刻む。
外では、遠くで救急車のサイレンが鳴っていた。
唯ちゃんは視線を落としながら、小さく呟く。
「ダメだよ。そんなふうに本気になったら」
その声は、いつもの明るい唯ちゃんじゃなかった。
僕はゆっくり聞き返す。
「どうして?」
唯ちゃんは少し黙ってから、苦笑いした。
「だって私、普通じゃないもん」
「普通って何?」
「昼の仕事して、普通に恋愛して、普通に結婚する人たち」
僕は首を横に振った。
「唯ちゃんは唯ちゃんだよ」
その瞬間。
唯ちゃんの目が、少しだけ揺れた。
誰かに否定されることに慣れてしまった人みたいに。
「……そんなこと言う人、初めて」
「じゃあ最初の一人になれてよかった」
沈黙。
でも、不思議と気まずくはなかった。
唯ちゃんは窓の外を見ながら、小さく笑う。
「ねえ」
「ん?」
「もし私が、ここ辞めたらさ」
そこで言葉を止めて、唯ちゃんは僕を見る。
ネオンの光が、その瞳に揺れていた。
「……会いに来てくれる?」




