そのニ
店を出たあとも、唯ちゃんの「いってらっしゃい」が頭から離れなかった。
電車に揺られながら、窓に映る自分の顔を見る。
疲れていて、冴えなくて、何者にもなれていない顔。
でも、不思議だった。
今日は少しだけ、前を向けている気がした。
――唯ちゃんに、もう一度会いたい。
そんなことを考えている自分に、苦笑いする。
最初はただ、寂しさを埋めるためだった。
仕事に疲れて、誰かに優しくされたかっただけ。
なのに今は違う。
唯ちゃんの笑顔を見たい。
唯ちゃんの話を聞きたい。
そしていつか、自分も唯ちゃんを笑顔にしたい。
そんなことを、本気で思っていた。
数日後。
僕はまた店へ向かった。
ドアを開けると、唯ちゃんは驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。
「また来たんだ」
「……ダメだった?」
そう聞くと、唯ちゃんは少しだけ目を細める。
「別に。嬉しいけど」
その“嬉しい”の一言だけで、胸がいっぱいになる。
部屋に入ると、唯ちゃんはベッドではなく、ソファに座った。
「今日はなんか、顔違うね」
「え?」
「前より、ちゃんと生きてる顔してる」
その言葉に、僕は何も返せなかった。
だって、自分でも分かっていたから。
唯ちゃんに会ってから、少しずつ変わり始めていた。
朝、ちゃんと起きるようになった。
投げ出していた仕事も、少し頑張れるようになった。
コンビニ弁当ばかりだった生活も、ちゃんとご飯を食べるようになった。
全部、小さなことだ。
でも僕にとっては、大きかった。
唯ちゃんは缶コーヒーを開けながら、ぽつりと言った。
「人ってさ、“誰かのため”なら変われたりするよね」
その横顔が、少しだけ寂しそうに見えた。
僕は気づかないふりをしながら、静かに聞いた。
「唯ちゃんは……誰かのために変わったことあるの?」
唯ちゃんは少し黙ってから、小さく笑った。
「あるよ。……でも、その人はいなくなっちゃった」
部屋の空気が、少しだけ静かになる。
僕はその時、初めて知った。
いつも明るい唯ちゃんも、
ちゃんと傷ついてきたんだって。




