約束
唯ちゃんが出ていったあと。
部屋には、静かな雨音だけが残っていた。
机の上には、唯ちゃんが見せようとしていた絵本のラフ。
ページを開く。
そこには、小さなうさぎが描かれていた。
雨の中、一人で立っているうさぎ。
その横に、まだ途中までしか書かれていない文章。
“だいすきなひとと けんかしたひは――”
その先は空白だった。
胸が痛くなる。
僕はソファに座り込み、深く息を吐いた。
唯ちゃんは、ずっと“言葉”を大切にしてきた人だ。
傷ついた人に寄り添うために、
何度も優しい言葉を探してきた。
なのに僕は。
一番近くにいたはずなのに、
その唯ちゃんの心を、ちゃんと見れていなかった。
スマホを見る。
唯ちゃんからの連絡はない。
何度もメッセージを打ちかけて、消した。
“ごめん”
その一言じゃ、足りない気がした。
深夜。
雨はまだ降っていた。
僕は、唯ちゃんがよく行く川沿いへ向かった。
春に、二人で“頑張ろう”って約束した場所。
街灯の下。
唯ちゃんは、本当にそこにいた。
ベンチに座って、膝を抱えている。
僕はゆっくり近づく。
唯ちゃんは気づいていたけど、こちらを見なかった。
しばらく、沈黙。
雨の匂いと、川の音だけが流れていく。
やっと僕は口を開いた。
「……ごめん」
唯ちゃんの肩が、小さく揺れる。
「俺、自分のことでいっぱいになってた」
返事はない。
でも僕は続けた。
「唯ちゃんがどれだけ大事に絵本描いてるか、分かってたはずなのに」
声が少し震える。
「一番支えたかったのに、傷つけた」
唯ちゃんは俯いたまま、小さく言った。
「……私も、ごめん」
「え?」
「あなたも苦しかったのに、ちゃんと見れてなかった」
雨が静かに降る。
唯ちゃんは続ける。
「怖かったんだ」
「……何が?」
「夢を追いかけてるうちに、“大事な人”より、“頑張る自分”ばっかり見ちゃうの」
その声は、泣きそうだった。
「私たち、前はもっと、“一緒に頑張ろう”って感じだったのに」
胸が締め付けられる。
僕はベンチの隣に座る。
「……戻れるかな」
唯ちゃんは少し黙った。
それから、小さく笑う。
「絵本ってさ」
「うん」
「途中でケンカする場面、結構あるんだよ」
雨粒が、街灯にきらきら光る。
「でもね、“ちゃんと話す”と、また一緒に歩けるの」
唯ちゃんは、やっとこちらを見た。
目は赤かった。
でも、その目は逃げていなかった。
僕はゆっくり言う。
「俺、ちゃんと唯ちゃんの話聞ける人でいたい」
唯ちゃんは小さく息を吐く。
「私も、あなたの苦しい時、隣にいたい」
そして。
唯ちゃんは少し照れながら、小指を差し出した。
「……もう一回、約束する?」
僕は笑いながら、その指に自分の指を絡める。
雨の夜。
僕たちは完璧じゃないまま、
もう一度、隣に座り直した。




