秋
秋。
ついに、僕の教育実習が始まった。
初日の朝。
鏡の前でネクタイを締めながら、手が少し震えていた。
「緊張してる?」
後ろから、唯ちゃんが顔を覗き込む。
「めちゃくちゃしてる」
「ふふっ」
唯ちゃんは笑いながら、僕のネクタイを整えた。
「大丈夫。子どもたち、絶対あなたのこと好きになるから」
「そうかな……」
「うん。だって優しいもん」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。
家を出る時。
唯ちゃんは玄関まで来て、あの日みたいに笑った。
「いってらっしゃい!」
その瞬間。
僕は初めて唯ちゃんに会った夜を思い出していた。
ネオン街の帰り道。
心に雷みたいに響いた、“いってらっしゃい”。
あの言葉が、今も僕を前へ進ませている。
小学校へ向かう道。
ランドセルを背負った子どもたちが、元気に走っていく。
校門を前にすると、急に心臓が速くなった。
――本当に、自分が先生を目指してるんだ。
職員室で挨拶を終え、教室へ入る。
「今日から教育実習に来ました、山本です」
すると子どもたちが、一斉にこちらを見る。
「せんせい若い!」
「ほんとに先生?」
「緊張してる!」
教室に笑いが起きた。
僕も思わず笑ってしまう。
その瞬間、不思議と怖さが少し消えた。
授業中。
一人の男の子が、ずっと俯いていた。
プリントも白紙のまま。
周りの子が騒いでいても、反応しない。
僕はそっと、その子の隣にしゃがむ。
「難しい?」
男の子は小さく頷いた。
昔の自分を思い出した。
“できない”って言えなくて、
一人で抱え込んでいた頃の自分。
僕は優しく言う。
「ゆっくりで大丈夫だよ」
その子は少し驚いた顔をした。
そして小さな声で、
「……うん」
と返してくれた。
放課後。
ヘトヘトになって帰ると、唯ちゃんが玄関で待っていた。
「おかえり!」
その声を聞いた瞬間、全身の力が抜けそうになる。
唯ちゃんは僕の顔を見て、すぐ笑った。
「頑張った顔してる」
「疲れた……」
「先生って大変でしょ?」
僕はソファに倒れ込みながら笑う。
「うん。でも……楽しかった」
唯ちゃんは嬉しそうに目を細める。
「でしょ」
僕は天井を見上げながら、静かに呟く。
「子どもって、ちゃんと見てるんだな」
「うん」
「優しくされたことも、不安なことも」
唯ちゃんは隣に座り、僕の頭をそっと撫でた。
「あなた、きっといい先生になるよ」
その言葉を聞きながら。
僕は思った。
誰かを安心させられる人になりたい。
あの日、唯ちゃんが僕にしてくれたみたいに。




