夏
夏。
僕の通信教育は、想像以上に大変だった。
仕事を終えて帰宅する頃には、もう夜。
そこからレポートを書き、オンライン授業を受け、教育実習の準備も進める。
眠気で文字が霞む日もあった。
「……きつい」
机に突っ伏しながら呟くと、隣で絵を描いていた唯ちゃんが顔を上げる。
「休憩する?」
「いや、もう少しやる」
そう言いながらも、正直、心は折れかけていた。
周りの学生は若い人も多い。
覚えるスピードも違う。
“今さら挑戦して意味あるのかな”
そんな不安が、時々頭をよぎった。
その夜。
レポートを書き終えた頃には、もう深夜二時を回っていた。
僕はベランダへ出て、夜風を吸い込む。
空には、ぼんやり月が浮かんでいた。
しばらくすると、唯ちゃんも隣へ来る。
うさぎ柄のパジャマ姿で、眠そうに目をこすっている。
「まだ起きてたの?」
「あなた待ってた」
その一言だけで、疲れが少し消える。
唯ちゃんは僕の隣に並び、空を見上げた。
「頑張ってるね」
「……ちゃんと進めてるのかな、俺」
珍しく弱音が出た。
唯ちゃんは少し黙ってから、小さく笑う。
「ねえ」
「ん?」
「絵本ってさ、一ページずつしか進まないんだよ」
僕は唯ちゃんを見る。
「いきなり最後のページには行けないの」
夜風が優しく吹く。
「でも、一ページずつ描いてたら、ちゃんと物語になる」
その言葉は、不思議なくらい胸に染みた。
唯ちゃんは僕の肩に頭を乗せながら続ける。
「あなたも今、“先生になる物語”の途中なんだよ」
僕は思わず笑う。
「唯ちゃん、たまにすごいこと言うよね」
「たまに?」
「いつもかも」
唯ちゃんは照れながら、僕の腕を軽く叩いた。
そして小さな声で言う。
「私ね、楽しみなんだ」
「何が?」
「あなたが先生になる日」
その瞳は、まっすぐだった。
「きっと、泣いちゃうと思う」
「早いよ」
「でも絶対泣く」
僕は笑いながら空を見上げる。
昔の僕なら、こんな未来、想像もできなかった。
誰かと支え合って、
未来の話をして、
“頑張りたい”と思える人生。
全部、唯ちゃんと出会ってから始まった。
すると唯ちゃんが突然、思い出したように言う。
「あ、そうだ」
「ん?」
「今度、大学で絵本の読み聞かせイベントあるの」
「いいじゃん」
「子どもたち来るんだけど……」
唯ちゃんは少し不安そうに笑う。
「ちゃんと笑ってくれるかな」
僕は迷わず答える。
「絶対、唯ちゃんのこと好きになるよ」
その瞬間。
唯ちゃんは、少し泣きそうな顔で笑った。




