完璧なヒーローはでてこない!
『つきよのうさぎ』は、大学の先生たちの間で静かに評判になった。
「言葉がやさしい」
「子どもだけじゃなく、大人にも届く」
そんな感想をもらうたび、唯ちゃんは照れながら笑った。
でも帰り道になると、いつも少し不安そうに聞いてくる。
「……ほんとに、よかったのかな」
僕はそのたびに答える。
「よかったよ」
「即答だ」
「だって本当にそう思ってるから」
冬の夜道。
コンビニで買った肉まんを半分こしながら、僕たちは歩く。
唯ちゃんは白い息を吐きながら、ぽつりと言った。
「ねえ、私ね」
「うん」
「最近、昔のこと思い出しても、前みたいに苦しくなくなった」
僕は静かに唯ちゃんを見る。
唯ちゃんは続ける。
「風俗で働いてたこと、消したい過去だって思ってたんだ」
「……」
「でも今は、“あの頃の私”がいたから、今の私がいるって思える」
街灯の光が、唯ちゃんの横顔を優しく照らしていた。
「傷ついたことも、寂しかったことも、全部ムダじゃなかったんだって」
その声は穏やかだった。
昔の自分を、やっと抱きしめられるようになった人の声だった。
僕はゆっくり言う。
「唯ちゃん、強くなったね」
すると唯ちゃんは、少し笑う。
「違うよ」
「え?」
「強くなれたんじゃなくて、“弱いままでもいい”って思えるようになったの」
風が吹いて、雪が静かに舞った。
唯ちゃんは空を見上げる。
「絵本ってさ、完璧なヒーロー出てこないでしょ?」
「うん」
「泣いたり、迷ったり、転んだりする。でも、それでも前に進くから好きなの」
そして僕を見る。
「人も同じなんだと思う」
その言葉に、胸が温かくなる。
駅前まで来た時。
唯ちゃんが急に立ち止まった。
「ねえ」
「ん?」
「来年さ」
少し照れながら、でも嬉しそうに笑う。
「絵本のコンテスト、応募してみようかな」
「いいじゃん」
「落ちるかもしれないよ?」
「それでも、唯ちゃんの物語は誰かに届くよ」
唯ちゃんはしばらく黙っていた。
それから、そっと僕の手を握る。
「……あなたが最初に信じてくれたんだよ」
その手は、あの日より温かかった。
夜のネオンに照らされながら、僕は思う。
あの時。
唯ちゃんの「いってらっしゃい」に救われたのは、僕だけじゃなかったんだって。




