うさぎの万年筆
それから数ヶ月後。
唯ちゃんは本当に店を辞めた。
最後の日、スタッフのみんなに泣きながら送り出されたらしい。
「唯が辞めるなんてねぇ」
「絶対また会いに来なよ」
そんな言葉をもらって、唯ちゃんも笑いながら泣いたと言っていた。
でも店を出たあと、唯ちゃんは空を見上げながら思ったらしい。
――やっと、自分の人生を始められる。
春。
桜が咲き始めた頃。
唯ちゃんは大学の入学式へ向かっていた。
淡いベージュのコート。
白いブラウス。
少し緊張した顔。
でも、その横顔は前よりずっと明るかった。
大学の門の前で僕を見つけると、唯ちゃんは嬉しそうに手を振る。
「いた!」
「約束したからね」
唯ちゃんは照れくさそうに笑う。
「ほんとに来ると思わなかった」
「ひどいな」
「だって、夢みたいだったから」
桜の花びらが、ふわりと風に舞う。
唯ちゃんは学生証を胸に抱きながら、小さく息を吐いた。
「なんか不思議……」
「何が?」
「昔の私なら、“どうせ無理”って諦めてたと思うから」
唯ちゃんは大学の校舎を見上げる。
その目は、不安もあるけど、ちゃんと未来を見ていた。
「ねえ」
「ん?」
「私、頑張るね」
僕は頷く。
「うん」
「絵本、ちゃんと描けるようになりたい」
「唯ちゃんなら描けるよ」
「その“絶対できる”って感じ、どこから来るの?」
「唯ちゃんが、誰かの心を動かせる人だって知ってるから」
唯ちゃんは少し黙る。
それから、恥ずかしそうに笑った。
「……また泣きそう」
僕は鞄から小さな包みを取り出した。
「入学祝い」
「え?」
唯ちゃんが開けると、中には小さなうさぎの万年筆が入っていた。
白いうさぎの飾りがついた、可愛いペン。
唯ちゃんは目を丸くする。
「かわいい……」
「それで、いっぱい物語書いて」
その瞬間。
唯ちゃんの目に、涙が浮かんだ。
「……ありがとう」
かすれた声だった。
でもその顔は、初めて会った夜より、ずっと幸せそうだった。
遠くで入学式の案内が聞こえる。
唯ちゃんは涙を拭いて、僕を見る。
「行ってくる」
その言葉に、僕は少し笑った。
あの日。
店の帰り際に聞いた言葉を思い出す。
だから今度は、僕が言う番だった。
「――いってらっしゃい、唯ちゃん」




