056・劣勢
(――何でここにっ?)
シャン
僕は即座に『古樹の霊剣』を抜き、構える。
クレティーナさんも油断なく、目の前に現れた人喰赤鬼を見据えながら、半身の姿勢で槍を構えていた。
『グルル……ッ』
奴は、低く唸る。
その時、
(あれ……? 怪我してる?)
僕は、奴の体表に紫色の血液が付着していることに気づいた。
少量ではない。
かなりの出血。
よく観察したら、奴の全身に無数の傷があり、左目の上にも深く裂傷が刻まれていた。
(何だ?)
僕は困惑。
けれど、隣の美女は得心したように頷く。
「レオたちですね」
「え?」
「私たちの落下後、奴は、レオとパルの2人と戦闘になったのでしょう」
「あ……」
「不意を衝いた1度目はともかく、金印のレオナック・オルンから2度逃げるのは簡単ではありません。その代償の負傷かと……」
(なるほどね)
その推論に、僕も納得だ。
僕も言う。
「じゃあ、レオナックさんから逃げて、奴も谷底へ?」
「恐らくは」
頷くクレティーナさん。
(そっか)
あの巨体でありながら、その登攀力は凄まじかった。
いくら王国最強の冒険者でも、100メートル近い谷底への移動は簡単ではないし、負傷させて追い込みながらも逃げられてしまったんだろう。
ま、150年を生きた老獪な魔物だしね。
で、結果、
(先に落ちた僕らと鉢合わせした……と)
そういう現状だ。
お互い、想定外。
あるいは、人喰赤鬼にしたら、レオナック・オルン1人より、僕ら2人を相手した方が生存率が高いと計算したのかもしれない。
何にしても、
(戦闘は避けられないね)
と、理解する。
僕らはクエストで、奴を殺さないといけない。
知能の高い奴だって、自分を殺そうとする脅威をそのままにしておけないだろう。
確実に排除しておきたいはずだ。
だから、
『ホギャアッ!』
ズシャッ
猿鬼の魔物は、拳法家のように構え、両手の爪を僕らに向けた。
ただ、爪の何本かは折れている。
(レオナックさんかパルシュナの仕業かな……?)
でも、殺意の強さは変わらない。
ビリリッ
肌が泡立つ圧力。
生物的本能で逃げ出したい衝動に駆られ、けれど、『光合成』で全身に流れる熱い『聖気』がそれを打ち消していく。
パアアッ
葉っぱが輝く。
(負けるか……!)
下っ腹に力を込め、恐怖に耐える。
一瞬、クレティーナさんの視線が僕の様子を見て、少しだけ笑った。
すぐに前を見据え、
「私たちで奴を狩ります」
「うん」
「大丈夫、必ず勝てます。――行きますよ、シーナ!」
「うん!」
彼女の言葉に、僕も強く答える。
そして、
ダダンッ
僕とクレティーナさんは小剣と槍を構えると、目の前の人喰赤鬼を狩りに一緒に走り出したんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
走りながら思考する。
敵は、人喰赤鬼――冒険者ギルドでは『銀印2人』以上が推奨される魔物だった。
クレティーナさんは『銀印』だ。
つまり、
(僕が『銀印』並みに戦えないといけない……っ!)
正直、責任が重い。
かなりのプレッシャーだ。
せめて、相手が負傷しているのが救いだろうか。
多少なりとも、戦闘力は落ちるはずだから……。
そんなことを考える僕と、並走するクレティーナさんの接近に対して、150年を生きた猿鬼の魔物は静かに待ちの体勢で構えている。
ジッ
老獪な眼差し。
(……っ)
僕らを見定めるような、知の光がある。
と、その時、僕よりも武器も手足も長いクレティーナさんが先手を取り、鋭く『流星の槍』を突き出した。
キュボッ
空気が貫かれる音。
同時に、人喰赤鬼は軽く左手を動かした。
パン
長い爪が軽く穂先を叩く。
「!?」
瞬間、槍は軌道を外し、彼女は引き寄せられるように前に倒れ込む。
(うわっ?)
合気道?
奴は槍の刺突の勢いを利用し、彼女の体勢を崩したのだ。
弾いた爪は、
ヒュッ
裏拳の要領で、彼女の首を狙う。
「……っ」
ガィイン
間一髪、槍の柄部分で受け止め、斜めに逸らす。
火花が散り、甲高い音が弾ける。
クレティーナさんは長い髪を翻し、地面を転がるようにしながら距離を取って立ち上がり、再び槍を構え直した。
(この……っ)
僕も仕掛ける。
手にした『古樹の霊剣』を上段に構え、
タン
軽く跳躍。
光合成で強化された脚力は、5メートルもの巨体の魔物の頭部まで軽々と到達する。
合わせて、
(お願い……!)
足元の植物に命じる。
ザザザッ
川原の地面に生えていた草木が枝葉を伸ばし、巨大な魔物の両足首へと何重にも絡みつく。
奴は一瞬、驚き、
(――今!)
「やああっ!」
その隙を狙い、僕は剣を振り下ろした。
足は固定され、回避はできない。
はずなのに、
スカッ
(え?)
かわされた。
両足を植物に縛られた状態で、奴は上半身だけを後方に倒し、まるでブリッジするように剣を回避してみせたのだ。
嘘ぉ……?
僕はその上を通り抜け、地面に着地。
剣を構え直して、振り返る。
ブチチッ
その時には、人喰赤鬼は足に絡まる草木を長い爪で切断し、自由を取り戻していた。
と、奴は僕らを見て、
『キキ……ッ』
小さく嗤った。
(あ……)
自然と理解する。
奴の『格付け』が終わったのだと感じた。
僕らの実力を見極め、格下だと判断し、だからこそ、僕らを嬲り、楽しめそうだと嗤ったのだ。
老獪で、知能が高いからこその残虐さ。
それを感じた。
ヒュン
同じことを感じたのか、クレティーナさんが槍を回転させ、気合を入れ直したように構え直す。
深い息。
集中が増している。
チラッ
一瞬、目が合う。
(――うん)
視線の意味を理解し、僕も頷く。
1対1じゃ、絶対に勝ち目がない。
だからこそ、2人で。
お互いに協力し、息を合わせ、動きを連携させて戦おう――その確認と要請だった。
僕も、深く息を吐く。
静かに、集中する。
雑念は、心の奥深くに沈めていく。
パアアッ
頭の2枚の葉っぱも輝きを増し、熱い『聖気』を全身に流していく。
(……うん、感じる)
わかる。
クレティーナさんの狙いが。
今からどう動き、どう仕掛け、どう対処するつもりなのかが、葉っぱの超感覚でわかってしまう。
(よし!)
僕らはもう1度、仕掛けようとする。
と、その時、
クッ
人喰赤鬼は、僅かに身を屈める。
次の瞬間、
『ホギャアアッ!』
凄まじい咆哮を上げると、川原の地面を吹き飛ばし、今度は奴の方から僕らに突進してきたんだ。
(なっ!?)
この野郎……!
僕らの戦意が読まれ、逆に先手を奪われた。
狙いは、クレティーナさんか。
「っ」
彼女も息を詰め、格上の魔物相手に白い槍で応戦していく。
ガギッ ガガガッ ギィン
激しい攻防。
何度も繰り出される鋭い爪を、彼女の槍が必死に防ぎ、弾き、逸らしていく。
火花が散り、砂利が飛ぶ。
(このっ!)
僕も援護のため、そちらに駆ける。
けど、
ガヒュン
「!?」
奴の足が後ろ向きに地面を蹴り、拳大の石礫を僕の顔面に飛ばしてきた。
慌てて、古樹の霊剣で弾く。
ガィィン
(のわっ!?)
凄まじい衝撃。
その威力に押され、僕はたたらを踏む。
(いやいや……)
嘘でしょ?
1度も振り返っていないのに、正確にこちらの頭部を狙ってくるなんて、どうなってんの……?
僕は、唖然だ。
その間にも、奴とクレティーナさんの戦闘は続く。
(ええいっ!)
止まってる場合か。
僕は再び、走り出す。
人喰赤鬼が足で飛ばす石礫を何とか弾き、回避しながら、接近する。
すると、
『ギギ……ッ!』
奴は、また嗤った。
醜悪な笑みを浮かべながら、僕ら2人に対し、徒手空拳の技で応戦してくる。
まさに、武術の達人のように。
ガッ ギギン
1対2の不利を物ともせず、格下の人族を相手に互角以上に圧倒し、むしろ、ジワジワと僕らの方が追い込まれている。
(く、そぉ……!)
何て奴だ。
負傷して尚、この強さ。
こんな化け物と互角に戦っていた『金印の冒険者』レオナック・オルンの強さを、改めて思い知る。
でも、今、彼女はいない。
(僕ら2人でやるしかないんだ……!)
悲壮な覚悟で剣を振る。
植物の力を借りた足止めや牽制を交え、光合成の身体能力を駆使して、懸命に習った剣技を繰り出していく。
奴の強さに、必死に喰らいつく。
クレティーナさんも同様だ。
美貌に汗を散らし、懸命に動き、時に未熟な僕をサポートし、見事な判断で立ち回る。
だけど、届かない。
奴の急所に、槍の穂先は触れられない。
むしろ、
ビッ ガシュッ
彼女の鎧や衣服、そして肌に、奴の爪が掠り、裂傷を負っていく。
赤い鮮血が舞う。
僕も同じ。
(痛っ)
細剣のような爪で腕を抉られ、脇腹を割かれ、巨大な足裏で蹴られ膝の関節を砕かれる。
何度も繰り返す激痛。
だけど、
(治れ!)
パアアッ
葉っぱを光らせ、即回復させる。
光合成スキルがなかったら、僕はとっくに戦線離脱していただろう。
圧倒的不利な戦局。
辛うじて保たれる、一進一退の攻防。
だけど、
(――あ)
その危うい均衡は、突如として崩れ出した。
◇◇◇◇◇◇◇
ガィン
鋭い爪の手刀を、白い槍が受ける。
激しい火花が散り、クレティーナさんは槍を回転させ、手刀の威力を減少させながらも後方に大きく弾かれた。
「く……っ」
ザザアッ
何とか、着地。
けれど、人喰赤鬼は止まらない。
体勢を立て直そうとする彼女目がけて突進し、追撃を重ねていく。
ガッ ギィン
クレティーナさんは防戦一方だ。
(このっ!)
援護のため、僕も突っ込む。
けれど、
バキィン
「がっ」
奴の後ろ蹴りが僕の小さな身体を弾き飛ばし、近くの大岩に背中からぶつかった。
強い痛み。
そして、
(い、息が……)
横隔膜を含め、全身が硬直してしまう
咄嗟に動けない。
大きな隙を作り、やられる……と思った。
でも、
(……あれ?)
僕への追撃はない。
人喰赤鬼は、ただ目の前のクレティーナさんだけを狙い、攻撃し続けていた。
え……?
僕は、少し唖然。
硬直から回復し、再び挑む。
だけど、奴は僕を見ない。
ヒュッ ボッ
牽制のように後ろ手、後ろ足を振り回されるぐらいで、脅威となる反撃は一切ない。
だからか、
シュパッ
何度か、小剣の刃が届くようになる。
ただ、浅い。
最低限の回避行動だけはされている。
更に奴は、その間ずっと僕を無視したまま、クレティーナさんのみを襲っている。
(まさか)
その変化の意味を悟る。
――人喰赤鬼は、狙いを『クレティーナさん』1人に絞ったのだ。
つまり、優先順位。
この戦闘中、僕は何度も『光合成』の回復を行った。
腕を斬られ、足を折られ、腹部を貫かれ、けれど、死ぬことなく復活して戦線に戻り続けていた。
――簡単に殺せない。
そう認識されたのだろう。
一方で、クレティーナさんの負傷は治らぬまま。
また実力的にも、僕は未熟でクレティーナさんの方が鍛えられている分、僕を後回しにできる余裕もあり、彼女を先に殺して、そのあと、時間をかけて僕を殺せばいいと判断されたのだと思う。
高い知性。
戦闘中に、その判断ができる冷静さ。
(本当に凄い……)
その老獪さに、畏怖すら覚える。
そして、その決断はあまりに有効的だった。
ガシュッ ビシッ
「……っ」
必死に応戦するクレティーナさんだったけれど、時間経過と共に負傷が増えていく。
1対1では、やはり劣勢。
何度も出血し、空中にも鮮血が散る。
(クレティーナさん!)
僕も必死に援護する。
奴を背中から斬りつけ、植物の力で足止めを行い、少しでも彼女を助けようとした。
でも、足りない。
僕の剣は振り返らずにかわされ、絡みつく植物は簡単に千切られ、逆にカウンターの裏拳が僕に直撃し、再び遠くまで弾き飛ばされてしまう。
(げはっ)
肋骨が折れたのか、激痛が走る。
口から血が垂れる。
パアアッ
必死に葉っぱを光らせ、回復させる。
でも、その間に、クレティーナさんは人喰赤鬼に攻められ続け、どんどんと追い込まれていく。
まずい。
まずいまずい。
(このままじゃ、負ける……!)
そんな流れだ。
何とか、状況を打開しなければ。
その思いは、彼女も一緒だったのだろう――銀印の冒険者クレティーナ・レヴィンは、決死の覚悟で奴の攻撃をかい潜ると、その一瞬の隙を衝き、大きく跳躍して奴との距離を取った。
その空中で、
ヒィン
槍が光る。
「――貫け、白き流星槍!」
彼女の必殺の魔法が発動し、空中に3本の『光の槍』が生まれた。
上手い……!
絶妙のタイミングだ。
人喰赤鬼も振り返り、けれど、回避できる体勢ではない。
――当たる。
僕は確信した。
魔力が溜まり、光の槍が発射する――その寸前、
クパッ
猿鬼の口が限界まで開いた。
直後、
ドパァン
見えない何かが射出され、空中にあったクレティーナさんの身体が後方へと弾き飛ばされた。
(……え?)
上半身が捻じれるように回転し、地面へと落下する。
ドシャア
土煙を上げ、転がり、止まる。
身体の下の地面に、赤い液体が広がっていく。
カラン
槍が、手から離れた。
空中に輝く3本の『光の槍』が薄れ、溶けるように消えてしまう。
(は……?)
僕は、動けない。
彼女の長い髪が地面に広がり、表情もわからず、ただその姿はピクリとも動かなかった。
何が……?
いや、わかっている。
光合成の超感覚が、伝えている。
――衝撃波。
奴は、空気の砲弾を放ち、クレティーナさんを吹き飛ばしたのだ。
(ああ……)
思わぬ切り札。
こんな特殊で強力な技を、あの老獪な魔物は、最後の最後まで隠し持っていたのだ。
何て奴だ……!
「ぅ……」
(はっ)
彼女から、かすかに呻き声がした。
生きてる!
(すぐに治さないと……!)
僕は走り出そうとし、
ズン
直前、重い足音を響かせ、巨体の怪物が先に彼女の方へと歩き出した。
(!)
とどめを刺す気だ。
僕は焦る。
奴を止めないと。
でも、僕1人で……?
だけど、止められなければ、クレティーナさんが今度こそ殺されてしまう。
ズン ズン
歩き続ける赤い猿鬼。
負傷も多く、消耗も見える。
けれど、150年を生きた怪物は、その眼に強い殺意と歓喜を灯して、倒れたあの人へと近づいていく。
暗い愉悦。
手強い獲物だった。
けれど、戦局を計算し、動かし、追い詰め、最後には見事、その獲物を仕留めたのだ。
その自負を感じる。
そして、このあとに起きる、自身の残虐性を満たせる瞬間への期待が、興奮が、奴に醜い嗤いを浮かべさせていた。
(あ……)
嗤っている、だと?
あの人を傷つけ、殺すことを楽しんで……?
……ああ、そう。
僕は、それを理解し、
プチン
瞬間、僕の中の何かが切れた。




