055・悪鬼再来
(ん……?)
しばらく歩くと、何かの音が聞こえてきた。
低く、重い音。
多少、不規則に揺らぎながら、けれど、継続して響いてくる。
何だろう?
そのまま、川沿いに進む。
すると、
(あ……)
「――滝だ」
と、僕は口にした。
落差は30メートルぐらい。
幅の広い川なので、かなりの水量と迫力があり、大量の飛沫が白く広がっていた。
少し変だったクレティーナさんも、我に返る。
「まぁ、滝ですね」
「うん」
「そう言えば、意識を失う前、シーナを抱えたまま、ここから落ちた記憶があります」
「え、そうなの?」
「はい。そのあとは覚えていませんが」
「へ~?」
そっか。
つまり、滝から落ちた衝撃で、彼女も意識を失い、あの状態に……。
(…………)
お互い、本当、よく生きてたよ。
よかった、よかった。
だけど、滝があるということは、地面にも高低差が生まれている訳で、僕らの目の前にも岩壁がそびえている。
(登るの、大変そう)
しかも、岩も濡れてる。
滑り易く、より危険な状態だ。
森の方を見るけれど、うん、そっちの方が滝よりも高低差のある崖になっている。
ここが、1番低い。
う~ん、
(ここから行くしかないか)
と、巨大な滝の横の岩壁を見つめる。
隣で同じように見上げていたクレティーナさんは、やがて、大きく息を吐く。
僕を見て、
「ここから登りましょう」
「あ、うん」
「ただ1度、森に入り、蔦や何かをロープにして、お互いの身体を縛ります」
「あ、命綱?」
「はい」
彼女は頷き、
「シーナが落ちても、私が必ず支えます」
と、笑った。
(…………)
本当、献身性の高いお姉様。
あるいは、母性が強いのかしら?
僕も頷き、
「じゃ、僕もクレティーナさんが落ちた時は絶対に支えるね!」
と、強く伝える。
彼女は紫色の目を瞬く。
すぐに嬉しそうに「はい」と笑った。
僕らは森に入る。
大きな木の枝に太さ3センチぐらいの蔦が絡まり、垂れていたので、それを拝借する。
グッ グッ
引っ張るけど、
(うん、丈夫)
全然、切れそうにない。
滝横の岩壁前に戻り、お互いを縛る。
ギュッ
う……少し苦しい。
弾力ないからね。
でも、これが万が一の時、クレティーナさんの命を守るのならと我慢する。
(ん、よし)
彼女も締まり具合を確認し、
「大丈夫そうですね。――では、行きましょうか」
「うん」
「私が先に。シーナはあとに続いてください」
「うん、わかった」
僕は頷いた。
彼女も頷き、濡れた岩の崖を見つめると、やがて、その長い腕を伸ばして手をかけた。
グッ
その姿が登っていく。
(よし、僕も)
岩の凹凸を掴み、
クン
と、身体を持ち上げる。
(うむ、軽い)
光合成の力があるから、自分の体重なんてないみたいなものだ。
握力も強いし。
意外と余裕かも?
そうして、僕も登っていく。
命綱の間隔は約2・5メートル程で、お互いの邪魔にならないよう、蔦が張らないよう注意しながら2人でペースを合わせていく。
(んしょ、んしょ)
今の所、僕は安定している。
上を見ると、
(は……!)
ズボン姿のお姉さんのお尻と股間が丸見えだ。
い、いかん。
すぐ前の崖だけを見よう。
紳士な僕は真っ赤になりながら、クライミングを続ける。
やがて、約20メートル――全体の3分の2ぐらいを登った。
と、その時、
(ん?)
先を行くクレティーナさんの動きが止まる。
疲れたのかな?
僕は『光合成』で回復する分、余裕がある。
しばし待つ。
だけど、動かない。
(あれ?)
不思議に思い、
「クレティーナさん?」
と、声をかける。
数秒の間があり、
「道がありません」
「……え?」
「掴める岩の凹凸がなく、これ以上、登れるルートがなくなりました」
「…………」
え、ええ~!?
(何それ?)
でも、確かに目を凝らせば、これ以上上の岩は皆、表面が丸まり、ツルツルしている。
しかも、濡れてる。
水流で削られたのかな?
(じゃあ、他の場所は……?)
と、左右を見る。
だけど、崖の状況は、この高さまで来ると全体が同じ感じだった。
彼女は息を吐き、
「1度、降り、対策を考えないといけませんね」
と、悩ましげに言う。
本気……?
(こ、ここまで登ったのに~)
心の中で嘆く。
でも、これ以上、登れないなら仕方ない。
崖に捕まってても握力が落ちていくだけだし、何か考えるにしても地上に戻った方がいいだろう。
……悔しいけど。
(無念)
と、承諾しようとした時、
――葉の冠を抱く王様。
――私たちがお助けしましょうか?
――少々、お待ちを。
(え?)
不意に声が聞こえた。
物理的な音ではなく、思念の声――つまり、植物たちの声だ。
顔を上げる。
滝横の崖は、基本、岩だ。
だけど、その岩の崖にも、背の低い木々が何本か、逞しく生えていた。
進路上にも3本、生えている。
そして、
ザワザワッ
(お……?)
その3本の木の枝が揺れると、突如、グググッと伸びだした。
重力に負け、先端は下に垂れる。
つまり、僕らの方へ。
クレティーナさんも目を見開く。
「これは……?」
(わぁ)
僕も驚く。
目の前の岩の崖に、長い枝が何本も張り巡らされ、絡まり合って、まるで天然の縄梯子みたいになっていた。
再び、植物の声がする。
――さぁ、お掴まりください。
――どうぞどうぞ。
――必ず切れずに、御身を支えますので。
数秒、呆け、
(うん、ありがとう)
と、僕は心の中でお礼を言う。
伝わったのか、植物たちも嬉しそうに笑った気がした。
その時、ようやくクレティーナさんが何かに気づいたように僕を見る。
「まさか……シーナ?」
「うん」
僕は頷く。
「みんな、困ってる僕らを助けてくれるみたい」
「…………」
「さ、行こう」
パアアッ
笑う僕の頭では、2枚の葉っぱが天使の輪のように光輝いていた。
彼女は、眩しそうに瞳を細める。
やがて、僕らは植物たちの作ってくれた天然の縄梯子に手をかけた。
ギュッ
少し軋む。
でも、切れない。
岩の崖の表面、空中に浮いているので、多少、不安定さはあるけれど、確実に登れそう。
ギッ ギシッ
ゆっくり慎重に木の枝を掴み、踏む。
上へ、上へ。
やがて、僕とクレティーナさんは崖上の地面へと到着する。
「ふぅ」
「はぁ~」
安定した地面に腰を下ろすと、2人して安堵の息が漏れてしまう。
と、彼女が僕を見る。
「シーナは本当に凄いですね」
「え?」
「おかげで、無事に登れましたね。本当にありがとう、シーナ」
と、微笑み、
ナデナデ
その白い手で、僕の金髪を撫でてくれる。
(あ……えへへ)
こちらも照れ笑い。
青い目を細めながら、
「うん!」
と、元気に答えた。
その心地好さに浸りながら、
(植物のみんなもありがとう、助かったよ)
と、心の中で感謝する。
その僕の思考に応えるように、崖に生えた背の低い木々たちは、風もないのにサワサワと梢を揺らしたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
崖を越えたあとも、僕らは川岸を進む。
砂利と土の足元。
起伏もあり、川は曲がりくねり、それに合わせて谷間の景色も遠くまでは見通せない。
(どこまで続くのかな?)
悪い足元に注意しながら、延々と歩く。
やがて、
「1度、休憩にしましょう」
と、クレティーナさん。
(あ、うん)
1時間ほど歩いて、僕らは休むことにする。
近くの岩を椅子代わりに座る。
野営道具など大きな荷物は狗竜に積まれ、今、手元にはない。
でも、クレティーナさんは腰にポーチを装着していて、中から携帯食料を取り出した。
防水紙で包装されているため、水没しても大丈夫みたい。
紙を剥き、
「さぁ、シーナ」
と、1つを渡そうとしてくれる。
それを見て、
「ううん、いらない」
と、僕は首を振った。
彼女は「え?」と目を丸くする。
僕は、自分の頭を指差し、
「ほら、僕、葉っぱがあるからさ。食事は水だけで大丈夫なんだよ」
「あ……」
「幸い、川もあるし」
「…………」
「今後、何があるかわからないから、携帯食はクレティーナさん1人で食べて」
「シーナ……」
「ね?」
最後に、僕は笑う。
優しいお姉さんは、少し複雑そうな顔をする。
理性ではわかる。
でも、感覚的に自分1人が食べて、子供の僕は足を水に浸けるだけという状況に罪悪感を感じるのだろう。
(う~ん)
凄く悩ましそうだ。
やがて、
「……わかりました」
と、ため息交じりに頷く。
うん、理性が勝ったらしい。
やがて、彼女は携帯食をかじり、僕はその隣に座りながら靴を脱ぐと、素足を川の水に入れた。
う、冷たい。
でも、
(んん、美味しいや)
すぐ表情が緩む。
頭の葉っぱも輝き、元気に開いている。
その様子を眺め、
「……ふふ」
彼女は苦笑し、僕の頭を撫でてきた。
そんな風にして、少し奇妙な食事の時間を一緒に過ごす。
他に人はいない。
聞こえるのは、川の流れるせせらぎと風に揺れる葉擦れの音、そして、時折、何かの鳥らしい鳴き声がするぐらいだ。
視線を巡らせる。
山岳地の谷間は長く続き、川の左右は森と崖のままである。
それが遠方まで、延々と続く。
高さも最低70メートルぐらいはある。
一見、登れそうな箇所は見当たらないけれど……う~ん、植物の力を借りたら、さっきみたいに上手く登れないかな?
チャポッ
隣を振り返り、
「ねぇ、クレティーナさん?」
「はい?」
と、こちらを見る彼女に、今の考えを伝えてみた。
彼女は頷き、しばし考える。
そして、
「いえ、やめておきましょう」
と、答えた。
(どうして?)
そう見つめる僕に、彼女は言う。
「植物の力を借りても、確実に登れる保証はありません」
「あ……うん」
「それと、今、怖いのは、レオやパルとすれ違いになり、合流できないことだと思います」
「え?」
すれ違い?
意味がわからない僕に、クレティーナ先生は説明してくれる。
「私たちの転落後、2人は私たちの捜索をしてくれると思います」
「あ、うん」
「恐らく崖上から見える川の下流の方へ移動し、崖下に降りられる箇所を発見したら、そこからは川沿いを歩き、岸に上がった私たちを探すでしょう」
「あ……」
僕も気づく。
「じゃあ、僕らが崖上に行くと」
「ええ、川沿いを歩く2人とすれ違いになる可能性があります」
「……そっか」
「はい。なので、今は私たちも川沿いを上流方向へ進み、もし崖上に登れそうな場所を見つけたら、そこで待機をしましょう」
「うん」
「そこで合流できれば良し。できなければ、何か目印を残し、崖上に登るのも良いでしょう」
「うん、わかった」
僕も頷いた。
さすが、クレティーナ先生だ。
(ベテラン冒険者らしく、色々な状況でも冷静に見極めてるんだね)
やっぱり尊敬だ。
僕の眼差しに、彼女は少し照れ臭そうにする。
やがて、食事休憩も終わる。
僕も足を拭き、靴を履き直す。
と、彼女は、
「その、本当に食事になりましたか?」
そう心配そうに聞く。
僕は笑い、
「うん、ばっちり!」
「そうですか」
力こぶを作ると、彼女もようやく安心したように笑ってくれる。
頷き、
「では、行きましょうか、シーナ」
「うん、クレティーナさん!」
と、僕らは再び歩き出す。
その時だった。
ザワザワ
風が強く吹き、周囲の木々が葉を揺らす。
――危ないよ。
――奴が来る。
――気をつけて、気をつけて、王様。
そんな植物たちの声がした。
(え?)
僕は驚き、足を止める。
クレティーナさんが不思議そうに「シーナ?」と僕を振り返り、次の瞬間、何かに気づいたように素早く前を向いた。
ガシャッ
同時に、流星の槍を鋭く構える。
その美しい刃の穂先が向く方角を、僕も見る。
(――あ)
僕は、青い目を見開いた。
川沿いの谷間の空間、そこには大小の岩が転がり、複数の死角が生まれていた。
その巨岩の1つ。
ズシッ
その陰から、巨大な猿鬼の魔物が姿を現した。
赤い体毛の背中。
老獪で冷酷な知性を宿した瞳。
長く伸びた鋭い爪に、全身が発条のようなしなやかな筋肉の巨躯を誇っている。
圧倒的、生物的強者の圧。
ゴクッ
僕は、思わず唾を飲む。
必死に喉を震わせ、
「……人喰赤鬼」
その赤い死神のような化け物の名を口にした。




