053・猿鬼の反攻
(――よし!)
手応えありだ。
人喰鬼の左アキレス腱を切断した僕は、即、間合いを取る。
残心、大事。
意識の外にいた僕の一撃に、人喰鬼は驚愕の表情を浮かべ、同時に巨体を支える軸を1つ失い、ドシャッと尻もちをつく。
「よくやったわ!」
パルシュナからの珍しいお褒めの言葉。
(お……?)
悔しいけど、嬉しいぞ。
彼女はジャジャッと急停止し、
「離れてなさい、シーナ!」
と、警告。
両手に持つ短剣が、
ギャアン
より激しく放電し、紫色の光が周囲を照らした。
タン
転倒した人喰鬼に向け、彼女は再び神速で迫り、跳躍する。
小さな身体は宙を舞い、人喰鬼の胸部に着地、その突進の勢いのまま、2本の短剣を分厚い胸筋に突き刺した。
ザシュッ
でも、浅い。
大した傷にもならないだろう。
しかも、今までは一撃離脱だったのに、彼女は胸部に乗ったままだ。
(パルシュナ!?)
僕は驚き、焦る。
今までその速さに手こずり、一方的に攻撃されていた人喰鬼は、ここが好機と少女に掴みかかった。
太い指が迫る。
あの巨体を崖に留める握力だ。
もし握られたら?
(――確実に死ぬ)
僕は青褪め、けど、パルシュナは決死の表情で短剣を突き刺したまま。
と、その口が動き、
「――爆雷、天刃!」
ゴギャアアン
文言を紡いだ瞬間、凄まじい雷光が視界を染めた。
(!?)
浅く刺さった2本の短剣を起点に、人喰鬼の体内を強力な雷が流れ、目や口、各部の傷口や体表から大量の紫の放電が溢れていた。
僕は唖然。
当然、人喰鬼も動きを止めている。
約12秒間の雷撃。
やがて、雷光が消え、視界が正常に戻る。
(あ……)
人喰鬼の全身が黒く焼け焦げ、白煙を吹いていた。
眼球は水分を失い、白濁している。
開いたままの口からは白煙が昇り、傷口は血液が沸騰して、ブクブクと泡を生じさせていた。
パチチッ
時折、体表に名残りのような小さな放電が散る。
そして、
「……うっし」
少女は頷き、
トン
絶命した魔物の胸部から飛び降り、地面へと着地した。
チリリッ
少女の周囲にも、放電が散る。
見目麗しい少女だ。
その周囲に、燐光が弾ける光景はどこか幻想的で、その……とても綺麗だった。
と、彼女が僕を見る。
ドキッ
思わず、心臓が鳴る。
彼女は腰に片手を当て、
「ふんっ、なかなかやるじゃないの。ま、シーナにしたら上出来だわ」
と、輝くように笑った。
…………。
……何だろう?
(まさか……今、僕、あのパルシュナにときめいた?)
んな、馬鹿な!?
そんな自分に驚愕しちゃう。
と、彼女は片手で2本の短剣を持ち、右手を上げる。
(???)
何、それ?
意味もわからないまま、反射的に僕も右手を持ち上げてしまった。
すると、彼女は僕に近づき、
パァン
右手同士をぶつけて来た。
「んっ、やったわね!」
と、一言。
僕は驚き、目を瞠る。
手のひらがジンジンと熱く痺れ、でも、不思議と心地好い。
その手の指を握る。
「うん!」
僕も頷き、目の前の少女に笑いかけたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
(――うん、いい流れだ)
内心で、僕は頷く。
通常個体の1体を、僕らが倒した。
残り2体の内、クレティーナさんと戦う通常個体も時間の問題だろう。
問題は、人喰赤鬼。
でも、150年生きた怪物は、現在、レオナックさんが1人で対応しているし、やがて、僕ら3人も参戦すれば一気に決着がつく気がする。
(――戦局は傾いた)
きっと、僕ら側に。
だからかな?
(ん?)
その時、人喰赤鬼の視線に気づく。
老獪で冷徹な眼差しは、レオナックさんと戦いながらも、時折、周囲へと向けられる。
戦場全体の状況を見ている。
そして次の瞬間、
ドン
奴は大地を蹴り、一気に後方へと走り出した。
(――え?)
唐突だった。
レオナックさんに背を向け、遠ざかる。
一瞬、『金印』の美女も呆気に取られ、すぐに舌打ちしそうな表情でその巨大な背中を追い出した。
遅れて、僕も気づく。
(アイツ、逃げた?)
戦況の不利を理解し、やがて、自分も倒されると予測して。
うわっ、頭いい。
奴は崖に到達すると、その壁面を登ろうとする。
と、ボスの逃走に気づいたのだろう、クレティーナさんと戦っていた通常個体も戦意を失い、人喰赤鬼のあとを追うように逃げ出してしまう。
無防備な背中。
ザシュッ
白い槍がその背を斬る。
でも、浅い。
足は止まらず、血を噴きながら走り、崖の壁面にしがみつく。
「待て!」
「逃がしません」
2人の美女が追う。
僕とパルシュナも、慌てて続く。
2体の人喰鬼は、必死に崖を登っていく。
(速い……!)
これ以上、崖の上方に登られたら手が出せない。
完全に逃走される。
気づいたレオナックさんも、仲間の『銀印』の美女に向け、鋭く叫ぶ。
「ティナ、射落とせ!」
「はい!」
応じ、
キィン
緑髪の美女は、空中に3本の『光の槍』を生み出す。
最初と同じ、崖に登った2体の魔物を魔法の槍で狙撃して、地上へと落下させるつもりなのだ。
魔力が集まり、
ドドドン
3本の『光の槍』が射出される。
瞬間、
『ギャボッ!』
ガシッ
人喰赤鬼は、あとに続く通常個体の手首を、後ろ足で器用に掴んだ。
驚く、通常個体の人喰鬼。
と、巨大な赤い猿鬼は、凄まじい脚力で自分より小柄な人喰鬼を振り回し、崖から空中へとぶん投げた。
(は……?)
キュドドン
3本の『光の槍』は、その個体に全て命中。
盛大な血飛沫が舞う。
(仲間を犠牲に……盾にした!?)
僕は唖然。
と、その死骸が上空から落ち、2人の美女が慌てて左右に避ける。
そして、
トン
『ホギャアア!』
人喰赤鬼は、崖から飛び降りた。
(え?)
落下地点にいるのは、槍を持つ美女――回避した直後で、体勢が整い切れていないクレティーナさんだ。
猿鬼の眼球にあるのは憎悪の感情。
そして、冷酷な知性だ。
奴は理解している。
あの人間の雌の放つ『光の槍』に狙われる限り、自分は安全圏まで逃げられない。
逆に言えば、
――あの人間の雌を殺せば、自分は確実に逃げられる。
そう、冷静に見極めたのだ。
その判断と決断。
一旦、地上に降りるリスクを承知で、あの老獪な猿鬼は『銀印の冒険者』だけを殺しに来たのである。
その事実に全員、気づく。
「ティナ!」
「姉上、逃げて!」
「くっ……」
2人が叫び、クレティーナさん本人も必死に逃れようとする。
素早く横に跳び――直後、
ドゴォオン
隕石が落下したように人喰赤鬼が地面に激突すると、その巨大な両拳が大地を破壊し、岩盤を陥没させながら大量の土砂を吹き飛ばした。
草土と砕けた木々が空高くへ飛ぶ。
その中に、
(クレティーナさん!?)
彼女の影も見えた。
辛うじて、直撃は免れた様子。
でも、爆散した地面の勢いで、クレティーナさんの身体も吹き飛ばされ、空中に大きく弧を描きながら草地の奥の谷間の方へと向かっている。
(落ちる!?)
僕は息を飲む。
でも、空中にいた彼女は、
「……っ」
ザシュッ
身を捻り、片手で槍を突き出すと、地面に長い槍の穂先を刺す。
ズザザッ
地面を抉り、急斜面で止まる。
(ほっ)
僕らは安堵する。
だけど、人喰赤鬼は容赦なく、そんなクレティーナさんへと甲高い咆哮を上げながらドドドッと突進していく。
強烈な殺意。
断固たる意志と執着。
体勢の悪すぎる彼女へと、真っ赤な猿鬼が迫る。
「く……っ」
焦った美貌が見える。
レオナックさんも距離が遠く、パルシュナも顔面蒼白で、両者ともに助けが間に合わない。
そして、僕は、
(……あれ?)
気づいた時には、走り出していた。
タタタッ
頭の葉っぱを輝かせ、地面の草土を後方に吹き飛ばすように加速しながら、人喰赤鬼と競争するようにあの人の元へと全力で駆けていく。
目の前で空気が弾け、遠い景色が一気に迫る。
彼女の驚く顔が見える。
「クレティーナさん!」
僕は手を伸ばす。
あの人も槍を握るのと反対の手を、必死に伸ばしてくる。
もう少し……!
だけど、その行動を邪魔するように、巨大な魔物の手が僕の真横から迫っていた。
太い指の先端には、鋭く尖った長い爪が妖しく伸びている。
(構うか!)
僕は無視して、
ギュッ
彼女の手を掴み、引っ張る。
『光合成』の腕力は彼女の体重を軽々と引き上げ、僕の胸の中へと誘う。
(よし!)
と思った瞬間、
ドシュッ
人喰赤鬼の爪が、僕の背中から刺さり、腹部を貫通した。
(あ……?)
下を見る。
お腹の内側から、爪の尖端が出ている。
わぁ……。
僕、青い目を丸くしちゃうよ。
直後、焼けるような痛みが走り、同時にそれが激痛なのだと遅れて理解する。
(っっ……ぐっ)
脳が焼ける。
視界がチカチカと輝き、白く霞んでいる。
「シーナっ!?」
あの人の悲痛な叫びが聞こえる。
でも、手は離さない。
離したら今度こそ、彼女が刺されてしまうから。
ググッ
抱く腕に力を込め、
「大丈夫」
と、僕は無理に笑う。
コプッ
笑った拍子に、口の端から血がこぼれた。
目の前にあるクレティーナさんの美貌が青くなり、泣きそうな表情を浮かべる。
僕は何かを言おうとし、
ドガァン
瞬間、背中に強い衝撃が生まれた。
(あ……)
蹴られた。
巨大な人喰赤鬼の足裏が、無防備な僕の背中を蹴り飛ばしたのだ。
人間2人分の体重。
でも、奴にとっては軽いもの。
支えの槍の穂先も抜け、抱き合う僕とクレティーナさんは簡単に空中へと押し出され、そのまま大きく開いた谷間へと落下する。
(く、そ……!)
内臓の浮き上がる感覚。
見れば、一瞬、奴の歓喜の表情が見えた。
でも、それも一気に遠ざかる。
落下の風圧。
流れる崖の壁面と空の景色。
「シーナ……っ!」
ギュウ
クレティーナさんは、僕のことを強く抱き締める。
僕は、何もできない。
高さ100メートル近い谷底へと、僕ら2人は真っ逆さまに落ちていき、長く感じる5秒ほどの時間で谷底の川へと着水する。
ドパァアアン
凄まじい音と衝撃。
白く、盛大な水飛沫が高く舞う。
(……っ)
水面の固さに傷の痛みが増し、同時に悔しさが滲む。
でも、力が入らない。
ゴポポ……
全身が水中に没し、その冷たさに皮膚の感覚が消えていく。
息が苦しい。
視界が暗くなる。
(ク、クレティーナさん)
ギュッ
それでも、握った手だけは離さない。
最後まで必死に力を入れ続け……そして……僕は……。
意識……を……。
…………ゴポ……。
…………。
……。




