9#薔薇
俺は、ギルドから少し離れた場所にある噴水の縁に腰を下ろし、噴き上がる水をぼんやりと眺めていた。
まさか仕事に就くために前金が必要だとは。
銀貨1枚。それが大金なのか端金なのかさえ今の俺には判断がつかない。
稼ぐための金を作るのに、その金が足りない……詰んでいるのか?
噴水の前で頭を抱えていると、不意に隣に気配を感じた。
「おっさん。元気なさそうだな」
視線を向けると、燃えるような赤髪を長く伸ばし、手入れの行き届いた金属の鎧に身を包んだ少女が立っていた。
背中には、その華奢な体格には不釣り合いな、自分の身長ほどもある大剣を背負っている。
「ん? あぁ……冒険者ギルドに登録したいが、金がなくてな」
「銀貨1枚も無いのかよ?!」
俺が正直に告げると、少女は噴き出すようにして腹を抱えて笑い出した。
「おっさん、面白いな!旅人だろ?いったいどうやって旅してきたんだよ」
「……人助けをしてたら、飯を貰えたからな」
まだ昨日の今日という状況だが、俺は淡々と自分の経験を語った。
少女はそれがよほど滑稽だったのか、涙を拭いながらさらに笑い転げている。
「泥臭い生活してるな。最高だよ、おっさん」
笑い疲れたのか、彼女はふっと表情を和らげると、俺の前にポンと手を差し出した。
「いいよ、私が金貸してやるよ」
「……いいのか?」
俺は彼女の瞳をジッと見つめた。悪意の欠片もない、突き抜けるような明るさ。
「あぁ。銀貨1枚程度なら問題ないって。その代わり、後で返してくれればいいさ」
「……正直、途方に暮れていたところだ。申し訳ないが、甘えさせてもらう」
「いいって、気にすんな!さ、冒険者ギルドに行こうぜ」
彼女は快活に笑い、俺の背中を力強く叩いた。
噴水広場を離れ、俺は女の子の隣を並んで歩いた。
「俺はトールだ。名前を聞いてもいいか?」
「ロゼッタ・フィオーネだ」
彼女は名を告げると、少しだけ眉をひそめて考え込んでいる。
「姓は無いのか?」
「あぁ。トールだけだ」
俺は即座にそう答えた。
かつてこの地を歩いた際、姓を名乗るたびに「どの騎士家の出だ」「どこの貴族の落胤か」といった面倒な詮索に巻き込まれた苦い記憶がある。
ただの「トール」でいることが一番楽なことを知っていた。
「トールか……なんか聞いたことあるような……」
ロゼッタは首を傾げながら、記憶の断片を辿るように歩き続けている。
やがて再び冒険者ギルドの扉を開け、先ほどの受け付けカウンターまで歩を進めた。
「あら……先ほどの旅人さんですね。ロゼッタさんのお知り合いでしたか?」
受け付け嬢が俺たちの顔を見て、花が咲いたような笑顔を向けた。
「いや、さっきそこで拾った」
悪びれもせず、からからと豪快に笑った。
「ほら。銀貨1枚だ。おっさんを登録してやってくれ」
ロゼッタはポケットから慣れた手つきで銀貨を1枚取り出すと、カウンターへと弾くように置いた。
「はい。確かに受け取りました」
受け付け嬢が丁寧にコインを回収し、手続きの準備を始める。
「では登録するお名前を教えてください」
「トールだ。姓は無い」
「英雄の一人と同じ名前ですね。承知しました」
ロゼッタが、あっと声を上げて顔を輝かせた。
「あ!それだ!勇者パーティーの名前で見た事があるな!」
ようやく思い出したと言わんばかりの、スッキリとした顔だ。
本人です、とは口が裂けても言えないな。
無一文の元英雄など、俺ですら笑ってしまう。
「武器は腰の刀ですかね?剣士として登録でよろしいでしょうか?」
「あぁ。頼む」
受け付け嬢はサラサラと記帳していく。年齢、身長、特徴。淡々と書き終えると、彼女はカウンターの横にある水晶を指さした。
「では最後にこちらに手を置いてください」
「なんだこれ?」
問いかけると、受け付け嬢はこちらをジッと見つめてくる。
「こちらは魔力の性質と基礎力を測るための道具です」
こんなもの、昔は無かった。時代が進んでいることを肌で実感する。
トールは水晶に手を置いた。




