20#信仰?
峡谷に降り注ぐ日差しはジリジリと肌に刺すように暑かったが、その反面、吹き抜ける風が心地よかった。
再召喚された日から比べると、日差しも格段に強くなり、もう夏が近づいてきているのかもしれない。
俺は血を流しながら大の字で仰向けになっているグレートに近付いた。
血がとめどなく身体から流れ出ている。
間違いなくこのまま放置すれば死に至る量だ。
俺は屈み込むとグレートの肩に手を置き、『聖』の魔力を込めた。
「ちょ、ちょっと! なにしてんの?!」
後ろで座り込んでいたミーナは慌てて立ち上がると、こちらに駆け寄ってきた。
「……こいつ、このままだと死ぬだろ。回復させるだけだよ」
俺は回復魔法を無詠唱で展開した。ゆっくりとグレートの身体が淡い光に包まれていく。
「本気なの?! こいつは魔王軍で敵なのよ?!」
信じられないものを見るような目つきをしたミーナの声は、徐々に怒りを帯びていく。
「……ユミル様なら、こうすると思うぞ?」
「ッ……」
ミーナは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
ユミル様の名前の効果は絶大だったのか、それ以上ミーナは言葉を紡がなかった。
グレートの身体はゆっくりとだが血が止まり、回復の兆しが見えている。
「どきなさい、私がやる」
そう言うと、俺の隣に座り込むミーナ。
彼女はグレートの腹にそっと手を添えた。
「命を育み、万物を照らす聖なる光よ。我が願いに応え、その無限の慈愛をこの地に降り注げ。傷つきし者には癒やしを、苦しむ者には安らぎを、尽きかけた命には再び歩む力を与えたまえ。白き加護よ、その身に宿り、穢れを祓い、生命の輝きをあるべき姿へと還せ──《ヒール》」
俺はミーナの厳かな詠唱を聞きながら、グレートから手を離した。
先ほど俺が施した回復魔法よりも力強い輝きを放ち、グレートの巨体が温かな光に包まれていった。
みるみるうちに傷が塞がっていく。
「やっぱり本職には負けるよ」
「トールだって詠唱したらこんなもんでしょ」
「……命を育み……までなら覚えた」
「最初じゃないそれ……」
ミーナは呆れながらも、軽く笑いながら治療を続けていた。
傷が塞がるのを確認すると、ミーナは魔力の流れを止めて立ち上がった。
「……完璧には治さないわよ?」
ミーナは俺を見詰めながら言った。その言葉には多少のキツさはあったものの、隠しきれない優しさが見え隠れしていた。
「……構わない。助けてもらえるだけありがたい」
俺は声のする方を見た。グレートがゆっくりと目を開けていく。
「驚いた……もう意識が戻ったの?」
ミーナは目を見開いてグレートを見ている。
魔法で傷は治せても、失った体力まで戻るわけじゃない。
まして意識が戻るなんて、グレートの生命力には呆れるしかなかった。
「まだ寝ててもいいんだぞ?」
俺はこいつのめちゃくちゃな体力に少し呆れながら声を掛けた。
「……なぜ助けるんだ?」
グレートは呟くように問いかけてきた。
「人を助けるのに理由なんて必要か?」
逆に問いかけられた言葉に、グレートは鼻で笑った。ミーナですら呆れたように軽くため息をついている。
「なんだそりゃ」
「まぁ、受け売りだけどな」
昔やったゲームのセリフだ。妙に感銘を受けて、ずいぶん長いこと記憶に残っている。
グレートはポツポツと噛み締めるように話しだした。
「魔王信仰ではな……戦闘に負けて生き残るのは恥だと教わった」
「……まぁ、かっこいいことでは無いな」
俺の言葉に、グレートは力なく苦笑した。
「どーせなら、かっこよく死なせてくれてもよかったんだがな」
冗談めいた口調にしては、その目は真剣そのものだった。
「死んで生まれ変わったってことにしとけ」
「なに?」
「だから、お前はさっきの戦闘で死んだんだよ。今のお前は生まれ変わったグレートだ。それでいいだろ。あんまり難しく考えんな」
俺の言葉に、グレートはフッと息を吐いて笑った。
笑うとアバラが痛むらしく、「いてて」と言いながら自分の脇腹を抑えている。
「めちゃくちゃだな……だけど、悪くない。生まれ変わった、か……」
どこか遠くを見るような、静かな目をしている。
「じゃあ、俺らは行くから。まぁ、生まれ変わったんならあんまり無理すんなよ」
「……魔王様のところに行くのか?」
「そうだ」
「……この先を抜けて、左の道を行くと小さな村に出る。村に入ったら北を目指せ。あとはずっと真っ直ぐな一本道だ。歩きなら……まぁ、二週間くらいで着くんじゃないか」
「あんた、そんなこと教えていいの?それ裏切りにならない?」
ミーナは服についた砂埃を手で払いながら立ち上がった。
「お前らが魔王様と会った時、どうなるのか少し見たくなった」
「……いいじゃん。さすが生まれ変わった新グレート」
「よせやい」
俺とグレートは軽く笑い合った。
「助けてしまって悪かったな。道を教えてくれてありがとう。じゃあ、俺らは行くよ」
「なーに、気にするな。俺はもう少し寝ていくよ」
そう言うと、グレートはスッと目を瞑った。かと思った次の瞬間には、もう大きないびきをかき始めている。
「……なんなの、コイツ……」
ミーナは呆れ返った顔で、俺の隣まで歩いてきた。
「行こう。グレートの話だと近くに村があるらしいからな。まずはそこで水を貰おう……あと飯だ。さすがに腹が減って限界だ」
「……そうね。でも、最悪のパターンは免れそうね。早く行きましょ」
スタスタと峡谷の先へと続く道を歩き出すミーナ。俺もその後ろに追いつくように横を並んで歩いた。
少しだけ振り返ってグレートの姿を見る。
こうして見ていると、本当に生きているのか死んでいるのか分からない。
「……かっこよく死にたいとか、贅沢なもんだよな」
「なに? なんか言った?」
ミーナが怪訝そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「なんでもない。生まれ変わったんなら、あいつのバカも少しは治ったかなと思っただけだ」
「あの手のバカは、一回死んだくらいじゃ治らないわよ」
他愛のない軽口を交わしながら、教えられた道を進んでいく。
しばらく歩くと確かに左右へ分かれる道があり、その左手を選んでさらに先へと真っ直ぐ進むと、遠くの空に細く白い煙が上がっているのが見えた。
グレートの言った通り、近くに村がある確かな証拠だった。
転移されてからずっと歩き詰めだった上に、さっきは激しい戦闘までこなしたのだ。
目的の村がもうすぐそこに見えてきているという実感がわいた途端、どっと激しい疲労が全身を駆け巡ってきた。
「もう私クッタクタ……早くゆっくりしたい……」
「そうだな……あ! 村に着いたら、ミーナがユミル教だってことは隠すんだぞ?」
「それくらい分かってるわよ! そんなこと言った瞬間に袋叩きにあって追い出されちゃうわよ……」
この世界にどれくらいの宗教というものが存在するのかは分からなかったが、異なる教え同士がぶつかっていいことなど一つもないのは容易に想像できた。
村の入り口が、やっと目と鼻の先に見えてくる。農村のような素朴で小さな集落だ。
恐らく店らしい店なんて存在しないであろうこの村が、今の俺たちにはなんて魅力的に見えるのだろうか。
あともう少しだ。
冷えたビールとまでは贅沢を言わない。
ただ水が飲めて、身体を休められればそれでいい。
あと出来れば何か腹に入るものも食べたい。
俺たちはふらつく足取りで、吸い寄せられるように村の中へと足を踏み入れた。
あちこちの家から煙が上がっている。
夕飯の準備だろうか、香ばしい匂いが辺り一面に立ち込めていた。今の俺たちには酷すぎる匂いだ。
「トール……私もう限界……お腹空いて倒れそう……」
隣のミーナが脚を止める。
飲まず食わずのうえ、先ほど激しい死闘まで繰り広げた俺たちは、もはや気力だけで体を動かしているようなものだった。
どこかの家に頭を下げて、水だけでも恵んでもらおうかと考えた、その時だった。
「ありゃ。あんたら、なにさね」
背後からの声に振り返る。そこには、腰の曲がったおばあちゃんが立っていた。
ブラウスにケープを羽織ったような姿は、まさにどこからどう見てもおばあちゃんだ。
「ビルバラード……スペリ……オッス?」
俺は以前ロゼから教わっていた挨拶を必死に思い出しながら、右手で自分の胸を二度叩き、電話のジェスチャーのように手を前にかざした。
正直、かなりうろ覚えだ。もし何か致命的に間違えていたらどうしようかという不安がよぎる。
「あんたら魔王軍の人らなんか? 下手くそな挨拶から見ると、外界から来たんやろ?」
おばあちゃんはニコニコと朗らかな笑みを浮かべて近づいてきた。
その表情を見る限り、挨拶はどうにか伝わったらしい。俺は内心、ホッと胸を撫で下ろした。
「そ、そうなんですよ……まだ魔王軍に入ったばかりなんですが、外界の奴らに馬ごとやられてしまって……」
俺はわざとらしく悔しそうな表情を作ってみせた。
「あいつら、まだ私らを迫害するんかね……あんたらも大変やったねぇ」
「申し訳ないんですが……少し休む場所と、お水と何か食べるものを恵んでもらえませんか?」
「えーよ、えーよ。そこの家を使いな。もう空き家やから好きに使い。今何か持ってきてあげるから待っとり」
「ありがとうございます!」
俺は心の底から安心した。これでどうにか命をつなぐことができそうだ。
「魔王軍の人には感謝しとるからな。あんたらも夫婦で大変やね。まぁ家に入っとき」
おばあちゃんはニコニコと満足そうに笑いながら、自分の家の中へと戻っていった。
「ッふ……!!夫婦じゃない……」
おばあちゃんの去り際の言葉に、隣のミーナは反射的に否定しようと声を張った。
だが、すぐに言い返す元気すら尽きたのか、がっくりと肩を落として黙り込んでしまった。
「……傍から見ると、俺たちって冒険者仲間っていうより夫婦に見えるのかな……」
「……知らないわよ……とにかく家で待ってましょ……もうクタクタ……」
家のドアを開けると、少しホコリっぽい床が出迎えてくれた。
本当に家具も何もない、ただ屋根と壁があるだけの空間だ。
ホコリっぽいことなどお構いなしに、俺はそのまま床へと倒れ込んだ。
ミーナもさすがに限界が近いらしく、壁にもたれかかるようにして座り込んでいる。
しばらくすると、先ほどのおばあちゃんが、水とパン、そして焼いた卵焼きのような料理を持ってきてくれた。
恐らく俺も相当凄まじい目でそれを見つめているのだろう。目の前にいるミーナの輝く瞳を見ればよく分かった。
「頂きます!!」
夢中で水とパンにかぶりつく。これほど美味い水とパンには、この先なかなか出会えないのではないだろうか。
「ゆっくり食べなね」
おばあちゃんは目を細め、ニコニコと話しかけてくる。
「……なんで、こんなに優しくしてくれるんですか?」
目の前に座るミーナは、一旦水の入ったコップを床に置き、ぽつりと質問した。
きっとその言葉の意図には、魔王信仰者であるのになぜここまで親切にしてくれるのか、という意味も込められているのだろう。
「あたしも昔、旦那とよく二人で仕事をしてたもんさ。冒険者家業だったんよ。だから辛さはよく分かるさね」
ニコニコと語るおばあちゃんの瞳には、遠い昔を愛おしく懐かしむような温かな光が宿っていた。
「……そう……ですか……」
それ以上、ミーナは何も言わなかった。
「一晩泊まっていったらええよ。体が癒えるまでゆっくりしときなね」
ゆっくりとした足取りでおばあちゃんは立ち上がり、そのまま家から出て行った。
静まり返った家の中に、パンをかじる音だけが静かに響いている。
魔王信仰であろうとユミル教であろうと、根底にある人間の温もりや優しさは何も変わらない。
俺は何か言葉をかけようかと思ったが、結局思い直してやめた。
今ここで何を口にしたところで、言葉にするのは野暮というものだろう。
今はただ、この命を繋ぐ飯の美味さを、全身で堪能するだけで十分だった。




