16#潜入?
初日の野営から三日が過ぎた。
今日も朝から馬車を走らせ、やっとローズバラン大陸へと繋がる架け橋が見えてきた。
夕方になる頃までになんとか間に合ってよかった。
これ以上遅くなるようなら、もう一日ルーンメルカトーレ大陸側で野営をすることを検討していた。
日が完全に沈む前にローズバラン大陸に入り、夜の間にある程度大陸の中まで進んでおきたかったのだ。
ローズバラン大陸への入り口付近は、防衛や監視が強固になっていることが予測されていたからである。
「長かったな……やっと目的地か……」
俺は御者台で手綱を引きながら呟いた。
「魔王がいるっていう城はローズバラン大陸の一番北にある。これから更に長いよ」
ロゼの言葉は、この旅がまだまだ長く続くということを実感させるには充分だった。
架け橋の入り口にあるルーンメルカトーレ側の検閲所に馬車を停めると、ロゼが馬車から降りて衛兵と話し始めた。
こちら側の衛兵には俺たちのことがどう伝わっているのだろうか……
少し不安を覚えたが、ロゼはさっさと御者台に戻ってきた。
どうやら心配は無用だったようだ。
俺は馬車を滑り出させ、架け橋へと向けて進めた。
架け橋から見える景色には、イトューヒ王国への旅路を思い出させるような広大な海がどこまでも広がっていた。
少し違うのは、海の上に点々と小さな島が見えることだ。
「あの島には誰か住んでるのか?」
「いや。あれは無人島だな。特に何もない島がポツポツあるんだよ、ローズバランには」
ロゼは海の方をぼんやりと眺めながら答えた。
しばらく広大な海を見ながら馬車を走らせていると、いよいよローズバラン大陸側の検閲所が見えてきた。
俺は後ろを振り返り、荷台の先にあるシンの馬車がしっかりとついてきていることを確認した。
ここが最初の難関だ。
ここで問題なく潜入できなければ、作戦の土台から全て覆ってしまう。
俺はロゼの横顔をチラリと見た。いつもと変わらない落ち着いた表情のロゼを見て、少し安心した。
「おっさん……ゆっくり停めろよ」
ロゼは静かに呟いた。
「了解」
検閲所に近付き、俺はゆっくりと馬車を停めた。
後ろからも静かに馬が止まる音が聞こえてくる。
落ち着いた様子のロゼは御者台から降り、衛兵の元へと向かった。
ロゼは右手で自分の左胸を二度軽く叩くと、手の甲を向け、親指と小指だけを立てたハンドサインを見せる。
元の世界の「電話」と同じポーズのハンドサインだ。
意味は全く違うのだろうが。
「ビルバラード。スペリオッズ」
ロゼはいつもの落ち着いた声で静かに告げた。
ロゼに一番近い衛兵は、一瞬驚いたような顔をした。
「驚いた……魔王信仰の者か」
衛兵はロゼに近付き、手元にある書類に何やら文字を書き込んでいく。
「まだ外界に魔王信仰の者がいたとはな。復活の噂を聞きつけたか?」
衛兵は嬉しそうな顔をしてロゼに話しかけている。
「そうだ。まさか私が生きている間にこんな日がくるとは思わなかったよ」
ロゼは無邪気な笑顔を見せた。
「名前を聞こうか」
「私はロゼッタ・フィオーネ。他のやつらは……」
「フィオーネ家の娘か!」
衛兵はロゼの名前を聞くと、ハッとしたように驚いた顔をした。
その驚きが一体何を意味するのか分からなかったが、俺は周囲に魔力を漏らさないよう細心の注意を払いながら、静かにシルラへ手を掛けた。
「あ、あぁ……そうだ」
ロゼはとっさの動揺を飲み込みながら答えている。
「一人娘が帰ってきて、ロズウェルさんも喜ぶだろう」
衛兵の表情は、一転して温かみのある笑顔に変わった。ロゼの父親のことだろうか……話の流れからすると、おそらくそうなのだろう。
「……お父さんの知り合いだったか。お父さんは元気にしてるのか?」
「ずっと元気が無かったが、ここ最近は生き生きしてるよ。娘さんも戻ってきたんなら、更に元気になるだろうな」
衛兵はにこやかに手元の書類にメモをしていく。
俺はシルラの柄に掛けていた手をゆっくりとおろした。
「残りの者の名前も教えてくれ。手間で申し訳ないが規則なんでな」
ロゼは適当な偽名を人数分スムーズに答えていく。
「ふむ……六人だな。わかった」
「これでいいのか? 夜になる前にブラックスまで行きたいんだが」
「親父さんのいるところか……今日はさすがに厳しい。メトロランクスまで向かうといい。魔王軍の入隊手続きもそこで済ませられるからな」
「わかった。ありがとうな」
ロゼは会話の最初に見せたハンドサインを再度つくった。
「ルッカバーナ」
衛兵の見送りの声を背に受けながら、御者台へと戻ってきたロゼが乗り込むと、彼女は手綱を握って馬車を前へと進めた。
ゆっくりと検閲所を通り抜けていく。後ろからは、シン達の馬車もしっかりと後をついてくる。
ある程度進み、検閲所へ声が届かないほどの距離まで離れた時、ロゼがぽつりと呟いた。
「……めちゃくちゃ緊張した」
目は鋭いままだったが、ロゼの表情からは安堵の色が漏れていた。
「完璧だったぞ」
「……やっぱり私は大剣を振り回してる方が似合ってるよ」
「それは否めないな」
俺の返答に、二人揃って軽く笑い合った。
「荷台の俺まで緊張してましたよ」
荷台からゴウが安堵のため息をついている。
「まだ気を抜くなよゴウ。魔力抑えるのを怠るなよ」
「了解」
ゴウは小さく答えると、気配を消すように魔力を更に繊細に抑えた。
「このままある程度進むのか?」
「そうだな。このまま行くと広場のような草原があるはずだ。そこは敵の溜まり場になってる可能性が高い。その広場を超えると村があるはずだから、そこを抜けたら一旦野営にしよう」
ロゼの計画に俺は頷いた。
不安だった潜入計画も出だしは好調だった。というよりは、この計画自体がロゼの存在があったからこそ成立したものなのかもしれないと、ふと思った。
夕日が眩しく沈みかけてきた頃、先ほど話していた広場に辿り着いた。
ただ、こちらの予想とは違って、そこは敵の溜まり場になっているわけではなく、気味が悪いほどガランとしていた。
「……ラッキーだったな」
「……あぁ」
言葉とは裏腹に、たぶんお互いに同じことを思っていた。不穏な空気がそっと肌を撫でていく感覚。
広場を通り過ぎようとしたその時、道の先に一人の男が立っていることに気付いた。
ロゼは慎重に馬車を停めた。
「何かあったか?」
男はボロボロのマントのようなものを羽織り、上半身は裸で、穿いているズボンも異様なほどボロボロだった。
さらに異様なのは、男の顔だ。
張り付いたような不気味な笑顔をずっと崩さない。
「検閲です」
男は小さく呟いた。気味の悪い笑顔は今も張り付いたままだ。
「また検閲なのか? もう日も暮れるし、早く村に……」
「検閲です」
ロゼの言葉を遮り、男はまったく同じ言葉を繰り返した。
「……わかったよ」
男の異様な雰囲気を察したのか、これ以上問答しても無駄だと悟ったロゼは、警戒を強めながら御者台から降りた。
「そっちの馬車からも一人降りてきてください」
男は俺たちの後ろの馬車を指さして言った。
相変わらずニヤついた顔は一切崩さない。
御者台にいたゲッコウは微動だにしていなかったが、荷台の中からシンがゆっくりと降りてきた。
シンは静かな足取りで歩き、ロゼの横に並ぶ。
さすがSランクというだけはある。
シンの魔力はこんな状況でも乱れず、いつものように穏やかに流れていた。
「……名前を」
男は小さく呟いた。その視線はロゼとシンを行ったり来たりしている。
「ロゼッタ・フィオーネだ」
「ロゼッタ・フィオーネ」
男のニヤついた顔から、その名前がそのまま復唱される。
「クラン・ルッカルトです」
シンの口から、先ほど検閲所でロゼが出した偽名が吐き出される。
「シン・ディバン」
ニヤついていた男は、その偽名を復唱しなかった。
張り付いた笑顔をさらに深く、気持ち悪いものに変えると、シンの右肩にそっと手を置いた。
「嘘つきだな」
男がそう呟いた瞬間、シンが跡形もなく消えた。
ロゼはあまりの出来事に、驚きで身動き一つ取れずに立ち尽くしている。
「ダメだ、バレてる! 馬を出せ、ゲッコウ!!!」
俺は声を張り上げながら、即座に手綱を強く握り直した。
だが、その視線の先に馬はいなかった。
手に残っていたのは、力なくダランと垂れた手綱だけ。
「なにが……起こってる……」
俺は一瞬で悪夢の渦中に迷い込んだような感覚に囚われた。
背筋を駆け上がる強烈な悪寒だけが、これが紛れもない現実なのだと強く実感させていた。




