EP.3-Signature
あの後、顔面蒼白のギルドマスターから「口止め料」として有難く頂戴した金貨10枚を元手に、私は四日の時間をかけてルーンメルカトーレの隣の大陸『メギドレイブン』へと足を踏み入れていた。
この四日間の旅路で、私がまず最優先で行ったのは衣服の調達だ。
元の世界から着ていた会社員時代のスーツは、早々に手放すことにした。
この世界において、近代的なタイトスーツはどう考えても浮きすぎる。
というより、街を歩くたびに奇異の目を向けられ、どこへ行っても悪目立ちしてしまうのがひたすらに鬱陶しかったのだ。
新たに身を包んだのは、清潔感のある白のブラウスと、黒に近い落ち着いた色合いのミドル丈のスカート。
これでようやく、ジロジロと探るような視線から解放されたのだと思うと、心底ホッとした。
旅の道中、服屋や宿屋で支払いをするうちに、この世界の経済観念もだいぶ掴めてきた。
厳密なレートではないが、私の感覚で言えば、一番小さな銅貨1枚が日本円にしておよそ100円程度の価値だ。
銅貨が100枚溜まると、銀貨1枚になる。
つまり銀貨1枚が約1万円。
銀貨が100枚溜まると、金貨1枚になる。
ということは、金貨1枚で約100万円。
さらにその上、金貨100枚で白金貨というものになるらしい。
その計算でいくと……
「口先一つで、サクッと1000万円のお小遣いってわけね」
私は懐で心地よい重量感を放つ革袋をそっと撫でながら、ふふっと笑みをこぼした。
再召喚からの四日間。
たった数分の交渉でこれだけの当座の資金を稼ぎ出せたのだから、実に幸先の良いスタートだと言えるだろう。
どこの大陸に向かおうか悩みながら、マハルラの街にある小洒落たカフェのテラス席で、私はサンドイッチを頬張りながら、優雅なティータイムを洒落こんでいた時のことだ。
紅茶の芳醇な香りを楽しみながら、意識の半分は周囲の空気に溶け込んでいる魔力の残滓ーー冒険者ギルドの通信傍受へと向けていた。
ルンカースから大金をせしめた後も、情報収集という名の「仕事」を欠かすつもりはなかったからだ。
ぼんやりとノイズ交じりの音声を聞き流していると、私の耳に最高に興味深い情報が飛び込んできた。
元『グレイブ』の幹部――『イヴ』という名の女の話。
どうやら彼女は、子供の奴隷を一人連れて組織から逃亡している最中らしい。
そして、裏社会を牛耳るグレイブは、その女一人の首に多額の賞金を懸けていた。
その額、なんと白金貨1枚。
「白金貨1枚……日本円にして、およそ一億円、ね」
カップをソーサーに戻し、私は小さく唇を綻ばせた。
もちろん、この逃亡者を捕まえて、グレイブから賞金をせしめて私腹を肥やそうなどという下品なことを考えたわけではない。
注目すべきは、その破格の懸賞金だ。
一組織がそれほどの巨額を投じてまで追っているということは、そのイヴという女が、組織にとってよほど致命的な「重要情報」を握っているか、あるいは単体でそれだけの「脅威的な力」を持っている証拠に他ならない。
私の目的は、私の国を作ること。
一つの国を興し、維持していくためには、綺麗事だけでは済まない。
表の法律が届かない『裏』の領域で、私の手足となって冷徹に動いてくれる優秀な人員が、どうしても必要不可欠だった。
組織を裏切り、追われる身となった元幹部のイヴ。
彼女がちょうど都合よく組織の束縛から抜けてくれているのだとしたら、私にとってはこれ以上ないチャンスだ。
なんとか私の味方に引き入れることができれば、私の描く理想国家への道も、一歩大きく前進するというもの。
それもあって、私はここ、世界の『7大陸』の一つに数えられるメギドレイブンまで足を運んだのだ。
数ある大陸の中から、この地を選んだのには、明確な理由がある。
メギドレイブンには、世界最高峰の魔法技術を誇る『メギドレイブン魔法大学』が存在している。
現在、世界中で広く普及しているロストマジックの魔道具や、冒険者ギルドが個人を識別するために用いる「魔力波長の登録システム」などは、すべてこの大陸の技術者たちが構築したものなのだという。
失われたはずの魔法が、形を変えてシステム化されている場所ーー
魔導の探求者としても、この大陸はひどく私の興味をそそる土地だった。
そして、もう一つの理由。
このメギドレイブンは、かつて世界に先駆けて「奴隷制度解放」へと舵を切った歴史を持つ。
それゆえに、現在でも7大陸の中で最も奴隷制度の取り締まりに対して厳格で、裏社会への監視の目が光る大陸なのだ。
追っ手から逃れる元幹部と、連れられた子供の奴隷。
もしも私がグレイブから必死に逃げ隠れる立場なら、間違いなくこの大陸に逃げ込む。
灯台下暗し。
あるいは、最も厳重な法の檻の中にこそ、最大の安全がある。
「ふふ、思考のトレースは悪くないはずよ」
白のブラウスの襟元を軽く整えながら、私はメギドレイブンの活気ある街並みを歩き出す。
まずは、この街の冒険者ギルドの重厚な扉を開いた。
ギルドに登録して泥臭い依頼をこなし、日銭を稼ぐためなどではない。
ここには、私の求める「情報」が集約されているからだ。
私は迷うことなく、受付カウンターに座る黒髪の青年へと歩み寄った。
「あの、少し人探しをしているのだけれど……」
眉を少し下げて困ったような表情を作りつつ、親しみやすさを感じさせる軽い笑顔を向けてみる。
カウンターの青年は、手慣れた営業スマイルで応じてきた。
「人探しの依頼ですか? それでしたら、あちらの依頼書に詳細のご記入をお願いしますね」
「依頼じゃないわ……少し確認したいことがあるの……」
私はさらに距離を詰めた。
「私が探しているのは、元Aランク冒険者の『イヴ』っていう女性なんだけどね……。彼女の、ギルドに登録されている魔力波長を確認したいの」
ニコリと、この上なく艶やかな微笑みを浮かべて要求を告げる。
その言葉を聞いた瞬間、青年の営業スマイルがぴきりと固まった。
「……申し訳ございませんが、それは規約上お受けできません。登録された魔力波長の閲覧は職員にしか許されておりませんので……」
青年は困惑と警戒の入り混じった顔で、やんわりと拒絶の言葉を口にする。
それはそうだろう。
個人の魔力波長は、ギルドにおける最重要機密の一つなのだから。
「どうしても……ダメ、かしら?」
私はカウンターに身を乗り出し、机の上に置かれた青年の手を、自身の白く滑らかな手でスッと包み込むように握った。
ビクリ、と青年の身体が大きく跳ねる。
「――金貨1枚じゃ、ダメ?」
彼の耳元で吐息を吹きかけるように、甘く、低く問いかける。金貨1枚、およそ100万円。
一介の受付職員の月収を遥かに超える大金だ。
青年の目は激しく泳ぎ、頭を抱えるようにして葛藤し始めた。
あと、もう一押し。
「今ここで、いいよって言ってくれるなら……2枚まで増やしてあげる。大丈夫、私が見るだけだから絶対にバレないわ」
耳元で囁かれた「200万円」という悪魔の誘惑。
ごくり、と青年が喉を鳴らし、生唾を飲み込む音がはっきりと聞こえた。
「……っ、わかりました。……今回だけですよ」
青年は周囲をソワソワと見回し、誰も見ていないことを確認すると、カウンターの下の隠し棚から、鍵のついた分厚い台帳を音を立てないように引っ張り出した。
青年は緊張で手を震わせながら、分厚い台帳のページを捲り、目的の『イヴ』の項目を見つけ出した。
そして、カウンターの脇に据え置かれた、淡く輝く透明な水晶へと手を置く。
現代の魔道具が台帳の記録を読み込み、内部の魔力波長を同期させていく。
しばらく待っていると、周囲を警戒しながら青年が蚊の鳴くような声で呟いた。
「……触れてください」
「ありがとう」
静かな青年の言葉を合図に、私はゆっくりと右手を伸ばし、冷涼な水晶の表面にそっと掌を触れ合わせた。
その瞬間、掌を通じて、頭の奥へ直接ノイズのような魔力の波形が流れ込んでくる。
――なるほど、火と水の魔力属性、ね。
水晶の奥で激しく反発し合いながらも、奇妙な均衡を保っている二つの波長。
それは、めったに見かけることのない極めて珍しい波形だった。
現代の世界がどうなのかは知らないけれど、二つの属性を持つ者自体はさほど珍しくない。
けれど、火は水を苦手としている魔力関係。
このように完全に相反する属性を同時に宿す者は『対極者』と呼ばれ、互いの魔力を相殺し合ってしまうがゆえに、「ハズレ」の烙印を押されて蔑まれるのがこの世界の常だ。
凡百の魔法使いや学者なら、この波形を見ただけで「使えない欠陥品」だと切り捨てるのだろう。
けれど、私の唇は自然と歪んでいた。
まぁ、トールの『聖と魔』ほどの絶望的なハズレってわけでもないわね……
脳裏をよぎる、かつて知った一人の男の顔。
あのトールという男の、完全に世界を分かつような絶望的な対極に比べれば、火と水など可愛いものだ。
むしろ、相反する力を同時に御しているのだとしたら、その制御力は尋常ではない。
「……確かに、覚えたわ」
私は十分にその波長を焼き付け、水晶から手を離した。
「ありがとう。はい、お小遣いね」
私は至近距離から極上の笑みを注ぎながら、受付カウンターのテーブルの上へ、約束通りソッと金貨2枚を滑らせた。
青年は悪い事をした子供のように、キョロキョロと周囲を気にした後、いかにも悪事を働いていますという分かりやすさで、サッと金貨を懐へと滑り込ませた。
その挙動不審な態度を見るだけで、彼がこうした裏の取引に全く慣れていないことが手に取るように分かる。
ふふ、可愛いこと。
……まだまだ、色々と使えそうな人だわ。
一度でも甘い蜜を吸い、秘密を共有してしまったのだ。
ここからさらに依存させ、ギルドの都合のいい情報源に仕立て上げるのは、そう難しいことではない。
「また来るね」
私はとびきりの笑顔で小さく手を振ると、混乱と興奮で顔を上気させている青年を残し、優雅な足取りで冒険者ギルドを後にした。
ギルドの外へ出ると、メギドレイブンの爽やかな風が白のブラウスを揺らす。
これで、一億円の首に懸けられたイヴの「魔力波長」という、絶対的な道標は手に入った。
私の魔力をもってすれば、この広大な大陸から彼女を見つけ出すのなど、そう時間はかからない。
おそらく数日もあれば十分だろう。
けれど、ただ見つけるだけでは意味がない。彼女は組織に裏切られ、酷く傷つき、誰も信じられない状態のはずだ。
力ずくで従わせるよりも、向こうから縋り付いてくるように仕向けたいわね。
そのためには、彼女を揺さぶるための『情報』も、今のうちに集めておかなくちゃ。
彼女がなぜ組織を裏切ったのか、連れている子供の奴隷は何者なのか。
私は膝の上の魔導書を愛おしそうに撫でながら、イヴの心を完全に掌握するための次の布石を求め、メギドレイブンの賑やかな街の中へと溶け込んでいった。




