EP.2-Archive
ギルドの奥へと通された私は、案内された立派な執務室のソファに腰を下ろし、優雅に脚を組んで部屋を見渡していた。
目の前には上質な木材で設えられた仕事机と、私が今くつろいでいる応接用のソファ。
そして部屋の奥へと視線を巡らせたとき、それはあった。
微かに魔力の波動を纏った、金属製の四角い箱のような物体。
「やっぱりね……」
私は心の中で小さく笑みを漏らした。あれが通信魔法の正体だ。
私の予想通り、己の魔力ではなく、あの魔道具を介して遠方と声を繋ぎ合っているのだろう。
もし、あの手の道具が民間にも完全に普及し、誰も彼もが日常の雑談に使い古しているのだとしたら、私のロストマジックで通信を読み取れるといっても、少しばかり骨の折れる性能になっていた。
現代世界のように無数の通信が空に飛び交っていれば、その中から本当に価値のある情報を探し出すのは、広大な砂漠の中から一粒のダイヤモンドを見つけ出すような泥臭い作業になってしまうからだ。
けれど、これほど立派な部屋に据え置かれているということは、通信魔道具はギルドやある程度の権力を持った者にしか扱えない貴重なものである証拠。
流れる通信の絶対数が少ないのであれば、そこを行き交う会話の密度は自ずと高くなる。
国家の機密、利権の取引、そして――
公にできない犯罪の足跡。
「ふふ、これなら効率よく美味しい情報を拾えそうじゃない」
膝の上の魔導書をそっと撫でながら、私はこれから始まるであろうギルドマスターとの「お喋り」へ向けて、じっくりと牙を研ぎ澄ませていた。
しばらくすると、重厚な木製のドアが静かに開いた。
そこに立っていたのは、よく整えられた髭と端正な顔立ちが印象的な中年の男性だった。
身につけている上着は仕立てが良く小綺麗で、泥にまみれる前線の冒険者というよりは、完全に組織を統べる高官の佇まいをしている。
この男が、マハルラの街の冒険者ギルドマスター……ルンカース。
私の獲物だ。
私はソファから音もなく立ち上がると、育ちの良い令嬢のようにペコリと可愛らしくお辞儀をした。
ルンカースは無言のまま、同じように浅くお辞儀を返す。
しかし、その鋭い眼光の奥には、得体の知れない来訪者に対する若干の不安と、値踏みするような疑心の光がはっきりと浮かんでいた。
男は静かに歩を進め、机を挟んだ対面のソファへと腰掛けた。
背もたれに体重を預けつつも、その身体は微かに緊張を孕んでいる。
「……それで……ご要件とは?」
低く落ち着いた声。
だが、警戒を隠しきれていない。
「いえ。大したことじゃないんです」
私は男の出方を楽しむように、滑らかな動作で元のソファへと腰を下ろした。
そして、膝の上でそっと魔導書に触れながら、この部屋の主を追い詰めるための最初の一手を、極上の甘さで放つ。
「通称『グレイブ』でしたっけ? その件でお聞きしたいことがありまして」
私は小首を傾げ、この上なく無邪気で、とびきり美しい笑顔を向けた。
「グレイブ……人身売買を生業としている違法ギルド……でしたな」
ルンカースは眉間に皺を寄せ、記憶の底から必死に手繰り寄せているかのように、一つ一つ言葉を区切りながら答えた。
随分な役者だ。
つい声を上げて笑い出したくなってしまうのを、私は喉の奥で必死に堪えた。
私が掴んでいる一ヶ月分の通信アーカイブの中で、この男はまさにその『グレイブ』の人間と、嬉々として奴隷の取引について言葉を交わしていたというのに。
「そのグレイブです。……本当は私より詳しいでしょ?」
私は浮かべた笑みを一切崩さないまま、楽しげに首を傾げて聞き返した。
男の瞳の奥が、ほんの一瞬だけ激しく揺れるのを見逃さない。
「まぁ……こんな仕事ですから……耳に入ることはありますね」
ルンカースはこれ以上余計なボロを出さないよう慎重に、かつ至極真っ当なギルドマスターとしての難しい顔を作り、重々しく返事をしてきた。
「そうですか……」
私はすっと視線を落とし、少しだけ落胆したような顔を見せてみせた。
ルンカースの老獪な演技には及ばないかもしれないけれど、このくらいの三流芝居なら私にだって真似できる。
ふっと息を吐き、今度は彼の顔を真っ直ぐに見据えた。
「……ブランクス……レンブ……ルミナナリア……」
唇から、ゆっくりと、明確に三人の名前を紡ぎ出していく。
その瞬間、ルンカースの端正な顔立ちが、まるで血の気を失ったようにみるみる真っ青に染まっていった。
呼吸の音がピタリと止まり、彼の目が見開かれる。
どれも、ここ最近で行方不明になった冒険者の名前、通信のアーカイブの奥深くに眠っていた名前だ。
「私のこと……ザキロさんから聞いていませんか?」
彫像のように硬直した男に向けて、私は再びにこやかな笑顔を咲かせた。
けれど、その笑顔は先ほどの作り物のそれとは違う。
獲物が罠にかかったのを確信した、心からの、本当に楽しい笑顔だった。
「『グレイブ』の方でしたか……先に言って頂ければ……」
ザキロの名を聞いた瞬間、ルンカースの顔に露骨な安堵の色彩が浮かんだ。
彼はふぅと大きく息を吐き出すと、秘密を共有する仲間へ向けるような、一段低いトーンで声を落とした。
「違いますよ」
私は鈴を転がすような声で、あっさりとその期待を打ち砕いた。
「え……?」
ルンカースの表情が、引き攣ったまま凍りつく。
「私は貴方とは違って、ただの一般人です」
ただの一般人が、なぜ組織のトップの名前を知っているのか。
その矛盾に脳の処理が追いつかないのだろう。
ルンカースは完全に混乱し、視線を泳がせながら、言葉を失って口をパクパクと開閉させていた。
「安心してください。バラしたりしませんから」
怯える哀れな獲物を前に、私は優雅に脚を組み替えた。
私の膝の上で、魔導書がくすくすと笑うように微かに震える。
「少しばかりの口止め料を貰えれば、大人しく黙ってここを去りますよ」
交渉のテーブルに載せられたのは、彼の破滅と、私の要求。
富も名声も権力も剣では奪えない。
情報で奪うものだ。
その程度のことを、この世界はまだ知らない。




