EP.1-Network
ガタゴトと揺れる馬車の荷台で私はぼんやりしていた。
とはいってもただボーッとしているわけではない。
この世界に再召喚されて、街灯から道に至るまで五百年前とは違って進化が垣間見えていたのを感じていた。
「お姉さん、さっきから随分と静かだね。馬車酔いでもしたかい?」
御者台の男が気さくに声をかけてくる。
「いいえ、ちょっと考え事をしていただけよ」
私は艶やかな茶髪の長い髪を指先で弄びながら、軽くいなした。
三十五歳にもなれば、この手の世間話を笑顔で受け流すくらいお手の物だ。
視線は揺れる景色の先、整えられた街道へと向けた。
五百年という月日は、伊達に流れたわけではないらしい。
ふと、指先に奇妙な感覚が走った。
空気の震え、あるいは魔力の残滓。
ロストマジックの一つ、人と通信出来る魔法を過去に使ったことがあった。
その魔力が微かだが感じる。
「……ふーん……おもしろい」
思わず唇が弧を描く。
かつて私が組み上げた通信の術式。
その魔力が、この世界の空気に薄く、だが確実に溶け込んでいる。
ということは、この五百年の間に通信技術もそれなりに発達していることが予測された。
私の膝の上には、古びた一冊の本が乗っている。
ロストマジックの魔導書だ。
本がまるで私の思考に呼応するように、パサリと小さくページを震わせた。
情報こそが権力の源泉。
もしも世界中の通信が飛び交っているのだとしたら、これほど私好みの環境はない。
通信魔力の残滓に集中してみる。
かつて私が構築した術式の感覚を思い出しながら、空気に溶けた微弱な波長に意識を合わせた。
「……ギルド関係?」
頭の中に掠れた音声が流れ込んでくる。
相手が誰だかまでは分からないけれど、男たちが仕事のやり取りをしているような声だ。
どうやら盗聴は問題なくできるようね。
ただ、この程度の情報で満足する私ではない。
じゃあ、この魔力残滓を更に深く辿り、もっと深くまで見れればどうなるかしら。
意識をさらに奥深くへと沈めていく。
糸を引くように魔力の源流を遡っていく。
先程聞こえた男達の会話ではない通信の声。
古い通信の記憶ーー
魔力の澱として空間に焼き付いた、会話のアーカイブ。
「ふふ、見つけた」
私はその古い通信記憶を片端から読み漁り始めた。
他人の秘密を覗き見るのは、いつの時代だって最高の武器になる。
色々な人間の声や機密が脳裏をよぎり、脳内で情報を整理していく。
けれど、ある程度読み進めたところで、ピタリと通信記憶は途絶えてしまった。
どれだけ意識を集中させても、その先は何も感じ取れない。
恐らく古すぎるとアーカイブは残らない構造なのだろう。
「……約一ヶ月くらいかしらね」
制限付きとはいえ、直近一ヶ月のやり取りが全て筒抜けになるのなら、勢力図を塗り替えるには十分すぎるわ。
「ねぇ、お兄さん」
私は御者台の男に話しかける。
「この近くにマハルラって街無いかな?」
「今そこまで向かっている途中だけど、なにかあったかい?」
男は馬の綱を握ったまま、不思議そうに振り返った。
「そこに冒険者ギルドってない?」
「お姉さん冒険者ギルドの人なんだね。あるよ」
「じゃあそこにギルドマスターのルンカースって人がいるかわかる?」
「一度話したことあるな……気さくないい人だったよ」
男の言葉に頷きながら、私は思考を巡らせる。
私が傍受出来た通信はギルド関係のものだった。
アーカイブからもギルドと誰かのやり取りしか無かった。
それが妙に引っかかる。
通信魔法というのは、本来なら高度な魔力コントロールが必要な高等技術。
けれど、聞こえてきた音声からは発信者の強い魔力特性が感じられなかった。
恐らく通信魔法を使える人が、個人の力で通信しているのではない。
なにか通信魔法の術式がコピーされたような、魔道具のようなもので話しているのかもしれない。
誰でも手軽に扱えるようにシステム化されているのだとしたら、私の知る五百年前よりも随分と都合がいい。
ただ、ギルドの通信の相手もほぼ変わらないことから、恐らく民間ではあまり普及していないことも予測できた。
「ルンカース、ねぇ……」
その名前を口の中で転がす。
「変なこと聞くけど……この大陸に奴隷制度なんて無いわよね?」
私が探るように尋ねると、男は呆れたように鼻で笑った。
「とっくの昔に廃止になっとるな。どこの田舎から出てきたんだい、お姉さん」
「良かった! 私、てっきりお兄さんに売られちゃうかと思って」
冗談めかして胸をなでおろしてみせると、御者台から豪快な笑い声が返ってきた。
「ははは! お姉さんくらい美人なら、どこへ連れていっても引く手あまただろうさ。まあ、俺はそんな大層な悪党じゃないから安心しな」
屈託のない男の笑い声が、のどかな街道に響く。
これほど自然な反応をするということは、この世界の表社会において、奴隷制度は文字通り過去の遺物なのだろう。
一般の人間にとっては、それが常識。
それならば――先ほど傍受したギルドの通信から「奴隷」という不穏な単語が漏れ聞こえてきたのは、最高にラッキーだった。
表向きは綺麗に廃止されたはずの歪みが、ギルドの暗部で未だに脈打っている。
これほど美味しい弱みは、そうそう転がっているものではない。
「再召喚初日から、随分と運がいいわね……」
木漏れ日の差し込む荷台から、流れ行く穏やかな景色とどこまでも広い青空を見上げ、私は小さく独り言ちた。
「ん? 何か言ったかい?」
「いいえ。旅の途中で、こんなに親切なお兄さんの馬車に乗せてもらえるなんて、私は本当に運がいいなと思いまして」
私は笑みを浮かべ、男の背中に向かって声を弾ませた。
男は「柄にもねえな」と照れくさそうに頭を掻きながら、再び前を向いて馬の手綱を握り直す。
法律によって消し去られたはずの闇が、今も形を変えて蠢いている。
気さくでいい人と評判のギルドマスター、ルンカースがその闇にどこまで深く片足を突っ込んでいるのか。
「ルンカース。期待を裏切らないでちょうだいね」




