43#想恋
朝食の席で、リアがロゼッタの新しい武器について提案を切り出した。
「せっかくだから、今日はロゼッタちゃんの大剣を製作する工房へご案内しましょうか」
その言葉を聞いた瞬間、ロゼの顔がパッと明るくなった。
朝食を喉に流し込むようにかきこむと、「早くいこうぜ!」と居ても立っても居られない様子で俺たちの背中を叩く。
俺とリアは苦笑しながら、その勢いに押されるようにして城を出た。
イトューヒ王国の城下町は、整然と積み上げられたレンガ調の建物が立ち並ぶ美しい街並みだった。
活気ある通りを抜け、街の端にある煙突から絶えず煙を吐き出している大きな建物へ足を踏み入れる。
工房に入ると、煤で汚れた前掛けをした主人が出迎えてくれた。
作り始める前だというのに、主人とロゼの熱い議論はすでに始まっていた。
「刃の重心はもう少し手元に」「この素材の模様を活かして、装飾はもっと無骨な感じで……」
ロゼの語る剣へのこだわりは、聞いていて驚くほど具体的で、そして熱い。
妥協を許さないその姿は、いつもの豪快なロゼとはまた違った真剣な職人の顔だ。
ーーこりゃあ、終わりそうにないな
俺が視線を巡らせると、リアも同じことを考えていたのか、微かに肩をすくめてこちらを見ている。
「ロゼ、俺たちは先に城に戻っているぞ。気が済むまでここで打ち合わせしてこい」
「おう、わかった!おっさんもリアものんびりしててくれ!」
ロゼは工房の主人との会話に集中したまま、適当に手を振った。俺とリアは笑い合いながら工房を後にする。
午前の柔らかな日差しが降り注ぐ城下町の通りを、俺たちは二人並んで歩き始めた。
先ほどまでの賑やかさとはまた違う、静かな時間が流れていた。
「トールさんさえ宜しければ、改めて城内をご案内しましょうか?」
リアが上目遣いで尋ねてくる。城の重厚な石造りの廊下を歩きながら、俺は笑顔で頷いた。
「いいのか?是非お願いしたい。ここまで立派な城だと、迷子になるのも時間の問題だったからな」
他愛もない軽口を交わしながら、俺たちは城の奥深くへと足を進めた。
吹き抜けの回廊から見下ろす街並みや、歴代の王たちの肖像画が並ぶ重々しい広間など、リアは楽しそうに城の歴史や自身の思い出を語ってくれる。
やがてたどり着いたのは、城壁に囲まれたリアお気に入りの庭園だった。
そこは外界の喧騒から隔絶された静寂の地で、季節を彩る色とりどりの花々が、まるで競い合うように咲き乱れている。
「いつもは一人でここに来るのですが……トールさんがいてくれるだけで、景色がいつもよりずっと綺麗に見えます」
リアは花々を愛でるような優しい微笑みを浮かべた。その言葉に、俺は少しだけ気恥ずかしくなって視線を逸らす。
王女という身分を超えて、一人の少女として俺に向き合ってくれているのが伝わったからだ。
庭園の一角には、木漏れ日が心地よいティーセットが置かれたテーブルと椅子があった。
話題は尽きず、気がつけば日時計の針は正午を指している。
「せっかくですから、昼食もここでとりましょう。せっかくのいいお天気ですし」
リアの提案で、給仕を呼んで庭園で食事をすることになった。
工房に夢中のロゼはまだ戻りそうにない。予期せぬ形で訪れた、リアと二人きりの昼食だった。
テーブルに並べられた軽やかな料理と、時折吹く心地よい風。俺たちは昨日までの緊張を忘れて、穏やかなひとときを共有していた。
「こんな平和な時間がずっと続けばいいですね」
リアの呟きは、柔らかな日差しの中で風に溶けていった。
俺は彼女の横顔を見つめながら、素直に頷く。
「そうだな……戦いのない穏やかな日常ってのは、贅沢だよな」
午後に入り、リアは公務のために一度席を外すことになった。
俺は暇を持て余し、城内の図書室のような場所で時間を潰すことにした。
ただ、この世界の言語はまだ完全には読み解けず、ある程度は流し読みするのが精一杯だ。
挿絵の多い本をいくつか手に取ってみたものの、これといって食指が動くものには出会えなかった。
そうして、あくびを噛み殺しながら時間を潰していると、工房から戻ったロゼが勢いよく図書室の扉を開けた。
「おっさん! 聞いてくれ!」
ロゼは本なんて一行も読む気はないといった様子で、俺の隣にどかっと座り込むと、いかに新しい大剣が素晴らしいものになるかを語り始めた。
素材の選定、重心のバランス、刃紋の美しさ――
彼女の言葉からは、完成を待ちきれないという高揚感が溢れ出している。
俺はロゼの楽しげな話に相槌を打ちながら、彼女のそんな子供のような姿を見ていた。
そうこうしているうちに、予定を終えたリアが部屋に入ってきた。
「二人とも、少し早いですが夕食にしましょうか」
そうして用意された夕食は、昨日の晩餐会のような豪華絢爛なものとは違った。
しかし、素材の良さが活かされた料理は、酒場で食べる大雑把な定食とは比べるべくもないほど美味かった。
「……工房の親父とのやり取りで頭使ったから、飯が美味いぜ!」
ロゼは豪快に料理を口に運び、俺もそれに続いてワインのグラスを傾ける。
リアもまた、王女という重責から少しだけ解放されたような、安らかな表情で食事を楽しんでいる。
窓の外では陽が落ち、城内に明かりが灯り始めていた。
食後のひととき、部屋から出て風呂へ向かおうとした瞬間だった。
ふわりと袖を引く感触があり、振り返るとそこには少しだけはにかんだ表情のリアがいた。
「夜……少し……二人でお話しませんか?」
不意打ちの上目遣いに、俺は思わず息を呑んだ。
断る理由などあるはずもない。俺は努めて平静を装いながら、「ああ、もちろんだ」と短く了承した。
風呂場に浸かりながらも、リアの事が頭から離れなかった。
一体どんな話をするつもりなのだろうか。
何か重要な相談か、それともただの世間話か。蒸気に包まれながら、鼓動の早まるのを感じていた。
部屋に戻り、椅子に深く腰掛けてぼんやりと天井を見上げていたとき、静かなノックの音が響いた。
扉を開けると、そこには夜の静寂を纏ったリアが立っていた。
日中の華やかなドレス姿とは打って変わり、肩の力が抜けた柔らかな寝間着姿。
髪も少しだけ解かれ、彼女の素顔に近い美しさが際立っている。
王女としての気高さよりも、女の子らしい可愛らしさが強調されていて、俺は再び胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……遅い時間にごめんなさい……良かったら私の部屋に来ませんか?」
そう控えめに告げるリアの頬は、夜の明かりの中でも紅潮しているのが分かった。
俺は「ああ、もちろんだ」と頷き、彼女の後を追って部屋を出た。
「廊下は暗いので、気をつけてくださいね」
そう言って、リアがそっと手を差し出してきた。
俺は迷わずその華奢な指先を握りしめる。
手を取り合って暗がりの廊下を進み、幾つかの階段を上ると、彼女の私室へと案内された。
扉を開けると、そこは王女の部屋に相応しく広々としていた。
どこに腰を下ろせばいいのか躊躇していると、リアは俺の手を引いたまま、部屋の奥へと歩を進める。
「こっちきてください」
彼女が向かったのは、月明かりが差し込むバルコニーだった。眼下に広がる城下町の夜景が、まるで宝石を散りばめたように美しく輝いている。
リアは手を離し、夜風に髪を揺らしながらバルコニーの柵に寄りかかった。
「良かったら、一緒に寝酒でもと思って……」
リアがテーブルに置かれたガラスの器を指さした。
中には、夜の光を浴びて琥珀色に輝くワインが揺れている。
「じゃあ……貰おうかな」
俺がそう答えると、彼女は手際よくグラスにそのワインを注ぎ、俺に手渡してくれた。ふわりと甘い香りが漂ってくる。
「……乾杯」
リアが柔らかな笑みを浮かべ、グラスをそっと合わせる。
グラスに伝わるカチリという音とともに、俺たちは口をつけた。
夕食の時に呑んだものとは違い、果実の甘みが凝縮されたフルーツワインだ。
口当たりが良く、喉を通るたびに緊張が心地よく解けていく。
「ここから見る景色が好きなんです」
リアはグラスを片手に、バルコニーから城下町の夜景を見下ろした。
無数の灯りが揺らめく街並みは、戦いの記憶を忘れさせるほどに穏やかだ。
「この灯の数だけ、色んな生活があるんだなって思うのが好きなんです」
リアの呟きは、月夜に溶けるように静かだった。
俺は眼下に広がる宝石箱のような光を眺めながら、バルコニーの縁に手をかけた。
「いい景色だな」
バルコニーの縁に手をかけて大きく息を吸い込んだ。
「ここから見ると何一つ争いなんてなさそうに見える」
俺の言葉に、リアはゆっくりと身体をこちらに向けた。
バルコニーの冷たい風に、彼女の寝間着の裾が小さく揺れる。
「……私はずっと、王女として生きていかなくちゃって……そう思い詰めていたんです。何をするにも、何を考えるにも『王女の務め』という重石があって」
彼女の瞳が、月光を反射して真っ直ぐに俺を射抜く。
「でも、トールさんと一緒にいて……トールさんが私を『リア』と呼んでくれると……その時は、王女ではなく一人の人間に戻れるような気がするんです」
リアは頬を淡く染め、少し恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。
その無防備な表情は、先ほどまで王国の未来を背負っていた人物とは思えないほど愛らしい。
「だから……ずっと、リアって呼んでくださいね」
その言葉は、まるで何かの約束のようだった。俺はグラスに残った最後の一滴を干し、彼女の瞳をじっと見つめ返した。
「……あぁ、わかったよ。俺にとって、これからもずっとリアだ」
そう伝えると、リアは心から安堵したような笑顔を見せた。
それからは、時間を忘れて話した。
旅の思い出や、この国がどうなってほしいか、あるいは将来のたわいもない夢。
心地よいフルーツワインの酔いも手伝って、俺たちの言葉は淀みなく、夜の深まりとともに溶け合っていった。
気づけば、琥珀色のワインが揺れていたガラス器は空になっていた。
「……もう、こんな時間ですね。そろそろ寝ないと」
リアが残念そうに呟く。俺も同じ気持ちだった。
このまま夜が明けなければいいとさえ思ってしまう。
「そうだな……」
俺たちが部屋を出ると、廊下は先ほどよりもずっと静まり返っていた。
行きと同じように、リアが差し出した手を俺が握る。
繋ぎ慣れたはずのその手が、先程よりもずっと温かく感じられた。
リアは俺の部屋の扉の前まで歩き、その手を離すのが惜しいと思いながら、そっと彼女を見送った。
「……また明日も来ますね」
扉に手をかけたまま、彼女は振り返ってそう尋ねた。
その瞳は期待と微かな不安に揺れている。
俺は迷うことなく、真っ直ぐに彼女を見返した。
「あぁ……待ってる」
俺の言葉を聞いて、リアはとろけるような笑みを浮かべた。
「おやすみなさい、トールさん」
優しい囁きとともに、彼女はゆっくりと扉を閉じていく。
完全に閉ざされるその瞬間まで、隙間から顔を覗かせ、小さく手を振ってくれていた。
自室に戻ると、俺は重い帯刀ベルトを外し、ベッドへと深く沈み込んだ。
頭の中は、今さっきまで目の前にいたリアの面影でいっぱいだ。
……参った……完全に惚れてる。
明日また彼女の笑顔に会えること。
それだけが、今の俺にとっての全てだった。
天井の影を見つめながら、浮かんでくる彼女の笑顔を思い返す。
その温もりを心に抱いたまま、俺は吸い込まれるように深い眠りへと堕ちていった。




