39#雨中
俺達は飛龍討伐の祝勝会と称し、賑やかな酒場で杯を交わした。
本来であれば、すぐにギルドへ報告に行くべき案件だが、報告を済ませればリアの旅路がより厳しくなることは目に見えていた。
そのため、正式な報告は目的地であるイトューヒ王国まで持ち越すことにしたのだ。
つまり、今夜の酒盛りはあくまで俺たちだけの「前夜祭」に過ぎない。
激闘の疲れもあって、祝勝会は早々に切り上げることにした。
だが、明日からの旅路を考えれば、放置できない問題が一つある。ロゼの武器だ。
俺たちは帰路の足で、武具店へ立ち寄った。
しかし、ロゼの相棒であったあの大剣と同じ性能のものを探すと、今のロゼの手持ち金では到底手が届かないという現実を突きつけられる。
「……これじゃあ、飛龍の鱗は叩き切れないな」
ロゼは店内に並ぶ大剣を一本ずつ手に取っては、苦い顔で首を振った。
結局、彼女の力に耐えうるという一点のみを重視し、性能はそこそこの大剣を妥協案として選ぶしかなかった。
「この依頼が終わったら、報酬の金でもっといい大剣買いに行くか」
俺がそう言うと、ロゼは「約束だからな!」と言って力無く笑った。
翌日は、空が白み始める日の出と共に宿を立ち、イトューヒ王国を目指した。
御者台に座り、隣に座るリアの案内に耳を傾けながら、俺は馬の手綱を握りしめた。
順調に距離を縮めていたが、昼を少しまわった頃、空が灰色に染まり、冷たい雨粒が降り注ぎ始めた。
雨で視界が悪くなり、泥で足元の悪い道を制御するのは骨が折れる。
俺は操縦をロゼと交代した。
しかし、雨脚は時間の経過とともに強まるばかりだった。
叩きつけるような激しい雨が視界を完全に遮り、馬たちも消耗し始めている。
これ以上無理に強行するのは、崖から落ちるリスクと隣り合わせだ。
「ダメだ、ロゼ。ここで止めよう」
「あぁ……この視界じゃ、まともに走るのも骨だ」
俺の言葉にロゼも納得し、街道沿いにあったひときわ枝ぶりの良い大木の根元へと馬車を寄せた。
「……しばらく足止めだな」
馬車を止めると、俺は小さく息を吐いた。
雨音を響かせる車内で、俺たちは顔を見合わせる。
イトューヒへの旅路は、予想外の試練で少しだけ歩みを止めることになった。
御者台に屋根があるとはいえ、吹き込む雨と風でロゼの身体は全身ずぶ濡れだった。
「ロゼッタちゃん、風邪ひくよ」
リアは心配そうに車内を見渡し、何か拭くものを探して慌てている。
重厚な鎧からは、ポタポタと絶え間なく水が滴り落ち、馬車の床を濡らしていた。
「ちょっと見てな」
ロゼは気にした様子もなく、鎧を纏ったまま床にどっかと座り込むと、自身の身体に淡く魔力を巡らせた。
次の瞬間、彼女の鎧からゆっくりと熱気が立ち上り、一気に蒸気が吹き出した。
濡れそぼっていた赤い髪からも熱が放出され、みるみるうちに水分が奪われ、乾燥していく。
「ほらな、へっちゃらだ」
ロゼは蒸気に包まれながら、達成感たっぷりの笑顔で座っている。
瞬く間に車内が真っ白な蒸気で満たされ、周囲がかすむ中、俺は感心して声をかけた。
「なるほど、火属性の魔力で直接蒸発させたのか。そんな使い方も出来るんだな」
「旅路で何かと重宝するんだよな」
「やっぱり五大属性の魔力持ちは何かと便利だな」
俺は目の前で蒸気を出し続けているロゼを見ながら、感心混じりに呟いた。
「私は聖属性の方が便利だと思うけどな……リアは聖と雷属性だっけ?」
ロゼが唐突に話題を振ると、リアは床に丁寧に座り直し、俺に向かって柔らかな微笑みを向けた。
「ええ、そうです。二極持ちですね。トールさんと同じです」
「おっさんは聖と魔の『対極者』だから……まあ、ある意味ハズレだけどな」
ロゼがケラケラと悪戯っぽく笑いながら俺を指さす。
「俺自身は、そこまでハズレだとは思っていないんだけどな……」
俺は外で打ち付ける雨を見ながら、ぼそりと呟いた。
「まぁ……私も……」
ロゼは少しだけ視線を逸らした。
「あまりそう思わなくなったのは確かだな」
ロゼは最後に残った熱を吐き出すように魔力を止めると、先ほどまで熱気でフワフワと浮き上がっていた赤い髪が、スッと重力に従って元の落ち着きを取り戻した。
「明日にはイトューヒに着けるかな」
俺が何気なく問いかけると、リアは膝の上でロングスカートのシワを丁寧に伸ばしながら、穏やかな表情で答えた。
「はい。この調子なら明日の昼には着けそうです」
「……そうか」
明日の昼。あと数時間もすればこの旅も終わるのかと思うと、長かったような、あるいは瞬きする間に過ぎ去ったような、不思議な感慨が胸に去来した。
「ねぇ、おっさんは護衛が終わったらどうするんだ?」
ロゼが仰向けに寝転がり、馬車の天井を眺めながらぶっきらぼうに尋ねてきた。
「そうだな……まだ、そこまでは考えてなかったな」
俺は言葉を濁しつつ、視線の端でリアの横顔を捉える。
「……終わった後のことは、考えないようにしているのかもな」
ロゼは俺の言葉に少し不思議そうな顔つきをしたが、すぐにまたぼーっと天井を見始めた。
イトューヒに着けば、彼女は本来の役割へと戻り、俺とロゼの依頼も完了する。
その後の自分たちの行く末を想像し、俺は静かに思案を巡らせた。
馬車の外では雨足が少し弱まり、湿った土の匂いが車内に流れ込んでくる。
静寂の中、ロゼはいつの間にか寝息をたてていた。
これから訪れる「終わり」と「始まり」の境界線を、俺は一人静かに噛み締めていた。




