38#秘密
俺は体を起こすと、隣で座り込んでいるロゼの手をそっと握りしめ、もう一方の手をその首筋へと添えた。
聖属性の魔力を練り上げ、微細な回復魔法を展開する。
「回復魔法は苦手なんだ……上手くないが、我慢しろ」
「……おっさん……無詠唱でそんな芸当ができるのか?」
ロゼの肌の上で魔力が波打ち、浅い傷や打撲の跡が少しずつ薄れていく。
「あんな長ったらしい、訳の分からない言葉なんて覚えきれるか」
俺の言葉に、ロゼはふっと表情を和ませて笑った。
「おっさんは天才なのかバカなのか分からん」
傷の塞がりを確認し、俺はそっと手を離した。
「立てるか?」
「ん……余裕だ」
ガシャリと鎧が音を立て、ロゼは力強く立ち上がった。
二人は余力を振り絞り、慎重にツクシの街を目指した。
幸いなことに、日が完全に沈む前に街の門をくぐることができた。
宿へ戻り、リアが滞在している部屋のドアをノックする。すると、ドアの向こうからドタドタと足音が響き、勢いよく扉が開いた。
そこにいたリアは、俺たちの姿を確認した瞬間、堰を切ったように涙を浮かべた。
「無事で、本当によかった……!」
彼女の偽りのない安堵の声に、俺とロゼは顔を見合わせて苦笑する。
「ギリギリだったがな……」
激闘の直後で、さすがに今日中に出発するのは無謀だと判断した。
俺は宿にあと一部屋追加で借りることにする為、カウンターで宿の主人に手続きを済ませた。
先程の部屋に入ると、さっきまでの激闘が嘘のように、ロゼは鎧を脱ぎ捨ててベッドに大の字になっていた。
聞こえてくる豪快ないびきに、俺は思わず吹き出してしまう。
「すまんな……ロゼが起きるまでは俺が護衛するから」
部屋にいたリアに声をかけて椅子に腰を下ろした。
「いえ……ありがとうございます。トールさん」
リアは柔らかい笑顔で答え、俺と向かい合うようにして座った。
その表情は穏やかだが、どこか芯の強さを感じさせる。
「……リア」
俺は彼女を見つめた。聞くべきかどうか、迷いはあった。
だが、このまま有耶無耶にして別れるわけにはいかなかった。
「……どうかしましたか?」
「……俺の正体を知っているのか?」
俺の問いかけに、リアは視線を逸らさなかった。
まっすぐな眼差しで、俺の瞳を静かに見つめ返す。
「……はい。おそらく、本人だろうなと思っておりました」
「……そうか……」
「……黙っていて、申し訳ございません」
リアはすぐに立ち上がると、椅子から降りて深々と頭を下げた。
隠し通すつもりだったわけではないのだろうが、気遣いから黙っていてくれたのだ。
「いや、謝ることじゃない」
俺は立ち上がり、彼女の目線に合わせるようにしてしゃがみ込んだ。
「ただ……皆にはあまり言わないでくれたら嬉しい。ロゼにも」
俺は自嘲気味に、少しだけ弱々しい笑みを浮かべて言った。
英雄としての人生を再び歩みたい訳では無い――そんな俺の我儘を受け入れてほしいという、ささやかな願いだった。
「わかりました……私とトールさんの、秘密ですね」
リアはいたずらっぽく、それでいて慈しむような笑みを浮かべた。
「ありがとう」
「それに……過去がどうであれ、トールさんはトールさんですから」
その言葉と同時に見せてくれたリアの微笑みは、こちらの胸の奥を突くほど美しかった。
年甲斐もなく、俺は一瞬言葉を失い、見惚れてしまった。
「……どうかしましたか?」
「い、いや……何でもない」
己の動揺を隠すように、俺は慌てて顔を背けて椅子に座った。
「ふふっ、変なトールさんですね」
リアはクスクスと楽しそうに笑いながら、再び椅子に腰を下ろした。
それからの時間は、不思議なほど穏やかに過ぎていった。
ロゼが目を覚ますまで、俺たちは尽きることのない話題に花を咲かせた。
つい先ほどまで死闘を繰り広げていた飛龍討伐の顛末、伝説として語り継がれる過去の英雄たちの逸話。
そして話は、ロゼが起きたらどこの酒場で祝杯を上げようか、という期待へと移り変わっていく。
二人で時間を忘れて話に耽っていると、ベッドの上でロゼがムクっと身を起こした。
彼女はまだ眠気に支配されているのか、目を擦りながらぼーっとした表情で俺とリアを交互に見つめている。
いつも戦場で先陣を切る勇猛な彼女からは想像もつかない、あまりに無防備で子供っぽい寝起き姿だった。
「ロゼッタちゃん、起きた?」
リアが優しく問いかけると、ロゼは「うん……」と小さな声で短く答えただけだった。
俺はその意外な一面に少しだけ頬を緩ませ、ロゼが完全に覚醒するまでの間、穏やかな気持ちでその様子を眺めていた。
やがて、頭がはっきりしてきたのか、ロゼの頬がみるみる赤く染まっていく。
自分が寝ぼけていたことに気づいたのだろう。
彼女は若干恥ずかしそうに視線を泳がせた後、気まずさを誤魔化すように声を張り上げた。
「……腹減った! 酒場行くぞ!」
そう言い捨てると、ロゼはそそくさと部屋を飛び出していった。
その様子に、俺とリアは思わず顔を見合わせて吹き出した。
静かな笑みを交わし合った俺たちは、早足で遠ざかるロゼの背中を追って、街の酒場へと向かった。
明日から何が待っているのかは分からない。
だから今夜だけは、この平穏を噛み締めよう。
そう思いながら、
俺はロゼとリアの背中を追った。




