32#野営
日が沈み、周囲は急速に暗闇に飲み込まれていった。
俺たちはいくつかの農村を通り過ぎ、明かりのない荒れた道を進んだ。
リアの提案で、俺たちは都市から十分な距離を取って野営することにした。
王女を襲った野盗の足取りが掴めない以上、近くで夜を明かすのは危険だという判断らしい。
「今日はここまでだ。さすがにこれ以上は危ない」
都市から十分な距離を置き、街灯も消えた静かな場所で馬車を止めた。
「じゃあここで今日は野営だな」
俺が御者台から飛び降りて馬車の後ろに回り込むと、リアも背伸びをして降りる準備をしていた。
「体は大丈夫か?」
「はい。トールさんも疲れてませんか?」
俺が手を差し出すと、リアはその手をしっかりと掴み、優雅な動作で馬車から降り立った。
「俺は大丈夫だ。ロゼッタが頑張ってくれたからな」
「とりあえず飯にするか」
ロゼッタも軽やかな動きで馬車から降り、空腹を満たす準備をしようと提案した。
俺は周囲の森に視線をやり、無意識に狩りの手順を頭に描く。
「よし。じゃあ俺がなんか狩ってくるか」
その言葉を聞いた瞬間、ロゼッタが深い溜息をついた。
「……おっさん。そんな非効率なことしてたら、一週間でイトューヒまで着けないだろ」
「そうなのか?」
俺は首を傾げる。
「買い込んだ食料で持たせる。途中、街でまた食料を買えばいいさ」
ロゼッタが手早く馬車の荷台から食料袋を取り出しながら説明してくれる。
昔の魔王討伐の旅とは、何もかも勝手が違うようだ。
当時は食料など、獲物を狩るか現地調達するのが当たり前だった。
「適当に買った野菜を切って、肉をぶち込んでスープでいいか?」
ロゼッタがリアに尋ねると、彼女は少し不安げな面持ちで小さく頷いた。
旅の食事としては十分に贅沢な部類だと思うが、王族付きの身としては慣れないのかもしれない。
「水は汲んでくればいいか?」
「そうだな。ちょっと先に川があるはずだ。おっさん、行ってくれるか?」
「あぁ。任せろ」
俺は荷台から水汲み用の樽を担ぎ上げた。
その動きを見届けたリアが、おずおずと声を上げる。
「あの……私も行っていいですか?」
俺は眉を寄せた。
「ここでロゼッタといた方が安全だと思うが……」
チラリとロゼッタを見る。
彼女は短く肩をすくめ、好きにしろと言わんばかりに薪の準備に取り掛かっている。
「……まぁいいか。じゃあ一緒に来るか」
「はい。ありがとうございます」
リアは安心したように顔を綻ばせ、俺の空いている方の手をしっかりと握り締めた。
暗くなり始めた森の中、俺たちは川へと続く獣道へと足を踏み入れた。
「やっぱり王女の付き人だったんなら、城で生活してたのか?」
俺が尋ねると、リアは少し遠い目をしながら頷いた。
「そうですね……あまりお城から外に出たことはありませんでした」
「じゃあ野営なんてあまり経験ないのか?」
「……はい。なので、少し緊張しています」
彼女の素直な告白に、俺は思わず笑みがこぼれた。
さっきからずっと表情が硬かった理由がようやく分かった気がする。
「だから顔が強張っていたのか」
「私、変な顔してましたか?」
「適当にスープを作るなんて話を聞いて、ものすごく神妙な顔をしていたな」
俺の指摘に、リアは「恥ずかしい……」と小さく呟き、俺と繋いでいない方の手で顔を覆った。
俺は川のせせらぎを聞きながら、歩みを緩めてリアがついてきやすいように配慮した。
川から戻った俺たちは、汲んできた水をロゼッタのそばに置いた。
馬の世話を終えたロゼッタが準備した焚き火には、既に鍋がかけられ、柔らかな熱を放っている。
「ロゼッタ。野菜切っとくか?」
「頼む。自分の刀使ってもいいぞ」
「……嫌だよ」
そんな無骨な道具の使い方をされては堪らない。
俺は荷台からナイフと野菜を手に取り、焚き火のそばに座り込んだ。
皮を剥き始めると、隣に腰を下ろしたリアが、食い入るような視線で俺の手元を見つめている。
その静かな圧に、俺は思わず苦笑した。
「……そんなに見られると恥ずかしいな」
「あ、ごめんなさいつい……」
リアは慌てて視線を下へと移す。
「あまり城ではやらないのか?」
俺は淡々と皮を剥き終えた野菜を食べやすい大きさに切り分け、順番に鍋へと投入していった。
「ええ。食材を調理するのは、私の仕事ではありませんでしたから。……トールさんは、ずいぶんと手慣れているのですね」
「ま、昔はこういうことが生活のすべてだったからな」
現代社会での経験や、かつての戦いの日々に思いを馳せつつ、俺は鍋をかき混ぜる。
パチパチと薪が爆ぜる音が、夜の静寂を少しだけ賑やかにしていた。
荷台から適当に肉を煮込んだだけの俺の適当さに対し、ロゼッタからは呆れ顔で小言が飛んできた。
だが、彼女が慣れた手つきで瓶の調味料を振り入れると、煮立っていた鍋からは食欲をそそる芳醇な香りが立ち上った。
「さて。食うか」
「おぉ!待ってました!」
俺が荷台から食器を取り出し、ロゼッタとリアに手渡す。
各自の器にスープを盛り付ければ、焚き火を囲むだけの質素な夕食の始まりだ。
ロゼッタは豪快に、スプーンを走らせてガツガツとスープを口に運んでいる。
対照的に、リアは器を両手でしっかりと包み込み、短く祈りを捧げてから静かに口をつけた。
俺もスプーンで一口すくって味わう。
「ん!美味いなこれ!」
素材の旨味が塩気と調味料で引き立てられ、冷えた体に染み渡るようだ。
俺の率直な称賛に、ロゼッタは誇らしげに胸を張り、嬉しそうに笑った。
「私が味付けしたからな!」
その隣で、リアも驚きで目を丸くしている。
「ほんと!凄い美味しい!」
城で暮らしていた彼女にとって、この野趣あふれるスープは新鮮な驚きだったのだろう。
さっきまでの緊張感が嘘のように、小さな野営地が温かな空気に包まれていく。
こうして食事を共にすることで、少しずつではあるが、三人の中の距離が縮まっていくのを感じた。




