26#救出
道幅が広がり、洞窟の壁が遠ざかっていく。この先にあるはずの空間は、ゴブリンたちの広間であることは間違いなかった。
曲がり角の先からは、下品な笑い声と、無数の足跡が聞こえてくる。
気配が蠢いているのが、魔力探知などしなくとも肌で感じられた。
ロゼッタが俺の肩を軽く叩く。その掌には、緊張と、それ以上に激しい闘志が宿っている。
「どうする?」
俺は静かに息を吐いた。
「隠密はここまでだな」
短く告げると、魔力を抑え込む事をやめた。
刹那、俺の周囲の空気が重く、鋭く変質する。
目に見えないはずの魔力が、揺らぎとして空間に漂い、洞窟内のゴブリンたちが放っていた卑小な魔力を、圧倒的な質量で塗り替えていく。
「っ……!!」
隣にいたロゼッタが、あまりの圧力に息を呑み、思わず一歩後ずさる。
「……なんだ……その魔力量は……」
「離れるな。いくぞ」
部屋に足を踏み入れると、そこにはおびただしい数のゴブリンたちがいた。
だが、先ほどまで彼らが放っていた下品な笑い声や歓声は、俺が姿を見せた瞬間に嘘のように霧散した。
洞窟内の空気は重く沈み、彼らは一様に俺の姿を見て、気圧されたようにたじろいでいる。
俺が一歩踏み出すたびに、ゴブリンたちの群れは波が引くように一歩ずつ後退した。
恐怖のあまり、足がすくみ、その場から動けない者もいる。
一匹のゴブリンが震える腕で錆びた剣を構えた。
次の瞬間、その手から剣が滑り落ちる。
本能が告げていた。
――戦えば死ぬ。
いや、戦うことすら許されない。
俺は刀を抜くことさえせず、ただ無言で、一直線に広間の中央を歩いた。
背後では、ロゼッタが俺から離れまいと追従してきている。
だが、その足取りからは隠しきれない緊張が滲み出ており、彼女の持つ松明の炎は、その震えを反映するように小刻みに揺れていた。
部屋の最奥、湿った壁面に、二つの小さな影がが見える。
アレンと、テッサムだ。
俺は周囲のゴブリンたちには目もくれず、ただ二人の方へと真っ直ぐに歩み寄った。
「ロゼッタ。二人を担げるか」
俺は短く指示を飛ばす。
ロゼッタは一瞬驚いた表情を見せたが二人を背負い上げた。
アレンとテッサムを担いだロゼッタの姿を確認し、俺は周囲を伺う。
ゴブリンたちは一斉に身を強張らせ、その場に崩れ落ちる者、這うように後ずさる者、壁際へ逃げ込む者と、我先に距離を取ろうとした。
もはや、誰一人として牙を剥くことさえできない。彼らにとって、俺はただの敵ではなく、抗うことすら許されない『災厄』の体現なのだ。
「……行くぞ」
俺は敵を値踏みすることもしないまま、背後のロゼッタを先導して、広間の出口へと歩き出した。
ゴブリンたちはただ、俺たちが通り過ぎるのを震えながら見送るしかなかった。
洞窟の出口へと続く通路を、俺は一歩一歩、慎重に踏みしめて歩いた。
ロゼッタが担ぐアレンとテッサムの体重が、彼女の肩にのしかかっている。
俺は意識を周囲の壁や天井の暗がりに集中させ、背後を歩くロゼッタに一匹のゴブリンも近づけさせまいと、全身の神経を張り詰めていた。
あえて魔力を抑え込まず、荒々しいほどの威圧を放ち続ける。
その圧倒的な圧力が通路を満たし、壁の向こうに潜む気配たちを完膚なきまでに沈黙させていた。
「……急ぐぞ」
枝道を抜ける足取りを早める。ロゼッタも重い荷を背負いながら、俺の気配に呼応するように必死についてくる。
やがて、遠くに外の光が差し込むのが見えた。木漏れ日ではなく、森の入り口へと続く出口の光だ。
出口の岩肌を抜け、再び森の冷たい空気が肌を打つ。
俺は立ち止まり、背後を振り返った。暗く湿った洞窟の入り口を見つめるが、ゴブリンたちの姿は影も形もない。
追跡しようとする気配すら、完全に消え失せていた。
「……ふぅ」
緊張の糸が切れたのか、ロゼッタが小さく、しかし深く安堵の溜息をつくのが聞こえた。
俺もまた、張り詰めていた肩の力が抜け、小さく息を吐き出す。
二人を連れ帰るという目的は、なんとか果たせたらしい。
「まずは街に戻るぞ。……二人を担いでくれて助かった、ロゼッタ」
俺は刀の柄から手を離し、少しだけ表情を緩めた。
まだ油断はできないが、少なくともあのアジトから、彼らを生還させることができたという事実は重かった。




