25#洞窟
俺はしゃがみ込み、落ちていた皮袋を拾い上げた。
中にはまだいくらかの薬草が残されている。
持ち主が慌てて落としたのか、あるいは無理やり奪われたのか。
それ以上の情報は、この皮袋からは読み取れない。
地面に目を移すと、不自然なほど小さな足跡が無数に刻まれているのが見えた。
アレンたちの足跡とは明らかに違う。
「……ゴブリンだな」
ロゼッタがその小さな足跡を指先でなぞり、確信を持って呟いた。
彼女の声に迷いはないが、その表情には強い緊張が張り付いている。
「追うか?」
「そうだな。ロゼッタ、魔力は抑えられるか?」
俺の問いかけに、ロゼッタは深く呼吸を整えた。
直後、彼女から溢れていた冒険者特有の鋭い魔力が、微かにしか感じられないほどにまで収束していく。
「いくぞ」
俺は短く告げると、足跡が続く森の奥へと踏み出した。
木々の葉が重なり合い、太陽の光を遮る鬱蒼とした森の中、ゴブリンの足跡は点々と続いている。
どれほどの距離を追ってきただろうか。不穏な静けさが漂う中、ロゼッタが力なく呟いた。
「……遺体だけでも、綺麗に残ってるといいな……」
その言葉は、彼女が最悪の事態を想定せざるを得ないほど、今の状況が厳しいことを示していた。
だが、俺は首を横に振る。
「いや。まだわからんぞ」
「どうしてだ?」
「あいつらは獲物をすぐ殺すとは限らん。巣へ連れ帰る習性がある」
「……それにかけるしかないか」
その言葉が、わずかな、しかし唯一の希望だった。
もしアレンたちがまだ生きているのなら、一刻の猶予もない。
二人はそれ以上言葉を交わさず、呼吸音さえも殺すようにして、気配を消し、執拗に続くゴブリンの足跡を追い続けた。
森の奥から、微かに湿った獣の臭いが漂い始めた。
俺はロゼッタを制止し、木の影から洞窟の入り口を観察した。
見張りらしい姿は見当たらないが、油断は禁物だ。
「あの洞窟だな」
俺の小声に、ロゼッタが緊張した面持ちで頷く。
「洞窟のゴブリンか……巣穴が迷路のようで厄介だな」
「そうだな……それに崩落の危険もあるから、ロゼッタの大技は使えないと踏んでおこうか」
「……わかった。私はおっさんのサポートにまわる」
「頼む。もし……俺が危険になっても、あの子達の命を優先してくれ」
ロゼッタは一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに意志を固めたような顔で頷いた。
「……わかった」
その返事を聞き届けると、俺たちは静かに行動を開始した。
洞窟の入り口へ向かう足取りは、音を立てないように細心の注意を払う。
洞窟内部は、外の光を拒むように薄暗い。
俺もロゼッタも、純粋な戦闘には長けているが、隠密や探索といった繊細な作業は専門外だ。
だが、今は立ち止まっている選択肢などない。
ロゼッタが慣れた手つきで松明に火を灯す。
揺らめく心もとない灯りが、今の俺たちの唯一の命綱だ。
獣の臭いは、奥へ進むほどに鼻を突き刺すような強さになっていく。
しばらく進むと、通路は二手に分かれていた。
左側の暗闇からは、より濃厚な獣臭と、歪な魔力濃度が立ち昇っている。
「……左が本命か」
俺はロゼッタと目配せをし、意図的に右の通路へと足を踏み入れた。
囮を兼ねた迂回、あるいは万が一の退路確保だ。
ロゼッタは松明を掲げ、俺から適度な距離を保ちつつ、背後を完璧にカバーしながらついてきている。
カサリ、と足元の小石が鳴る音さえも大きく響くような緊張感。
俺は刀の柄に指をかけ、暗闇の先を鋭く見据えながら、静かに一歩ずつ踏み出した。
曲がり角の先で、俺は即座に足を止めた。背後に続くロゼッタも、まるで呼吸を合わせたかのようにピタリと歩を止める。
闇の奥から、湿った足音が複数近づいてくる。俺は腰の『シルラ』の柄を握り込み、重心を低くした。
曲がり角から、ゴブリンの歪な顔が覗いたその瞬間。
俺は一気に踏み込み、居合の一閃を放った。
刃が空気を裂く音さえも聞こえぬほどの速さで、ゴブリンの体は抵抗する間もなく真っ二つに分かたれ、床に崩れ落ちる。
続く2匹が、仲間の最期に驚き声を漏らした。
だが、その声が響くより速く、俺は即座に鞘から『カルラ』を抜き放ち、同時に『シルラ』を振るう。
二振りの鋼が交差するように軌道を描き、ゴブリンたちの首と体が音もなく離れ、狭い洞窟の中に返り血の臭いが充満した。
俺は刀身の血を軽く振り払い、静かに鞘に収め、通路の先に続く闇を睨む。
「おっさん、今の音で気づかれたかもな」
「ああ。急ぐか」
俺は再び二振りの柄に手をかけ、警戒を解かぬまま奥へと進み始めた。
先ほど感じた魔力濃度が、先へ進むほどに強くなっている。
幾度となく枝道を通り過ぎた。
4つに分かれた通路の前に立ち、俺たちは足を止めた。
松明の炎がわずかに揺れ、洞窟の壁に俺たちの影を長く落とす。
かなり深いところまで潜り込んできた。
これ以上、無計画に道を選ぶのは時間と体力を浪費するだけだ。
「……少し待ってくれ」
俺はロゼッタに合図を送り、その場に深く腰を下ろした。
静寂が支配する洞窟の中で、微細な魔力の揺らぎを探った。
ゴブリンたちの纏う濁った魔力の波が渦巻く中、その底に沈むようにして、小さく、しかし確かな光を放つ魔力の粒子を捉えた。
「……いた」
覚えがある。
微かだが、以前薬草採取で隣を歩いた時に感じたアレンの魔力だ。
「アレンの魔力だ。まだ生きている」
俺がそう告げると、ロゼッタがホッとしたように小さく息を吐いた。彼女の握る松明の光が、少しだけ明るくなったような気がした。
「左から二番目だ。かなり奥だな……しかも相当な数が集まってる」
俺は立ち上がり、刀の柄を確かめる。
希望は見えた。
だがそれは同時に、この巣の最深部へ進まなければならないことを意味していた。




