18#子供
酒場は昨日よりは人混みが少ないものの、それでも十分に賑わっていた。
店内に入ると、昨日と同じくキャンディスが忙しなく店内を駆け回り、注文をさばいている。
「あら!トールさんいらっしゃい!空いてるとこ座って!」
キャンディスが俺に気づき、人波越しに明るく声をかけてくれた。
どこか腰を落ち着けられる場所はないかと店内を見渡すと、不意に聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。
「おっさん!こっちこっち!」
声のした方へ視線を向ければ、カウンター席でロゼッタがこちらに向かって大きく手を振っていた。
昨日からだが、見知った顔は安心する。
彼女の隣の席へと向かった。
テーブルには既に肉盛と飲みかけのビールのジョッキが置いてある。
「ロゼッタも飯の時間だったか」
「今日は早めに依頼片付けられたからな。とりあえずトールが頼んだら乾杯するか」
ロゼッタはそう言いながら、ジョッキに残っているビールを飲み干した。
俺はロゼッタの隣に腰を下ろし、ようやく安堵の息を吐いた。
「肉盛とビールお願いします!」
「私もおかわり!」
俺の大声に続いて、ロゼッタも元気よく声を張り上げた。
キャンディスはそんな俺たちを見てクスッと笑うと、明るい声で「はーい!」と返事をした。
「……今で何杯目だ?」
「ん? まだ1杯しか呑んでないぞ?」
そう答えたロゼッタの頬は、既にほんのりと桃色に染まっている。
どうやら彼女は酒があまり強くないらしい。
顔を赤らめてジョッキを握る姿は、年相応の女の子らしく見えた。
「はい、先にビールね」
キャンディスが手際よく二つのジョッキを差し出す。
「トールさん、今日も来てくれたんですね」
「はい。ここの料理がとても美味しかったので、つい足が向いてしまいました」
素直に感想を伝えると、隣から突き刺さるような視線を感じた。
「そこはキャンディスに会いたくてって言った方がよかったんじゃないか?」
ロゼッタがニヤニヤと悪戯っぽく笑いながらこちらを見ている。
「もし俺がそう思ってると思ったんなら、本人の前で言わないでくれ」
「ふふ。すぐ肉盛もお持ちしますね!」
キャンディスは俺の困惑を察したのか、可愛らしく笑うと足早に調理場へと戻っていった。
「さぁ!乾杯するぞ!」
「何にだよ……まぁ、乾杯」
俺は苦笑しつつ、ロゼッタが突き出したジョッキに自分のそれを合わせた。
硬質な音を立てたジョッキを口元まで運び、俺は喉を鳴らしてビールを流し込んだ。
やはり仕事終わりのビールは格別だ。
美味い。
「おっさんは今日は何の魔物狩ってきたんだ?」
ロゼッタはジョッキ片手に、期待に満ちた目で俺を覗き込んでいた。
昨日のボア討伐の印象が強すぎたのかもしれない。
「いや。魔物は倒してないぞ。今日は薬草集めをしていた」
俺が淡々と告げると、ロゼッタは口に含んでいたビールを盛大に吹き出した。
カウンターに飛沫が飛び、彼女は腹を抱えて大笑いし始める。
「ぶっ……!おっさん、なんでそんなことしてんだよ!薬草摘み!? 」
「仕方ないだろ。まだFランクなんだから、コツコツやるしかないんだ」
「それでもEランクの仕事なら、もうちょっとマシな依頼あるじゃないか!なんでわざわざ低賃金の肉体労働を……あはははっ!」
余程おかしかったのか、彼女は涙を拭いながらカウンターをバンバンと叩いている。
俺はビールを流し込み、気まずさを紛らわせた。
「俺だって後の祭りだよ。今日一日働いて、宿代にも届かない報酬を見て初めて気づいたんだからな」
「だめだ、想像が止まらない……!おっさんが無表情で一生懸命、地を這って薬草を摘んでるところ。それ、あと1週間は笑い話のネタにできる!」
「笑いすぎだ。……いくらなんでも、それ以上言われると本当にヘコむぞ」
俺が肩を落とすと、ロゼッタはやっと呼吸を整え、ニヤニヤとした笑みを残したまま聞いてきた。
「はー、笑った。で?散々だった薬草摘み以外に、なんか収穫はあったのか? 」
俺は空になったジョッキを見つめ、今日一日の出来事を思い返した。
「んー……そうだな。アレンっていう、母親思いの新米冒険者の手伝いができたことかな。あいつ、必死に頑張っていたよ」
「……へぇ。なるほどな。親子愛ってやつか」
「そうか……あれも愛の一つか」
「おっさんは真面目だな……愛の勉強ってやつか」
俺は、アレンが母親の話をしている時に見せた、どこか幸せそうな顔を思い出していた。
「おっさん……親子愛が欲しいんなら、一つ手順を飛ばしてるぞ?」
ロゼッタの言葉に、俺はジョッキを動かす手を止め、眉をひそめた。
「ん?何をだ?」
タイミングよく、キャンディスが注文していた肉盛を俺の前に運んできた。
カウンターに置かれた熱々の肉の香りに、先ほどまでの会話が少しだけ霞む。
「このおっさんさ、やっぱり恋人が欲しいんだって。キャンディス……おっさんとの子供作ってあげられるか?」
「ぶっ……!……ばっ、バカ!違いますからねキャンディスさん!」
俺は呑んでいたビールを吹き出しそうになった。
慌てて口を塞ぐ。
「仲良いのね、二人とも」
キャンディスはそんな俺の慌てぶりを気にする様子もなく、ニコニコと悪戯っぽい笑みを浮かべている。
どうやら、ロゼッタの放言を軽い冗談として受け流してくれたようだ。
「……ふふ、お肉、ゆっくり楽しんでいってくださいね」
キャンディスがそう言ってテーブルを離れる。俺は大きく息を吐き出し、突き刺さるようなロゼッタの視線を無視するように肉へ箸を伸ばした。
「……ロゼッタ、お前な。心臓に悪いことはやめてくれ」
「えー? おっさん一人で寂しいかなーって思って親切心で言ってるのに」
ロゼッタはジョッキを傾け、まだニヤニヤとした笑みを浮かべている。
勘弁してくれとばかりに、俺は香ばしく焼かれた肉を口へと運んだ。
確かに親子愛は素晴らしい。
だが、そこに至るためにはまず恋人との絆が必要なはずだ。
いや、そもそも恋人同士の深い愛がなければ、親子愛だって成立し得ないのではないだろうか……
考えれば考えるほど、答えは霧の中へと消えていく。
離婚して連れていかれた子供たちのことは当然愛していたつもりだ。
だが、仕事に追われる日々のほうが圧倒的に多く、父親らしい時間を取れた記憶は少ない。
あのとき、もっと一緒にいればよかったのか。
いや、彼らが今もどこかで元気でやっていてくれれば、それでいいのかもしれない。
俺は複雑な思考を振り払うように、ジョッキに残ったビールを飲み干した。
皿の上には、まだ肉が残っている。
もう一杯いくか。
難しい思索に耽るのは明日でもいいだろう。
隣を見ると、ロゼッタもまた、空になったジョッキを見つめて次の一杯を待ちわびている様子だった。
俺はキャンディスに視線を送り、二杯のビールを注文した。
酒場の喧騒は、夜が更けるにつれてより一層深みを増していく。
俺は運ばれてきた新しいビールを手に取り、柔らかな泡を見つめながら、静かに杯を傾けた。




