14#肉汁
「ビールふたつねー!」
ロゼッタが声を張り上げると、活気に包まれた厨房の奥から、先ほどの女性が「はーい!」と元気な声を返してきた。
ほどなくして、表面がうっすらと湿った木のジョッキが二つ、テーブルに運ばれてくる。
「珍しいわね。ロゼッタちゃんが男連れなんて」
テーブルにジョッキを置きながら、ウェイトレスの女性がロゼッタに話しかけてくる。
俺と同い年くらいだろうか。
金に近い長髪が美しい女性だ。
「今日から冒険者初めたおっさんなんだ。めちゃくちゃ強いんだよ!」
ロゼッタは木のジョッキを一つ自分の方に引き寄せた。
「トールといいます。よろしくお願いします」
「私はキャンディス。こちらこそよろしくね」
キャンディスはニコリと笑うと、テーブルを離れた。
「よし! じゃあ、おっさんの冒険者ギルド登録に乾杯だ!」
ロゼッタはジョッキを高々と掲げた。
「ボア討伐じゃないのな。まあ、いいか。乾杯」
俺もジョッキを手に取り、彼女のそれと軽く打ち合わせる。
乾いた硬質な音が響いた。
ロゼッタは「くうぅーっ!」と喉を鳴らし、豪快にビールを流し込む。実に美味そうな飲みっぷりだ。
俺もそれに倣い、ジョッキを傾けて一口、口に含んだ。
ぬるいな……
もちろん、まずくはない。
麦の芳醇な香りと、適度な苦みが舌に広がる。
だが、やはりキンキンに冷えた酒とは少しばかり勝手が違った。
慣れるまでには、もう少し時間がかかるかもしれないな。
俺は内心で呟きながら、静かにジョッキをテーブルへ置いた。
「キャンディス! 肉盛り2人前な!」
ロゼッタが大声で注文を飛ばすと、少し離れた席でジョッキを回収していたキャンディスが、こちらを向いてニコリと笑って見せた。
「やっぱり仕事終わりの一杯はたまらんね!」
「間違いないな。どんな仕事でも、それは変わらん」
俺たちはジョッキを再び煽った。
ぬるい温度にはまだ慣れないが、喉を通る独特の苦味は、一日の疲労を静かに癒やしてくれているようだった。
「そういえば、ここの飯代はいくらくらいかかるんだ?」
「んー? 呑んで食いまくっても……そうだな、一人銀貨1枚あれば十分だ。いっても2枚あれば腹がはち切れるぞ」
ということは今の手持ちで、少なくとも明日の飯に困ることは無さそうだ。
「ほー……それなら、宿に泊まるとなるとどれくらいかかるんだ?」
「安い宿なら銅貨50枚くらいだな。高くても銀貨2枚ってところじゃないか? ……なんだ? まだ銀貨16枚もあるのに、もう金の心配でもしてんのか?」
ロゼッタは目を細め、カラカラと明るい声で笑った。
俺の将来を案じているのか、それともただ呆れているのか。どちらにせよ、その屈託のない笑顔を見ていると、自然と俺の口元も緩んだ。
「はい! お待たせ、肉盛り2つね」
キャンディスが、湯気を立てる大皿を二つのテーブルへ軽やかに置いた。
ずしりと重そうなその皿には、山のように肉が盛られている。
目算だが、軽く1kgはありそうだ。これなら腹が減っている俺でも十分に満足できそうだ。
「美味そー! あ、キャンディス! この中にボアの肉ってある?」
「あるわよ。真ん中のやつがボア。その左がサランドラで、右がモール。トールさんは食べられないものとかある? 大丈夫?」
キャンディスに問いかけられ、俺は軽く会釈をした。
「大丈夫です。ありがとうございます」
名前を聞いてもボア以外は皆目検討がつかない。
だが、アレルギーの類は持ち合わせていないし、食えるものなら何でもいい。
「おっさん、良かったな! 今日討伐したボアは食えなかったけどボア肉食えるぞ!」
ロゼッタが悪戯っぽく笑いながら肘をつついてくる。
「……食いたかったわけではないが。まあ、いいか」
苦笑しつつ返事をすると、キャンディスが少し驚いた様子でこちらを覗き込んできた。
「トールさん、冒険者になったばかりなのに、もうボア狩りに行ってきたんですか?」
「このおっさん、めちゃくちゃ強いんだよ! これから有名になるぜ」
ロゼッタが自分のことのように嬉しそうに言い放つ。
「あら、そうなんですか。じゃあ、これからお店にもたくさんいらしてくださいね」
キャンディスは商売人の手際良い笑顔でそう言うと、次の注文を待つ客のもとへと足早に去っていった。
「さぁ食おうぜ!」
ロゼッタの掛け声と共に、二人はフォークを動かす。
俺もせっかくだからと、まずは真ん中に盛られたボア肉に手を伸ばした。
口に入れた瞬間、濃縮された旨みが広がる。
俺が食べた、ただ塩を振っただけの野性味溢れるボア肉とは違う。
スパイスや下処理の工夫が、肉本来の風味をこれでもかと引き立てている。
無心になって肉を口へ運び、噛み締める。噛むほどに溢れる肉汁とスパイスの香りが鼻を抜けていく。
あまりの美味さに夢中でフォークを動かしていたら、あっという間に皿からボア肉が消えてしまった。
「おっさん、まだ呑むか?」
「そうだな。もうちょい呑むか」
「キャンディス! ビールふたつな!」
キャンディスの姿は見えなかったが、店内のどこか遠い場所から「はーい!」と明るい返事が飛んできた。
「……で、おっさんの探し物って、結局なんなんだよ」
ロゼッタはサランドラの肉を頬張りながら、あらためて問いかけてきた。
「ん? 愛だよ」
「はあ? なにそれ」
「だから、愛だよ」
俺が真面目に答えると、ロゼッタは少しだけ黙り込み、手元のビールを一口呑んだ。
「……恋人探してんのか?」
「んー……それもあるが、まあ、愛だな」
「曖昧だな……あ、愛だからか?」
ロゼッタはケラケラと楽しそうに笑い出した。
少し顔が赤い。どうやら若干酔いも回っているらしい。
「はい、お待たせ。ビールふたつね」
キャンディスがタイミングよく、新しいジョッキをテーブルに滑らせた。
「おっさん、恋人探してるらしいよ。キャンディス、どう? 興味ある?」
「あら、私でもいいのかしら」
キャンディスは冗談めかして、ふふっと美しく笑った。
「いや、恋人を探しているというかなんというか……まあ、いつか説明するさ」
俺は適当に言葉を濁し、ジョッキを煽った。
正直なところ、自分の探している「愛」というものが具体的に何なのか、俺自身にもよくわかっていない。
それはロマンに溢れた宝探しのようなものであり、言葉で説明できるほど単純な代物でもないのだ。
こんなんで愛は見付かるのだろうか……
まぁ焦る旅路ではない。
呑んだビールの苦味が五臓六腑に染み渡っていく。
満腹になった俺たちは会計を済ませた。
合計で銀貨1枚と銅貨50枚。俺が銀貨1枚を差し出すと、ロゼッタが手慣れた様子で残りの銅貨を支払ってくれた。
酒場を出た俺たちは、ロゼッタにおすすめの宿を尋ねる。
彼女は少し先にある「アポーラ」という宿がリーズナブルでいいと教えてくれた。礼を言って別れ、教えられた場所へ向かうと、すぐに見つかった。二階建ての小綺麗な宿だった。
中に入り宿の者に一泊したい旨を伝えると、料金は銅貨70枚だという。銀貨1枚を渡して釣りを受け取り、鍵を受け取って二階の奥にある部屋へと入った。
そこはテーブルと椅子、そしてベッドだけが置かれた質素な部屋だった。
俺は帯刀していたベルトを外し、愛刀をテーブルの上に置くと、そのままベッドに深く寝転んだ。
ふと視線を上げ、見慣れた部屋の天井ではないことに気づく。
その時、ようやく実感が湧いてきた。あぁ、本当に異世界に戻ってきたんだな、と。
やがて意識が混濁し、まどろみの中で風呂に入りたいとぼんやり考えながら、俺は夢の世界へと旅立った。




