第7話 試練の後
「まさか……ここまで追い込まれるとは。立花様、貴方はいったい……」
意識を失い、石畳の上に倒れた颯太を見下ろしながら、ホロウはぽつりと呟いた。
手に握られていた棍が、黒い霧となってほどける。
魔力で作り出されたそれは、役目を終えると同時に空気へ溶けるように消えていった。
訓練場に、静寂が落ちる。
その沈黙を破ったのは、背後から近づいてくる足音だった。
「ずるいね、ホロウ」
声を掛けたのはホロウの主である真奈だった。
颯太とホロウの戦いを見届けていた彼女は、倒れた颯太へ歩み寄りながら、どこか揶揄うように言う。
「最後に魔法を使うなんて」
ホロウは静かに振り返る。
「魔法の使用は禁止されてなかったはずですが?」
「だとしても、使えない相手に使うなんて大人げないね。しかも、病み上がりで傷も完全に塞がっていない颯ちゃん相手に」
「魔族の恐ろしさを教えると言ったはずです。これぐらいせねば身に沁みません」
真奈は肩を竦める。
「ふぅーん? 言い訳にしては、ちょっと苦しいね」
ホロウは何も言い返さなかった。
「それにしても、ホロウに魔法を使わせるなんて、颯ちゃんもなかなかやるね」
真奈は颯太のそばに膝をつく。
酷い有様だった。
全身には痣が浮かび、呼吸も浅い。
こんな重傷を負っても、彼は最後まで逃げなかった。
何度倒されても立ち上がり、勝てるはずのない相手に向かっていった。
その事実が、真奈の胸を締めつける。
「本当に、馬鹿なんだから……」
真奈は小さく呟き、颯太の髪をそっと撫でた。
その手つきは、先ほどまで魔王として振る舞っていた彼女のものではない。
ただ一人の少女が、大切な相手を案じるような、優しい手つきだった。
「魔王様。手酷くし過ぎてしましたので、先ずは彼の治療を」
「分かってる。直ぐに颯ちゃんを治療室に運んであげて」
真奈は懐から懐中時計を取り出す。
「本当は最後まで診たいけど、流石にこれ以上先延ばしはできないね」
「元々この時間は客人との対談でしたので、魔王様は応接間に行かれてください」
「分かってるよ。てか、今回の対談にはホロウも同席だったよね。颯ちゃんはどうするの?」
真奈に言われてホロウは壁際に並んでいる使用人たちに視線を向かわせる。
数人の使用人の中から、ホロウは一人目が付く。
「彼女に任せましょう。ベル。此方に来てください」
「…………はい」
ホロウに呼ばれて少し間を空いて一人の女性が静かに前に出る。
黒を基調としたメイド服。
茶色が入った黒髪を後ろでまとめた、落ち着いた雰囲気の少女だった。
「ベル……って、初めて見る顔だね」
女性に対して真奈は初めて見るらしく首を傾げる。
「城内人事は私の管轄ですので、魔王様が覚えておられずとも無理はございません」
ホロウは女性へ手を差す。
「彼女はベル。1年半ほど前から侍女として採用した者ですが、その優秀さ故に私の補佐も兼任しております」
「ベルと申します。以後、お見知りおきを」
ベルと呼ばれる女性は、両手でスカートの端を摘み、丁寧に一礼する。
「ベル、ね。ごめん。まだ使用人全員の名前までは覚えきれてなくて」
「構いません。城内には何千と使用人がおりますので、当然のことです」
ベルは真奈へ配慮するように、もう一度頭を下げる。
「早速ですがベル。立花様を治療室へ運んでください」
「かしこまりました」
ホロウに命じられベルは颯太を抱きかかえる。
女性としては身長は高いが、それでも華奢な体で男一人を軽々持ち上げれるのは、この女性も魔族であるからだ。
「では、私は立花様を治療室までお運びしますので、これで」
ベルは最後に一礼して、颯太を抱えたまま訓練場を後にする。
扉が閉まる音が静かに訓練場に響き渡る。
完全に閉まり切るまで、真奈はしばらく扉を見つめていた。
「魔王様。怪我を負わせた私が言うのもですが、あの程度の傷なら直ぐに癒えるはずなので心配は無用です」
「分かってる。颯ちゃんのことはベルに任せるとしようか」
そう言いながらも、真奈の視線は扉へ向かっていた。
ホロウは心配性な真奈に肩を竦めるが、しばらくして真奈は息を吐く。
「それでホロウ。今回の勝負の結果だけど、あれはどう捉えればいいのかな?」
突然問われてホロウは沈黙する。
颯太が魔界に滞在するための勝負において、颯太は最後の一撃を止めた。
条件だけ見れば、ホロウに一本取ってないため、颯太の勝ちにはならない。
だが、内容だけ見ればそうは言えなかった。
「あそこまで追い詰められてなお、敗北を認めぬほど廉恥を失ってはいません」
ホロウは静かに言う。
「甘さに関しては落第です。最後の一撃を止めた時点で、戦場に立つ者としては愚の骨頂。私が敵だったら、その一瞬で命を落としていました」
「そうだね」
「ですが、覚悟に関しては及第点を認めます」
ホロウは颯太が運ばれて行った扉へ視線を向ける。
「力もなく、知識もない。魔力もなければ戦う術すら持ってない。にも関わらず、彼は幾度叩かれようと立ち上がった。その点に関しては不覚にも恐怖を覚えました」
「つまりは、ホロウは颯ちゃんのことを認めたってこと?」
「軽々と認めるわけにはいきません。ですが、魔界に残ることも、従者に置くことに関しては異議は唱えません。あとは、魔王様のお考えに任せます」
真奈は少しだけ目を見開いた後、柔らかく微笑む。
「そっか……ありがと、ホロウ」
「礼を言われる筋合いはございません。私は従者、主が本気で望むことにただ従うだけです」
青白い細い光がホロウの兜から漏れる。
「ただ、まさかただの人間を魔王の従者に据えようなどと、突拍子もないことを言い出すのは驚きました。お転婆だった幼い頃の貴方様を思い出しました」
冷ややかに言うが、何処か嬉しさが含まれたような声音だった。
真奈は一瞬、むっ、と眉を寄せるが、直ぐに失笑する。
「まあ……そう見えるんだったら、それは、颯ちゃんのおかげかもね」
「そうでしたね。魔王様が変わり……いえ、戻り始めたのは、彼と出会ってから」
真奈は頷くと、訓練場の石畳を見る。
そこには、颯太が倒れ、立ち上がり、また倒れた跡が残っていた。
「颯ちゃんのおかげで、ちょっとだけ気が楽になった。私は王族で、いつかは魔王らしく振り舞わないといけない。でも、颯ちゃんはそういうのを全部飛び越えて、私を見てくれる」
それは嬉しくもあり、困ることでもあった。
真奈は小さく息を吐く。
「本当に、困った人だよ」
言葉で言うが、何処か嬉しそうに綻んでいた。
「随分な好かれようでしたね」
ホロウが静かに言った。
「あそこまで真っ直ぐ好意を向けられるなど、そうそうあることではありません。よかったではありませんか」
「は?」
真奈は目を丸くする。
すぐに、いやいやいや、と雑に手を振った。
「何を言ってるの。あーんなラブコール、今まで告白してきた生徒だったり、利権を狙う貴族様たちから散々言われてるし。今さら嬉しいとか、そういう感情とか全然ないから」
「……そうですか」
ホロウは真奈の耳元へ視線を向ける。
「では、今まで見たことがないほど耳を赤くされているのは、私の見間違いでしたか」
「――っ、うっさいうっさいうっさい!」
図星を突かれた真奈は顔を真っ赤にして叫んだ。
いつもは隠した感情を表に出さない真奈も流石に顔を熱くしていたようだ。
「魔王様。淑女としてはしたないので大声は出さないように」
「誰のせいだと思ってるの!?」
「ん? 立花様では?」
「ホロウ!」
張りつめていた空気が、ここまで来たら既に解かれていた。
長年の付き合いであるホロウに敵わないと思ったのか、真奈はぐぬぬとホロウと睨み、直ぐに長く溜息を吐く。
「颯ちゃんの処遇は、彼の意思も尊重したいから目覚めた後にするとして」
真奈は目を細くしてホロウを見る。
「ホロウ。人には甘いって言う癖に、最後で手加減したことに関して、後で反省会だからね」
人間相手に力勝負で棍を弾かれたことに真奈は苦言を言う。
だが、ホロウは無言で自身の手を見つめる。
「魔王様」
ホロウは静かに口を開く。
「貴方からして、あれは温情に絆されての手加減してるように見えたでしょうか?」
「見えたかって。颯ちゃんの覚悟を認めて力を緩めたんでしょ? じゃないと、貴方が颯ちゃんに負けるわけがないからね」
颯太を貶す意図はないが、人間と魔族では全てにおいて上回っているため、ホロウが敗けるわけがないと真奈は高を括っている。
それは一種のホロウに対する信頼によるものもあった。
「……そう、であればよかったのですが」
ホロウは歯切れ悪く呟いた。
「え? 手加減したわけじゃないってこと?」
「いえ。今はよしましょう。客人を待たせ過ぎてます。そろそろ対応に向かわなければ」
「……そうだね」
真奈は眉根を寄せたが、それ以上は追及はしなかった。
ホロウの言う通り、客人を待たせ過ぎている。
色々考えることはあるが、一旦それらは全てを呑みこむ。
「それじゃあ、そろそろ行こうか。ホロウも付いて来て」
「御意」
真奈の顔は、もう少女のものではなかった。
魔界七大国の一つ、赤の国ルージュを治める魔王の顔へと戻っていた。
ホロウは、その一歩後ろに控える。
魔王と、その第一従者。
訓練場に指鳴りが響くと、二人は姿を消した。




