7話(前編)
人は何のために産まれて、何のためにに生きるのか。分からないまま人生を終える人生なのが私だと思ってしまっている。
積もることのない細雪。湿ったアスファルトを踏みしめて進む轍。ボーっとしてれば、すぐに見失う行先。我に返る私。呪いに囚われて心を削る私は杯中の蛇影。
草臥れて立ち止まる私に明るく声をかける二人。アズアズと乾。バス停まではまだまだ遠い。お菓子を含む口。彼女から貰ったハイチュウにお礼。
ようやく辿り着いたバス停。揺られてガガッと小刻みに飛び跳ねるバス内、つり革を持って耐えてく姿勢。
「さっきからボーっとしてなんか考えことでもしてんのー?」
その問いに答える乾。
「人の生きる理由というか価値というか、考えれば考える程さ、分からなくなっちゃって……。」
「深っ。そんなこと考えるタイプじゃないと思ってたよ。」
彼は啖呵を切って私に生きる価値を与えると言った。それを信じて私は生きている。が、彼は自分で自身の言ったことをあまり把握していないようだ。つまり、あの日の言葉はデタラメ適当発言ということか。
ガガッと揺れるバス。思わずガクッと足が縺れかけた。それと同時に全くもうとため息が出かけた。
「まーいいや。そのうち分かるっしょ。まずは再来週の球技大会に向けて頑張るっすよ。愛南も精一杯楽しめば悩みも吹き飛ぶんじゃないすか?」
あまり乗り気はしなかった。適当にあしらうと彼は少しだけ首を傾げた。仕方なく本音を伝える。「私、球技大会嫌いだから……。運動苦手だし。」
私は運動音痴とは行かないが、それほど得意な方ではない。例えるならドッジボールで隅で集団になっているタイプだ。
球技大会が終わり、数ヶ月後には体育祭がある。運動シーズンの春に人々は浮き足立って本気になっている。私はその雰囲気にはついていけない。
「そういや、愛南とアズアズはバスケだっけ?」
軽く頷いた。球技大会では女子はテニスかバスケを選べる。が、テニスについては人数制限があったため、別にどちらでもいい私は必然的にバスケになったのだ。
「アズアズはテニスだよー。」
「アズアズには見せられないか。俺が隣のコートで見せるスーパー特大スパイクをさ!」
ちなみに男子はサッカーとバレーらしい。
一人で盛り上がっているところ悪いが、元々興味はない。
目的地のバス停に着いた。
学校までの道のりを歩いていく。
――――――
「なー、明日空いてたらさ、一緒にバスケしね? バスケの面白さをちょっと教えたいんすよ。」
昼放課にいきなりやって来て、空いた片席に座り弁当を広げ出してきた。
「いや、だから私は運動そのものが嫌いって言ってなかった?」
冷たくあしらう。「やっぱり無理っすよねぇ」と言う返答に何も感じずに過ぎ去ろうとする時、ふと頭の中に大切な人が思い出される。
俺が好きなのは乾とするバスケであって、バスケじゃないんだ――。
一瞬、その言葉が脳裏を駆け巡った。
「いや、やっぱりやる。というか、やりたい。」
「そんな意地にならなくてもいいっすよ……。」
「いや、意地になってない。」
今ここで断ったら何か大事なものまで忘れてしまいそうで怖かった。それともう一つ。バスケではなく、乾とのバスケがどれだけ楽しいのか確認したいという気持ちが強くなっていた。
「じゃあ、約束っすよ。」
家に置かれたゴールポストが立つ真っ平らなコンクリの庭。それなりの広さがある。さらに灰色の目を凝らせばトゲトゲしささえある灰黒色のアスファルトに繋がっている。
「これがバスケットボールっすよ。」
「そんなん、誰でも知ってるよ!」
小学生でもあるまいし、彼はどれほど馬鹿にしているのだろうか。
彼がボールをバウンドさせて渡す。受け取って、三度ぐらい地面に付かせられるがすぐにあらぬ方向へと飛んでいってしまう。それに気を抜けば全くバウンドさえできなくなっていく。
「空中で力を込めて落とすんす。戻ってきたボールが跳ね返る方向に合わせて一緒に手も合わしてくっす。」
彼が基本のキの字を教えていく。それをしっかりと耳に入れる。
少しだけしたら、その場でのドリブルがちょっとだけ安定するようになった。
「センスあるっすよ。」
優しく微笑むその姿に自信を貰える。
ドリブルにちょっとだけ慣れてきたら、今度はパスをすることになった。地面にワンバウンドしてパスするまでできるようになった。適当に駄べりながらパスをしていく。
それなりに時間が過ぎて、バスケの時間が終わった。
「ありがとな。楽しかったっす。」
「こちらこそ、ありがとね。」
手に持っている赤茶色のボール。この空間が緑色の雰囲気に包まれるイメージを何となくだけ理解できそうな気がした。
手渡しするボール。
「それでバスケ楽しかったっす……か?」
「ちょっとだけね。」
多分、球技大会の時、バスケを楽しいとは思えないと思う。けど、今日のバスケだけは特別に楽しいと思えた。
これが『乾とのバスケ』か。楽しい理由が分かる気がする。ひたすらボールを追いかける訳でもない。ただ、適当に、くだらないことを話しながら、時々彼が巫山戯ながら、行うバスケはどことなく楽しいと思えたんだ。
きっとこの事を、この楽しさを知ってる人はもう私一人だけなのかなと思ってしまう。最もそれを好いていた人は世界から消滅してしまったから。
ふと夕日になりかける太陽を見た。
自分の不幸ばかりに気を取られて、何か大事なものを忘れてしまっている私がいる。それが何なのかを完全に思い出すことはできなかった。けれども、何か変わる契機になったような感覚はある。
少しだけ前に進んでみようかなと思えた。この感覚を忘れたくないなって夕日に向かって独り呟いてみた。
◆
球技大会は熱気の渦に巻き込まれていた。
体育館を真ん中で隔てるように存在する緑色のネットの反対側を見る。
今、私のクラスと隣のクラスがバレーをしてる。レシーブしてトス。そして、「俺にトス持ってこぉい!」なんて自信満々に言い放つ乾。
アウトサイドから思いっきりジャンプして、振りかぶった腕と、バレーボールにジャストミートする手。体育館に気持ち良い音が広がった。
放たれたボールは大きく斜め上方向へと真っ直ぐ進み、キャットウォークの手すりへとぶつかった。さらに手すりから天井付近まで高く打ち上がった。周りから「ホームラン」と言われて笑われながらどつかれていた。私は苦笑いしか浮かばせられなかった。
少しすると私の番もやってきてしまった。
乗る気はしないがやるしかない。相手は特進クラスだ。
「あなた達、私達のこと舐めてるんじゃないんですか? その舐めた考え、ボコボコにしてやりますから。」
私達のリーダー半井が異様な熱を放っている。
ボールが空中に放たれて、それを飛んで自身のコートへと入れる。半井とそのクラスメイトは素早いパスアップでゴール付近まで進み、レイアップで点を入れた。それを私はコートの外から眺めていた。
全員参加ではあるので、後半になったら私もコートの中に入る。
たまたま転がってくるボールをバウンドさせていく。ちょっとずつドリブルしていく。そこに密集してくるプレイヤー。
ふと半井が一生懸命ボールを食らいついた。その時にぶつかり、その勢いを受け止めきれずに私は押し倒されていく。
ガンッ――。
強い痛みが襲う。
……。
……。……。
目を覚ました。私はどうやら眠っていたみたいだ。汚い天井。体を起こして見渡してみる。そこは保健室だった。
「おっ、意識が戻ったぜ。」
目の前には乾と半井、そして養護教諭がいた。
「全く、心配かけないで下さい。ひとまず私は戻りますから。」
「ありがとう――。」
半井はその場から離脱した。
「罪悪感を感じていたのでしょうね。パニックになりながらもここまで見守ってくれました。乾さんはわざわざここまで運んでくれてありがとうございます。」
保健室の先生の言葉に「問題無しっす。そもそも俺ら友達なんすから」と答えていた。
「この後、念の為、救急車を呼びます。強く頭を打ってしまいましたからね。何があっては遅いですから。後は私が見ますから乾さんは戻ってもいいですよ。」
彼も体育館へと戻ろうとした。「ありがとね」と行く前に声をかけることができた。
「では、救急車が来るまでは安静にして下さいね。」
そう言われて私は白いベッドに横たわった。
近くの丸椅子に近づいて座る一人。アズアズだった。
「アズアズも運んでくれてありがとね。」
その言葉に「あたしは運んでないから」とぶっきらぼうに返された。
先生も少し離れて、ほぼ二人きり。と言っても、カーテン越しには人がいそうな感じもする。
「アズアズはさ。最初から体調悪くてここにいたんだ……。」
「そうだったんだ」としか返せなかった。
落ち着いた白。白色なここにも微かに体育館や運動場の熱気が流れ込んできていた。声も放てば瞬く間に情熱の色に掻き消され、長くは残らない。
「ねぇ、愛ってなんだろうね――。」
唐突な質問に戸惑いを隠せない。さらに質問内容が深すぎる。答えどころか、そもそも質問自体を考えるのに頭を悩ませる。
「あたしには分からないみたい。」
救急車の音が近づいてくる。熱気がサイレンに掻き消されていく。自分のことは自分がよく分かる。自分の体のことも自分がよく分かっているはずだ。この救急活動は少しやりすぎな気がする。そんなオーバーなレスキューに心を細めながら成り行きに流されていった。
――――――
心配のメッセージが幾つか届く。何事も無かったので平穏無事のメッセージとスタンプを軽く返す。
頭を打って気絶して救急車で運ばれる。当たり前のように嫌な出来事。プレーもそんな大層楽しめた訳でもない。だけど、どこか嫌な一日だったとは思いきれなかった。
バスケットボールが思い浮かばれる。連想して乾の姿が連なる。この気持ちはもしかして……。淡い感覚も束の間、今度は慎二君の姿が現れる。すぐに現実に戻された。
私は恋に落ちてはいけない人なんだよね……。
虚しく外を見る。
頭を空っぽにしていくと思い浮かぶのはアズアズの愛についての質問。何の理由でそんな質問をしたのだろうか。考えても一向に分からなかった。
『お泊まりしたい?』
メッセージのやり取りの後、送られたそのメッセージが目から離れない。
私は簡単に許諾した。この家は私のものであり、私一人がルールなのである。なぜなら、今はもう両親はどこにもいないから。
アズアズが家にやって来た。
一人にしては広い間取りだ。だからと言って、この家を売り捌くような真似はできない。やり方も分からないし、そもそもこんな思い出の詰まった家を無くしたくはない。
「あたしらは呪いにかけられた仲間だよね。」
ソファに座って足を軽くバタつかせている。
私は簡単に頷いた。
「だけど、あたしは本当の恋や愛を知らない。人と繋がったとしても、それは本当の恋愛じゃないんだー。だって、本当の恋愛なら呪いで消えてしまうはずじゃん。けど、あたしはさ、誰も消すことはできないんだ。」
それはそれでいい事なんじゃないかと思う。私なんて消えてしまってどれほどの苦痛を受けたことか。口にしたいけど飲み込んだ。
「まなみんやのえちゃんがどれだけ辛い思いをしてるか。近くで見てるから分かる。なのにさ、二人みたいに恋愛できない自分がいて、段々自分を嫌いになってくの。で、二人を羨ましいって思っちゃう自分がいるんだ。そんな自分が嫌でたまらなくてさー。」
不幸な私達への嫉妬。それがどれだけ間違った事なのか、彼女自身も気付いている。
普段見せない弱々しい姿にどこか居た堪れない思いになってしまう。私の言葉数が減ってしまう。
彼女が近づいた。そして手をぎゅっと握ってきた。どこか冷たさを感じる。
「あたしと恋愛しない?」
「いや駄目だよ。だって、消えちゃうじゃない?」
「アズアズが知りたいのは本当の愛なんだ。愛されて死ねるなら本望なんだよ。今すぐとは言わないからさ。」
夜は更けた。
ずっとアズアズの事を考えていた。どうしてこんなことを考えているのだろうか。まだピンと来ていない私がいた。
◆
学校に向かう道。気まずさを感じさせる位置。それを感じさせないように動かしていく口。
乾と話していると感じる胸のざわめき。アズアズと話していると思い出されていくあの夜のマル秘。私達三人に存在している見ると恥ずかしくなる関係性の矢印。
私達は二年生となり、春が芽吹く時期。
数ヶ月後には待ち受ける体育祭。
確かに時間を重ねている私達。




