6話
呪い(のろい、詛い、まじない)は、人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらさしめんとする行為をいう。(Wikipediaより)
暗い部屋でスマホのブルーライトだけが光っている。サイトを閉じた。どれだけ呪いについて調べようとも、私に降りかかる呪いについて書かれたサイトなんて存在しない。見ても意味が無いと分かりつつも見てしまう。
のえちゃんが伝えてくれた事実を否定したい。無駄だと知っているのに手が動いてしまっていた。
二度と消えた人は戻らない。誰からも忘れたまま。そんなこと唯一覚えている私が伝えようとも誰も信じてはくれない。
ふと頭に過ぎる殺人鬼の言葉。そうか、私は殺人鬼なのか……。大切な人を三人もこの世から抹消した殺人鬼なのか。
考えれば考える程に自己嫌悪に陥る。
手からスマホが落ちる。スマホがベッドの下へと落下した。取る気がしない。だからと言って、このまま眠りにつく気もしない。
眠れないまま朝がやって来た。朝食を準備する気力もないし、そもそも食べる気も起こらない。
私以外に誰も起きてこない。誰もいないのだから当たり前だ。
広い部屋が寂しさを感じさせる。孤独を味わう。
「動かなきゃ……。」
無理にでも身体を動かす。いや、無意識に身体を動かす。トーストの中にパンを二枚入れる。ポットに水を入れる。パンが焼き上がる。さらに一枚パンをトーストの中に入れる。あっという間にすぐに湧くポットの熱い水を注ぐ。カップスープを三つ用意する。フライパンでベーコンを八枚も焼く、目玉焼きを三つ作っていく。焼き上げたパンにバターを塗り込む。上に薄切りベーコンを三枚乗せる。一つだけは二枚になるが仕方ない。さらに上にそれぞれ目玉焼きを乗せる。
机の上に乗せる。目玉焼き乗せのパン、キノコのポタージュ、そして牛乳。三人前の食事が展開されている。
「お父さんはトンカツソースとマヨネーズをかけるんだったよね。」
一つ目の目玉焼きには二つのソースを満遍なくかける。
「お母さんと私は塩派なんだよねー。」
二つ目、三つ目の目玉焼きには塩を降り注ぐ。
完成した料理。私は手を合わせて「いただきます」と言う。
一口齧ってスープを注ぎ込む。
黙々と食べ進む。
「みんな朝は忙しくてみんなバラバラに食べることの方がほとんどだもんね。こうやってみんなで集まるのは珍しいよね。」
机の上には何一つ手がつけられていない料理が二セット存在している。
誰も返事はしてくれない。
やまびこのように声が反射する訳でもない。
最近、全く食べてなかったからか、今日はお腹が空いていた。ただ、完食はできなかった。以前は食べきれていた量なのになとは思いつつも、やはり、久々過ぎて食べきれないのだと無理やり納得した。
「今日は私が洗い物するね。……って、まだ食べ終わってないから、まだだね。」
食べかけのソレがゴミ箱と流しに捨てられる。蛇口を捻って出た水を使ってスポンジで拭きながら洗っていく。
食べ終えたくもないのに、洗い終えたくもないのに、自分はその過程のどれもを終えてしまった。
他に何かやることはないか探すが思いつかない。掃除でもしようかな……。なんて思っていると目についてしまう何一つ手をつけられていない二名分の料理。
「はは。はははははは――。」
何故だろう。なぜか空笑いをしてしまう。なんで私は笑ってるんだろう。
上記の笑気が終わり、正気に戻った。食器を見たことをショッキングなトリガーとして、謎な瘴気が消えたからなのだろう、知らないけど。
壁にもたれて「あー死にたい」なんて呟いていた。無意識の内に、だ。だからと言って、死のうと思う気力はない。まあ、生きたいと思う意思も持てないけど。
何を言った所で、何をした所で、誰も気づかないし、何にも起こらない。俳句として例えるなら、咳をしても一人、だ。
私はもう何のために生きているのか分からなくなっている。
カッターを手に取って、ふとここには誰もいないのだから包丁を持った所で誰も止めないのではと気付く。そして、包丁に持ち替えて、左袖を捲る。まだ冬入り前だからだろうか、寒くもない、何も感じない。
ピンポンとの音で手が止まる。
その場に包丁を落とした。
やる気なくインターホンカメラから誰かを確認した。――アズアズだった。
「まなみんは一人じゃない。死なせんよ!」
制服姿の彼女はどこか余裕のある顔つき。校則を破りまくっている明るすぎる髪色、捲り過ぎて短すぎるスカート、キーホルダーで埋め尽くされたバッグ。いつもなら本当に凪海生か、大丈夫か、と思うところ、今は立派な凪海生にしか見えなかった。
「凄いね。よく立ち直れるね。」
多分、皮肉とも読み取れる言葉をつき投げた。
「だって、アズアズはまだ呪いの影響を受けてないし。まっ、呪いの条件聞いたけど、アズアズとは相性悪いからさー。あの呪い。」
思わず「どういうこと?」とこぼれてしまう。
「あたしはさ、誰かをちゃんと愛したことがないんだ。愛せる気がしないんだ。あって友愛。恋愛なんて夢のまた夢。そもそも高校でもまなみん達と仲良くいられるのが奇跡なんだ。」
話の筋が読み取れない。やっぱり「どういうこと?」としか返せない。
「関係リセット界隈なんだよねぇ、どうもウチは。一度でも縁が切れるとその人と関わりたくなくなっちゃうんだよ。だからかも知れないけど、心のどこかでは高校に上がった時もそうだったけど、社会に出た時とか、そんな切り目の時に関係がリセットできる程度の縁しか作りたくないんだって思ってる。まっ、こんな話、友達のまなみんに直接言う話じゃないけどね。」
つまり、人と深く関わろうとしないタイプだから、深く愛すとその人を消滅させる呪いと相性が悪いと言うことか。
「けど、親は別格じゃない?」
「あのねぇ。全員が全員、親と仲良いなんて思うな。」
その言葉を言われて咄嗟に「ごめん」と言い出していた。
「じゃっ、さっさっと行く準備して学校行くよ。」
相変わらずの元気さに着いていけない。揶揄するなら、過度な空腹状態でドロドロの脂っこい食べ物を食べるみたいだ。すぐに胃もたれしてしまうような感覚だ。
「後ろばっかり見た所で辛いだけじゃん。今は前を見る。見る。」
あっ、そうか。ずっと私は振り返っていたんだ。そして、それに引っ張られて絶望を味わっていた。
「けど、亡くなったみんなに申し訳ないから。」
「今は余裕がないんだからさぁ、明るい未来のことだけ考えればいいんだって。そんな辛いこと、余裕が出てから考えりゃいいじゃん?」
「そうかな……。」
「そうそう。」
私は彼女に流されるまま学校の準備をしていた。そして、留守になる家に鍵をかけて「いってきます」と大きな声で言い放った。
――――――
このまま行けば遅刻確定の時間帯。それでも流されるままに前へと進む。バスという車が来るまでそれなりに待たないといけないバス停。毛布にでも包まりたい寒さ。夜が明くるまで待っていたかのように遅刻当然の時間帯で凛として仁王立ちする乾。
「あれ、乾。なんでいるの?」
「アズアズから最近のアンタの様子を聞いてな。どうしても励ましたくてさ。」
「どうして私なんかに……?」
「そんな悲しいこと言うなよ。友達だろ?」
屈託ない笑みはどこか仄かに温かさを感じた。
バスがやって来た。移りゆく町の景色が懐かしさすら感じさせてくれる。
「なぁ、どっかで三人でどこかに行かね? そん時は俺が奢るっすよ!」
彼は以前と変わった雰囲気がある。何やら自信がついたような。
ああ、そうか。ずっと慎二君と比べられてきた彼と慎二君のいない世界線の彼との違いか。彼にとっては変わったんじゃなくて、元々そうだったとしか思っていなさそうだ。その事実がちょっと寂しい。
「じゃあさ、行きたい所あるんだ! ここでしょ。それにここでしょ。」
彼にスマホを見せていた。
「お金がなくてさー、ずっと我慢してたんだよねぇ。」
「待て待て待て! それ奢りっすか?」
「あれ? さっき奢るって言ってなかったっけ?」
「そんなに金はねぇっすよ! 俺!」
相変わらずの会話も何やら懐かしさを感じる。
窓の向こう側を見ようとガラスを見ると影沿いにバスが入ったことにより薄らと私の顔が見えた。が、すぐにその顔が見えなくなった。今、私はどんな表情を浮かべていたのだろうか。私には分からなかった。
◆
初めて食べる蟹。殻を処理。確かに、感じる風味。続いて雲丹。醤油を加えて塩味。食感を楽しみながら優雅に。
他に、豪勢な料理。振る舞われるそれらを頂く私達、まるで貴族のように。兎にも角にも最高の気持ち、幸せ心地。
こんなに幸せな気分になっていいのだろうか。それぐらいに豪勢な料理を堪能した。もう数ヶ月何も食べなくても舌が幸せである程に。
最近大掃除でもしたのだろうか。異様に綺麗な内部。のえちゃんの家のあまりの快適さにただただ癒されそうだ。
ふとのえちゃんが自室に戻り、数分後リビングに戻ってきた。薄紫色のフリルのワンピースを着てお出ましだ。ここからはお家ファッションショーだ。もはや取り揃えが良すぎて驚きを隠せない。
「一度、チャイナ服を試して見たかったの。どうかしら?」
スラリと伸びるシルエット。妖艶さを纏っている。
「実はまなみんにも着て欲しい服があるの。」
恥ずかしながらもロリータ系の服に挑戦してみた。着る機会のないこの服を纏うこの時間が非日常を感じさせ、私の内なる可能性を秘めた可愛さを目立たせてくれる。
この日、チェキが大活躍。
「ねぇ、今日の中でどれが一番可愛かった?」
「それはぁ――」
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。外を見ればもう夕日が綺麗。
「最後に、まなみんに渡したいものがあるの。」
手渡されるノート。中を開くと人の名前とその人の特徴が羅列された文字が書かれてある。全部で六名。彼女の友達や家族。
「あれ、のえちゃんの名前もある。」最後には自分自身について。できるだけ明確になるように頑張って書いたのが見て分かる。
「私の名前、希恵は希望に恵まれて育って欲しいって名付けられたの。いい名前よね。」
「うん。いい名前」と笑顔を浮かべる。
「まなみんの名前の由来も聞きたいわ。」
私はまさかの呪術廻戦という漫画から名付けられたことを踏まえて由来を伝えた。
「へぇ。死んだ後の道……。まなみんには悪いけど、私なら、もし消えるなら北に行くわ。だって、生まれ変わりたいもの……。今度は、道を間違えない人間に――。」
彼女は優しく微笑んでいた。
ノートを持ちながらドアを開く。私は元気よく「じゃあねっ」と伝える。一方で彼女はどこか小さな声で「ありがとう」と伝えた。どうして"さよなら"――別れの挨拶ではなく"ありがとう"――感謝の言葉なのか分からなかったが、あまり気にすることなく去っていく。
家に戻った。いくら大きな声で「ただいま」と言えども返事は来るわけがない。虚しさを感じるが体内に残る幸福感がその空虚をカバーしてくれた。
アズアズとのえちゃんのお陰で生きる希望ができた。見失っていた希望の苗。ようやく双葉になり、目に見えるようになった。灰色に包まれ途絶えていた輝きが、薄らと見えるようになった。今は死にたいではなくありがたいだけが心を覆ってくれた。
いつもは静けさが印象的なこの地区。
今日は救急車の音でやけに騒がしがった。
◆
昨夜、近所で遺体が発見された。
死因は落下死。二階の屋根に脚立が置かれており、ベランダから屋根へと登り、そこから落ちたとされる。
遺体は昨日私が一番可愛いと感じたとても綺麗な服を身にまとっていたという。とても美しい死体だっただろうと思う。
その家には誰もおらず十数年前から被害者一人だったとされる。
警察は自殺が原因だと見ているらしいが、ハッキリとした原因はまだ特定できていないらしい。まあ、まだ朝だし、昼頃には特定されて伝えられるんだと思う。
地域の噂は簡単に広がっていた。そのお陰で上記の情報を知ることができた。遺体はすぐに搬送されたので見れてはいないが、誰かはすぐに察知できた。
希望の双葉――芽が出た。あれは虚構だ。
輝きが見え始めた。それも虚構だ。
希望なんてものは全部、まやかしだ。
脳裏にチラつくのえちゃんの姿。絶望に抗うために包丁を持って袖を捲る事すら馬鹿馬鹿しく思えてくる。結局私の左腕に横線の紋章がつくことはなかった。
部屋に入ってキーホルダーを見た。昨日、贅沢したお陰だろうか、今日はやけに活力がある。ふとキーホルダーの横に置かれた鍵を目に入った。
それを手に取る。門外不出の学校の鍵だ。
私は悪い子だ。
私はそれを握った。
アズアズが着た頃には制服姿な状態。「良かった。もう学校に行く気になれたんだね」との言葉を聞いて適当に返事する。表面上の言葉は正解だ。ただ彼女がそこに含む裏の言葉は大不正解だ。
虚ろげな気持ちに無理やり喝を入れて、いつもっぽい私のフリをする。
バスに揺られながら見る景色を鮮明に記憶していく。
学校の授業、思い出に耽ながら進んでいく。
ホームルームの時間も終わり、みんなが教室から退散していく。だけど、私は一人席に座って外を眺めた。窓の外に見える景色も、今となっては懐かしさすら感じるのは何故だろうか。
ようやく太陽が沈みかけていく。夕日になり掛けていく。本当に待ちわびていた。ようやく慎二君が私に告白した時間だ。
人のいない廊下。第二美術室の準備室の前に立つ。隠し持っていた鍵で部屋を開ける。
散乱した小道具が見える。足の踏み場すら確保しづらい所を何とか用意して進む。そして、屋上へと向かう。
少し雑音がした気がするけど気のせいだろう。気にする必要もない。なぜなら、私は今から慎二君や家族、のえちゃんと同じ所へと行くのだから。
風が緩やかに流れる。皮膚に当たるとどこか冷たさを感じさせる。髪が乱れ、スカートが靡く。
目の前に広がる橙色に変わりゆく景色に思いを馳せる。
ここにいるのは私一人だけ。
けど、何故だか消えていったはずの、死んでいったはずの人達の虚像を浮かべて、見えてしまう。
ゆっくりと歩く。その度に地面が近づく。死神が近づく。
烏が飛び立っていく。
今日で人生の終止符を打つ。最後にその人生に向けて「ありがとう」と誰もいない空へと伝える。
私は――。
「待てよ――!」
屋上には二人だけ。私と、今来た乾だけ。
彼の真剣な瞳は私を捉えていた。
「どうしてここに?」
「今日一日、愛南の様子が変だったからな。あまりにも怪しいっすから、追いかけてったんすよ。まさかこんなことになってんとは、思ってもみなかったっすけどね。」
「そうなんだ……。ごめんね。」
「なんで謝んだよ。」
「だって、私が死ぬ所をさ、惨い所を見せちゃうからさ。」
「分かってんなら、やめろよ。そんなこと誰も望んでねぇんすよ。ほんとそりゃ冗談じゃ済まねぇんだ。」
いつもは見せないような真剣な啖呵。なんか心と体が一時的に止まる。
「私にはもう……生きてく価値なんてないからさ。」
それでも心の中にある絶望と、亡くした者の想像が私を手招いている。例えその手招く存在が黒のフードを被って巨大な鎌を持った存在だったとしても、そこに行くのが正解なんだと思ってしまう自分がいるんだ。
「じゃあ、時間をくれ。」
何を言ってるのか分からなかった。
けど、彼は何も冗談なんて一つも言っていないことは分かる。彼の目は真剣そのものだ。
「ごめん。ちょっと、どういうこと」なんてちょっと微笑しながら返した。
「俺がお前に生きる価値を作ってやる。だから、それまでは勝手に消えんなよ。」
その言葉に返す言葉が見当たらなかった。
少し意識を逸らした隙に、いつの間にか目の前へと辿り着いていた。
「約束だからな。」
力強い言葉。なぜか乾の姿と慎二君の姿が重なる。思わずその姿に見とれてしまう。
「返事は? 『はい』か『イエス』か。」
思わず「はい」と言っていた。
「約束っすからね、絶対ぇ破んなよ。」
下を向けば少し怖気付きそうな場所。そこから見渡す空の景色はとても美しかった。橙色に染まる世界が私を待っていた。
ひとまず彼が価値を作ってくれるまでお預けになった。その価値がどれ程のもので守るに値するものになるかは分からない。ただ私は流されるままに帰路を進んでいた。
――――――
ふと思い出したことがある。
アズアズは呪いにかかっていてもその被害を被っていない。理由は友愛を超えることがないから。深い愛になることはないから。
私は二度と目の前で人を失いたくない。
だから私は誰に対しても深い愛を持ってはいけない。持っていいのは友愛までだ。
私にとっては、誰かに恋をするという存在こそが禁断の恋。私なんかが恋をしちゃいけないってことを世界が伝えている。
何のために生きるのか分からないけど。何となくで生きている。
家のチャイムが鳴る。制服姿の私が家を出る。
待っている二人の影。
「よっ」と乾が明るく言う。「おはよー」とアズアズが寝ぼけながら言う。
私は「おはよう」と返して、そのまま鍵を閉めた後、学校に向かう道を進む。ひとまず何となくで、三人と歩きながら。




