11話(後編)
「どうして……やっぱり玲のこと――。」
風が吹き通る。草木が凍っていく。パリパリという音がする。
私は臆することなく言う。
「ううん。大好きだよ。ただ、私にはやり残したことがあって、それをするまでは付き合えないだけ。大丈夫。すぐに終わるから。」
「……本当?」
「うん。本当だよ。」
手と手が重なる。片方が透き通ることによって生じる摩訶不思議な現象でもあった。
魂に響く冷気。それを感じてないように装いながら、私はここを後にした。
◆
死ぬまでに一度は来たい場所。そんな看板が立てられている。
出されたパンケーキは魔法のように膨らんでいてふわっふわ。蜂蜜をこれでもかと言う程垂れ流されている。机の反対側では蜂蜜ではなくメープルが垂れ流されたパンケーキが置かれている。
「一度来てみたかったんだよね。」
「美味しい。一度来てみたかった理由も頷けますね。」
口直しにマスカットの美酢を軽く口に含んだ。
味覚が満たされていく。
柔らかい匂いが店内を満たしている。
「それで一生のお願いってなんです?」
「私の大事な絵をね、引き取って欲しいの。」
「大事な絵なら、大切に自分で保管すれば良くないですか?」
ちょっと呆れられたような言葉。
「ううん。大事だからこそ、なんだ。私が持っていてもその絵には何の価値も生まれない。誰かが大切に繋いでくれることで、私の絵に価値が生まれるから。」
「私なんかが持ってたら宝の持ち腐れになりますよ。」
「捨てずにいてくれるだけで、私にとっては宝になるんだ。逆に、私が持ってる方が宝の持ち腐れになっちゃうんだ。」
あまり納得のいっていない様子だ。それでも渋々、受け入れようとはしてくれる。
遥陽ちゃんは真面目で融通が効かないタイプ。だからこそ、このお願いもすんなりとは受け入れてはくれない。しかし、一度受け入れてくれさえすれば、約束は死ぬまで守ってくれるタイプだ。この大切な絵も彼女の手元にあれば安心だ。
まだパンケーキは沢山残っている。フォークに差し込まれたパンケーキの欠片を口に含む。柔らかい食感が口の中を満たす。まるで雲を食べているみたいだ。
「これは遥陽ちゃんにしか頼めないことなの。だから、お願い。」
「……はぁ。仕方ありません。一生のお願いですからね。二度と一生のお願いと言われても、聞きませんからね。」
強く念を押されていく。
「もちろん。これが最後の一生のお願いだから」とすらりと返した。
残されたパンケーキをペロリと平らげた。
両親の寝室に飾られた絵。
それぞれの人の絵を一枚ずつ選ぶ。どうしても選びきれないものは二枚選ぶ。そして、選んだ絵を大きめの手提げバッグに詰め込んだ。
それを半井家に持っていく。とっても重く気を抜けば体が傾いてしまう。所々、足を止めて休憩する。大切に大切に運びながら確実に進んでいく。
ようやく家に辿り着いた。
玄関から出てきた遥陽ちゃんに大量の絵が入ったバッグを渡した。
「多くないですか?」
「一枚一枚が場所取るからね。」
少しだけ家にお邪魔させて貰う。
出される水一杯を軽く飲んだ。味はない。けれども、喉を透き通る優しい味に感じてしまう。
「流石にこれは……」と何やら嫌悪感を示されていた。近づいて絵を覗くと、それはのえちゃんを記した絵だった。
「大丈夫。呪われた絵じゃないから。」
「そういう問題ではないんですけど。」
ここは無理を通してでも意地でも貰って頂く。
持ってきた全ての絵を託すことができた。私は満足気な心で家を出る。
「ありがとね。これで心残りはもうないよ。」
彼女は少し顔を傾けていた。
私はそんな彼女に背を向けて家への道を進んだ。ふと小さめの鞄から白い鯨のキーホルダーを取る。アズアズが遺してくれた奇跡が今、巡り巡って忘れ去られたはずのみんなを紡ぐことに繋がった。
思い出される消えてった大切な人達の姿。慎二君、お父さん、お母さん、のえちゃん、アズアズ、乾。みんなの存在が無かったことになった世界。私がそんな世界をぶち壊して、みんなを後世へと伝えたから。安心してね。
冬の空。乾いた風が吹いている。皮膚に当たるとその部分が冷たく感じる。最初に痛みを感じるが、徐々に体を冷たくして痒さへと変わる。体は寒いと悲鳴を上げるが、来ている服が体温を上げてその寒さに対抗している。そんなことを考えている内に、気が付けば寒さを忘れていた。
私の役目を果たしてくれた。心残りなどないとそう思えた。
◆
眠たげの顔を洗う。今日だけはどれだけ時間がかかってもいいから、人生史上の可愛さにメイクアップ。
一番お気に入りの服を着て、私は外へと出かけた。今年の真新しい風が吹いている。後、数日経てば間もなく三学期が開幕する。今日はあの子の命日だ。
家の中は展覧会みたいに暮らすためではなく見せるための物に変わっている。喩えるならば『どうぶつの森』で自宅にて狐のキャラから購入した本物の絵を展覧会のように模様替えをした家と言える。一応、そこに鍵をかけた。
私はひっそりとした山の中へと入った。
今か今かと待っていた玲ちゃんに私は微笑んだ。
「ようやく全部、終わらせてきたよ。」
「……ほんと?」
「うん。これで私達、付き合えるね。」
「うん。」
緩やかに雪が降ってきた。
霊媒師だとか祓魔師だとか除霊師だとかが近寄り難い霧に向かって進んでいく。
何も無い色味の背景。緑色の雑草と葉をつけていない木。だけど、まるで花咲かじいさんが灰を撒いた後のように美しい景色に変わる。あまりにも美しくて舌を巻く絶景。木は消えて、代わりにカラフルな彼岸花が咲き誇る。美しい三途という名の川が透き通っている。
私達は触れ合っていた。
時間が止まっているような気がした。音がしない。匂いも感じない。それでも確かに彼女の味はする。
目の前で見る彼女の顔は――見蕩れてしまうぐらいに綺麗だった。永久の美がそこにはある。
もう何も感じない。冬の川に浸かっている足は冷たさすら感じていない。寒さも熱さもそこにはない。
「これで一緒だね。」
「……うん。これからずっと一緒――。」
彼女は人間じゃない。大呪様とでも呼ぶべき悪霊に近い存在。普通なら恋愛なんてできない存在。だけど、これは嘘と真の不協和音、それでできた気休めのフィクション。不可能も今現実として目の前に存在している。
私は大口兄様に恋をした。私にとっては禁断の恋。当たり前である。人間の私なんかが幽霊に恋なんかしちゃ駄目、絶対駄目なのである。それでも私は恋をした。二人でかけ落ちた。
人間と幽霊の恋。その代償は私の命。
ゆっくりとこの世界から隔絶されていくのが分かる。この選択肢は間違いじゃない。私はそれを受け入れていた。
ゆっくりとこの場所から幽体離脱していく。二人で空を飛んでいく。それを拒絶している私の体もある。恐怖と生存本能が霊体になりつつある私の足を掴む。それに身を任せたい気持ちもあるけど、迷っている内に段々と空へと進んでいく。
「玲ちゃん――。」
「どうした……の?」
「この後はね、私達は北か南かに行くことになる。北は新たな生命に生まれ変わる道。南は人生を振り返って過去の中で生きる道。」
「北……か、南?」
「うん。北に行けば、私達は生まれ変わって、そこで出会うかも知れない。けど、その時は単なる友達で終わりそうな気がするんだ。だからさ――南に行かない?」
「南に?」
ここはこの世のどこかにあり、この世のどこにもない無の世界。魂の分かれ道である。前後に一本の道が存在した。私達は後ろの方を向いた。手を繋ぎながらその方向を見る。
「そう。私達にとっては思い出したくもない辛い過去かも知れない。けど、二人なら乗り越えられる。何より私達を繋ぐのは『愛したくても愛せない不幸』だからさ。その先にしか二人の愛はないんだって……思ってさ。」
真っ暗闇の空間。南に繋がる一本道。棘のような塊が行く先々を待ち構えている。
ギュッと手を握る。冷たい感触がする。彼女の体温を確りと感じられている。
「大丈夫だよ。何があっても、この手は離さないから。」
百合恋愛の力で暗い闇夜を照らしていく。南に続く道に向けて一歩踏み出す。
この先何があっても二人なら乗り越えられる。どんな苦しみだろうと愛憎だろうと食らって消しさっていける。根拠はないけど、そう思うんだ。そして、乗り越えた先で思う存分イチャイチャし合おう。
「さあ、行こっか。」
「――うん!」
確かな一歩を踏みしめる。
南へと向かって――。




