後日談
我の名前は絵星さんだ。窓の外は"太陽の日が昇る"だ。
机に置いた中学の名前札。もうすぐ高校生、進路は決めた。運動系は普通だが、勉強系は簡単だ。そんな俺は美術系の進路を進む算段だ。
昇ってくる階段。母だ。名は遥陽。部屋に来た。朝ごはんができたようだ。
朝食はパンで、乗せるジャム。隠し味にかけるとっておきの"緑の果実"。
食べると口に広がる濃厚な味わいと隠し味の爽やかさで、回復する体力。もう美味しさで考えことがあっという間に消えて皆無。私服の一時。
進路先を伝えると母はそれに反対。一体どうすれば聞いてくれるんだろうか。いつか理解してくれるのではないかと少しばかし期待。だけどいつまで経っても理解……してくれない。
物置に仕舞われた額縁に入ったアート。眺めるだけで時間が過ぎていく。骨董品ではなく、単なる友達が書いた絵だと言い張るが、それなりに良い品だと思い込んでいる。これの持ち主は母だが、これの良さは一ミリも理解していない。猫に小判、豚に真珠とはまさにこのことだ。
一目見ただけでも一目惚れしそうな感覚を得るのに、何度も見る機会がある俺には今ではその絵は人生の道標――生き様になっている。
まるで御伽噺。その人生は哀しい。
母は教えてくれないが、額縁の束の中に入り込んだノートが教えてくれた話。それぞれの絵には各々の人生が刻み込まれているらしい。まるでフィクションとしかいいようのない物語。
まるで魔法の世界。人を愛することでその人とその人に関する情報が消えてしまう呪い。その呪いにかかったのであろう著者二人が鮮明に書き記した作品の人物達。フィクションだとしたら説明し難いより細やかな情報。母曰く、その人達のことを知らないと言う。ちなみに、著者のことも訊ねたら知らないと返されたが、どうやら知っていそうな素振りだった。何かを隠しているっぽいが、詳しく聞くことはできなかった。
気になったから詮索してみた。それで分かったことがある。ただ、憶測の域からは出ない。
まず著者は二人とも死んでいそうな雰囲気がする。
前半の著者は途中で終わっていて、後半の著者がその人の人生的なものを記している。その中には自死を仄めかす内容も存在していた。
白紙になる前の最後のページに超能力的な力を持った幽霊の存在がある。その幽霊が『人を愛したら、その人を消す呪い』をかけた張本人っぽい。そして、後半の著者はそんな幽霊に恋をしたと言う。嘘か真か幽霊と共に絵を完成させたとの所載がある。そこで文字は途切れている。その後の話は想像して補うしかなさそうだった。
果たしてその著者と幽霊の二人はどうなったのか。現世にいる我々には想像し難いことのように思える。
小学生のある時だろうか。俺は勉学ができ有頂天に陥っていた。何もかも退屈に思えた。しかし、あの絵を見てから見る世界が変わった。幾ら真似して描こうとも、同じクオリティにはなれない。その絵からはその人の人生そのものが伝わるというのに、俺の作品はただ真似ただけの模造品だ。言うなれば贋作しか作れない。
その日から火がついた。落ち着いた心は揺れ動く心に変わったと気がついた。
一番のお気に入りは『大口慎二と大口乾』だ。独特な背景から描かれる奥行ある世界観。夕方のような淡い時間帯。手前に転がるバスケットボール。楽しい空気がひしひしと伝わってくる。きっとその二人はバスケットボールを通じて楽しい時間を過ごしていたんだろうと分かる。
母は絵心がないのでそんなこと一切理解してくれない。まあ、父は多少は理解してくれるのが救いではある。
この人の絵は基本的に人を描かない。それなのにその人のことが伝わってくるんだ。それがどれだけ凄いことか。それを父に話していく時間を楽しいと思っていた。今はそんな絵を描ける人になりたいと思っている。
問『人間について人間以外で描きなさい』――。
それがどれだけ難しいことか。簡単な絵なら描ける。しかし、それで見せる絵を描けと言われたら途端に難しくなる。
模写にならないように、その問で絵を描いてみた。油絵の具を用意する。何度も紙に塗りたくって塗りたくって、邁進していく。それでも思った以上の絵にならない。
だからと言って挫折はしない。きっと俺でもその画家みたく描けるようになる。そう思い込んでいる。
その熱意から美術部の部長に任命された。その熱意を褒められた。余計に火がついたのだ。だから、高校ではさらに絵の道を極めて、いつかあの絵のような絵を――いや、あの絵を超える絵を描きたいんだ。
この絵が俺の人生に与えた影響。まさしく野球で言う満塁打。
あの日感じたビビビっと来た"衝撃的稲妻"。それを今でも覚えている俺は"戦う者"。
これからの時代。必ずこの絵を、絵の人達を未来へと繋いでいく俺はまさしくバレーで言う中間役職。
そんな我が名は絵の星と書いて、絵星さんだ。今日も太陽が"降り注ぐ"。
消えた人は霊界へと行ったのか、はたまた魂ごと消えてしまったのかは分からない。天国で幸せを噛み締めているのかも知れないし、地獄で罰を受けているのかも知れない。それとも転生して、新たな人生で歩んでいるのかも知れない。死後の世界は誰にも分からない。絵の人達のノートに書かれた物語の続きがどうなったのかは誰にも分からない。
ただ、ここにその人の墓標となる記は置かれてある。だから、意志が消え去ることはない。そうして誰かに引き継がれていく。まさしく絵が紡いでいく奇跡なのだと思っている。
その奇跡にあてがわれた俺は今日も一日絵を描こうとしている。
窓の向こう側に見える景色は、優しい風が吹いている。桃色に見えるような春風だ。その風が冬で散った木々に咲いた葉を飛ばしている。そこから優しい音がする気がした。今日もどこかで人が産まれて人が死んでいる。そして、どこかで誰かの人の意志は誰かへと引き継がれていく。
今一瞬だけ、春風が黄色く見えた。ピーエム二点五を運んでいるせいか、それとも花粉を運んでいるせいか。それもそうだ。春風は必ずしも幸せを運ぶとは限らない。
描かれる絵。キャンパスには桃色と黄色で描かれた風が存在している。くすんだ色が優しさと厳しさを伝えてくれる。
誰かが思いを込めた作品が、またどこかで誰かに思いを渡す。それを俺は絵に込める。
「まーた、絵を描いてるの。飽きないわね。」
「絵はコミュニケーションなんだ。俺はこの絵で俺の思いを届けたい。」
母はまだ理解はしていなさそうだ。
その絵の本質を理解していない気がする。
「だって俺はこの絵に魅せられたんだからなっ!」
けど、いつかそんな母にも伝えられる絵を描きたいと切に思っている自分がいる。この熱は止まらない。
「まあ、いいわ。それより昼ごはん、できたわよ。」
「わかった。キリがよいところで下りるよ。」
「キリがよいところって……。全然キリがよくならないからここまで来てるの。私が来たからには、もうお終いよ。」
仕方なく中断をして、昼食を食べに居間へと向かった。
キャンパスの中の桃色と黄色の風は南に向かって優しく吹いていた――。
Fin.




