9話(後編)
「せっのーで。」
大きめのパーテーションが廊下へと運び出される。お化け屋敷やコンセプトカフェにも使われていたように、文化祭ではパーテーションは便利な存在だ。来年のこの時期のために倉庫に保管するみたいだ。
教室には壁やパーテーション、床などに貼られていた布や装飾品などが乱雑に落とされていた。
学校のものは学校に戻す。学校に寄付できそうな物があれば寄付する。それ以外で元の所持者や持ち帰りたい人の物がその人のロッカーに運ばれる。残された物は処分だ。
お祭り騒ぎの後の脱力感が広がっている。
その落ち着いた流れに身を任せてダラダラと片付けを終わらせていく。
時計の長い針が後半周りで五時になる。閉会式まで半時間もある。よく見渡せば教室のゴミもまだまだある。
この裏では生徒会と文化祭委員、複数名の担当の先生が死にかけで仕事しているみたいだ。遥陽ちゃん曰く、毎年死に物狂いで集計する文化があると聞いているとのこと。彼女は今、死にかけで集計作業をしているのだろう。それを思うと、このゴミ捨ての労働も可愛く見えてくる。
廊下に整列して体育館へと向かう。
そこで閉会式が行われた。在り来りな言葉で紡がれていく言葉。そして、みんなが待ちわびた順位発表の時間。待ってましたと言わんばかりに盛り上がっている。
一年生の発表はまだまだ盛り上がれる余地が多い。
続いて二年生の発表の番。周りではドキドキな気持ちを手に込めて握っている。
まずは二位――準優秀賞。
校長先生の口から私達の学級の名前が出た。残念ながらも二位ではあるものの、嬉しい受賞ではある。その場を精一杯盛り上げる。
一位はお化け屋敷を行った隣のクラスだった。あの最後の仕掛けは凄かったし文句なしで頷けた。
続く三年生の部では特進クラスの学級が優秀賞を取った。そのまま最優秀賞もそこが受賞した。神の加護を受けているのかも知れない。ふと、そのクラスが演し物の最後に投げた四つの玉にも神の加護を受けているのかも知れないと思った。
そこに「では」から始まる声。その一言で会場は一度静まり返った。
最後に校長先生の話を聞く。
これにて閉会式が終わった。
列になって順に学級へと戻っていった。
担任の先生からの言葉。その後の盛り上がり。私達は机椅子を後ろにして前を開ける。そして、先生を真ん中に囲むようにして写真を撮った。
カシャシャシャシャ。連射モードで何枚も撮られた写真。
私達は机椅子を戻して笑顔のまま「さようなら」を言い放った。
人の流れに乗って帰って行く。帰りの途中でスマホを開く。画面には二次会の情報が映っていた。
――――――
三つ並んだ皿に焼肉のタレ、レモン、塩を入れる。ウチのクラスの副学級委員が焼き番長となり私達のいる机の網を独占、私達の皿に肉を置いていく。
冷めないお祭り気分をここで発散させていく。
タンをレモンにつけて食べていく。酸っぱい味とタンの独特な噛み心地。とても良い相性だ。
乾のいる方を見る。肉を生で食べたことを誇っている学級委員とそれを囲んで騒いでいる男子。あまりの馬鹿騒ぎに思わず見なかったことにした。
タレにつけたホルモンを何度も何度も噛んでいく。が、全く噛みきれない。仕方なく飲み込む。
味直しにタンを食べる。今度はレモンではなく塩をつけて食べた。その塩っぱさと味わい、噛み心地が癖になる。
鍋銀紙に入った卵の中華スープ。すっと入る卵と味わい深いその味覚。時々、ワカメがツルリと喉を通っていく。とても美味しい。
サンチュ――韓国野菜にメインとなる肉を乗せ、キムチをちょっと追加して巻いて合わせて口に入れる。これがとっても美味しい。
あっという間に時間が過ぎた。
お金を副学級委員に渡す。そのまま外へと出た。薄暗い夜の下。曇り空が明るさを奪っている。
その場は解散となる。
少し間を開け、少し場所を移動した所。あともう少しで自転車置き場という所で、乾に呼び止められた。
「なぁ、愛南――」
私は振り向く。彼は一呼吸を置いていた。そして、何かを話そうと口を開いた。
「好きです。付き合ってください」という女の子の声。
私達二人が声の方向を見る。
そこにはクラスの男子と女子のペアがいた。一人はクラスの学級委員だ。もう一人は冴えない子だ。それなのにその告白できなさそうな性格に厭わず告白をしていた。
「ああ、付き合おうぜ!」
なんて軽いノリなんだ。
それでもそこに確かな愛が芽生えているのを感じた。とても楽しそうなムードだ。二人きりでどこかへと向かって行った。
「あれ、乾……。何か言った?」
「いや、なんでもないっす。」
私達は自転車に乗って、家へとタイヤを転がした。涼しい風を掻き分けて進む。
この自転車は私のではない。お父さんが駅までの通勤に使っていたものだ。ただ漕いでいるだけなのに、親と一緒にいるような感覚になるのは何故だろう。そんなことを考えていたらあっという間に自宅へと辿り着いていた。
――――――
風呂にも入り、後は寝るだけ。
孤独なベッドの上で横になっていく。最初は楽しい一日が思い出されていった。だけど、最後に思い出すのは恋愛の部分。特に、打ち上げの時に見た告白は鮮明に思い出された。
「私も……恋、したいな――。」
眠れない。それどころか瞼の裏から出てくる涙が邪魔してくる。涙をシーツで吸い取らせる。
「ずるい……。私も――。」
嫉妬や憎悪も混じる。ぐちゃぐちゃになった感情が眠りを妨げる。結局、眠れないまま夜が明けてしまった。
何にもない土曜。この家で何をしても自由。
寂しい気持ちを埋めるように私はスマホで漫画を見た。何かした実感もなく一日はあっという間に過ぎていた。日曜日にバイトのシフト入れていて正解だったな。なんてことを考えながら、重い体を動かした。
◆
金曜日の熱気が嘘のように静けさに溢れた月曜日。外は灰色の雲がますます増えていく。
五限目の授業あたりだろうか、窓の向こうでは雲から雨が滴り落ちていく。いつしかそれは強めの雨に変わる。
嫌な予感を匂わせる湿気がこもる匂い。
そして、掃除が終わり、ホームルームの時間も終わる。先生が配った大切な文化祭の写真を鞄に丁寧にしまった。
雨が止むか止まないか。傘を忘れた私は雨が止むことに賭けてここで待つことにした。けれども、どれだけ待てど止む気配はしない。それどころか雨の勢いは増していく一方だ。
三十分は待っただろうか。それでも雨は強く降る。
仕方なく重い腰を上げて、帰る道を進む。
下駄箱で靴を変える。昇降口から本格的に降る雨を見る。びしょ濡れコースだと感じ取り、できるだけ濡れずに進むことを諦める。
乾がそこに来た。どうやら私を待っていたみたいだ。よく見ると、手には文化祭の時に手に入れたWBB――ボールを持っていた。
「愛南。こういうの照れくさくて恥ずかしいんだけど、どうしても伝えたいんす。」
そんな前置きから始まった。
「ずっと愛南のことが好きだったんす。文化祭でもう気持ちが抑えられなくなったんすよ。だから、俺と付き合って欲しい!」
どれだけ嬉しい言葉なのだろうか。本当だったら私だって付き合いたい、恋をしたい。呪いさえなければ、乾とならきっと幸せになれるって思っている。
虚しくも降り注ぐ土砂降りが、現実を伝えてくれる。雨に対して恨むことをしてはいけない。私は雨に感謝しなければならない。
だけど、胸の奥から吹き出す強い気持ち。恋をしたいのに呪いがある。強い葛藤が心を圧倒して、相当の不可をかける。
焦燥する心。「ごめん」の言葉だけは呟けた。けど、その嘘の一言を吐くのも辛すぎて、あまりの刺激に思わずそこから駆け出していた。
冷たい雨が服を濡らす。なのに頭は冷やされず冷静になれない。水溜まりを強く踏みしめ、私は人気のない校舎裏で雨に打たれながら、背中を壁に当ててしゃがみこんだ。
雨で何もかもかき消される今なら、ここなら独り言を言っても問題ない気がしてきた。問題ありでも独り言を呟かなければやってられない。
「辛いよ……こんなの。なんで嘘をつかなきゃならないの。悪いのは私なのは分かるけど、もう許してよ。本当は恋がしたい。あたしも乾のこと……好きなのに。付き合いたいのに。」
吐き出しても楽になる気配がしない。それどころか雨が体温を奪うせいで段々惨めに感じて辛く感じてしまう。
「それ、本当か……?」
見上げるとそこには乾がいた。雨のせいで言葉を聞くまで何にも気付けはしなかった。
「なんでここに?」
「突然、こんな土砂降りの中を走り出して、正門じゃないどっかへと行くんすもん。思わず俺も飛び出しちゃったっす。これ、渡したくてさ。」
「いらないよ。だって、ウチらはもうびしょ濡れだし。」
差し出された傘。けれども、それを届けに来た彼は傘すらささずに追いかけてきた。お互いべちゃべちゃになった服。傘とかもうどうでも良くて笑ってしまいそうだ。
「ごめんね。こんなことさせて。けどね、私は恋ができないんだ。だから、断ることしかできないの。」
「なんで?」
「呪い……世界がそれを許さないから。私が恋をすると私はその人を消してしまう。」
「世界とか……。俺、頭そんなよくねぇからさ、そんな規模の話、分からないんすけど、もし愛南の邪魔をして苦しめる奴がいたら、それが例え世界だとしても俺が何とかするっすよ。」
それが口から出たデマカセなんてことはすぐに分かる。けれども、それを信じたい私もいる。
「諦めて逃げてちゃ、何のために生きてるか分からなくなるっすよ。生きる価値を見つけるためには立ち向かわないといけないっすから。だから、聞きたいんす。愛南の本心を。」
私の生きる価値――彼との約束。ここで逃げたら、きっとまた分からなくなる。ようやく今、その約束が果たされようとしている感じがする。
「私は、乾のことが好き。付き合いたい。」
「俺もっす。俺も愛南のことが好きなんす。一緒に世界に立ち向かう覚悟はあるっすから。」
雨音が強くなり始めた。
体を冷やす雨も胸の鼓動が早くなるお陰で体温が上がり、雨のノイズを感じなくなった。目の前にいる乾のことしか私の瞳には映らない。
私――戦うよ。例え、世界規模が相手になったとしても、隣に彼がいれば私は何も怯えない。生きる価値はそこにあるから。
きっと二人なら――。
「きっと乗り越えてられるっす。」
私達は抱き合った。愛を証明するために。
とても温かい。包まれている感覚。この冷徹な雨から守られているような気がする。力強い抱擁が彼の頼り甲斐を強く示してくれる。人肌の温かさと強かさと、そして優しさ、と。
大丈夫。きっと。
そう私達なら――。
私はどうしてこんなにも馬鹿なのだろう。
すぐに消える感覚。そこにはもう人肌は存在しない。落ちたWBBが消失していく。光の礫が雨に消える。
雨が虚しく、そして残酷に降り注いでいく。
私の涙も鳴き声も何もかもが雨に消えていった。




