63 不戦の勝利
亜麻色の髪をなびかせた少女が、まっすぐにゴローニャンを見つめた。
ゴローニャンの目が泳ぐ。
この娘は——。とディナトスは思わざるを得ない。
軍の中ほどにいた時には年齢相応の小娘らしく怯えを見せていたのに‥‥。ここぞ、となると見せるこの底知れない勇気は何なのだろう?
それでいて、そこには邪心のかけらも感じられない。
ただ純粋に、真っ直ぐに、自分のなすべきことをしようとする。
なるほど。レグルス卿が惚れ込まれるわけだ。
驚いたことにアナスタシア嬢は、にこりと笑った。
「わたくしのために来てくださったのですね? ゴローニャン将軍。」
最も効果的な言葉を知っている。
おそらく、この娘なりに必死に考えたんだろう。無垢な心は時に神の言葉に通じるのかもしれない。
ゴローニャンが哀れなほどに狼狽えるのがわかった。
戸惑いは軍の隊形にそのまま表れている。行軍隊形のままなのだ。戦闘隊形に展開しようともしない。
「ゴローニャン将軍、お久しゅうございます。ディナトスでございます。」
ディナトスが落ち着いた声でゴローニャンに話しかけた。
明らかに主導権を握っている。アナスタシア効果と言ってよかった。
「アナスタシア様に加勢に見えられたのなら歓迎するように、またアナスタシア様を討ちに参られたのなら別の歓迎をするように——とのわが主人レグルスの命でありますが‥‥。」
どちらですかな? とは言わない。
ゴローニャンが返答に詰まったその時、ごおう、と風を切る音が空から聞こえて1匹のドラゴンが墜落かと思うような勢いで両軍の間に降り立った。
アリシアとパイナップルである。
アナスタシアの名を呼ぼうとして、アリシアはその場に漂う奇妙な戸惑いの空気に気づいた。
戸惑いはアノスタコビッチ軍の側から醸されている。
この勘のいいカルーネンは、すぐにその意味を悟った。
アノスタコビッチ軍を率いるゴローニャン将軍が、取るべき態度を決めかねているのだ。見れば軍も戦闘の陣形になっていない。
アリシアはパイナップルの背から飛び降りると、アナスタシアの前にひざまずいた。ただ、まっすぐにはアリシアの方を向いていない。横向きになってゴローニャンにも右頬を見せている。
アリシアがその姿勢をとったのは、ゴローニャンにも聞かせるためだ。
「アナスタシア様! 申し上げます! ガルディー卿は王城の門前にて捕えられ、王の裁きを受けることとなりました!」
ゴローニャンにこそ聞こえよと、アリシアは声を張り上げた。
カルホース軍の兵士たちの間に喜びのざわめきが起こり、アノスタコビッチ軍の中に動揺が走った。
アリシアがアナスタシアを見上げると、アナスタシアは馬から飛び降りてアリシアを抱きしめに走ってきそうな顔をしている。
しかし、さすがに2人とも、今しなければならない演技が何かはわかっていた。
アナスタシアは再び顔を上げて、まっすぐな視線でゴローニャンを射抜いた。
ゴローニャンがはじかれたように馬から飛び降り、片方の拳を地につけてその場にひざまずく。
「そ‥‥それがし! アナスタシア様のことが心配でいても立ってもおられず、かように軍勢を率いてここまでやってきてしまいました! アナスタシア様のご命令に背きましたること、この無骨者の思いに免じてお許しくださりませ!」
よく言うぜ。
とアナスタシアは内心思ったが、それは喉元で止めて、にっこりと微笑んで見せた。
「その気持ち、嬉しく思います。ゴローニャン将軍。」
アリシアがひざまづいたまま、わずかに顔をアナスタシアの方に向けて小さく目配せしてみせた。
ほどなくアノスタコビッチ側の斥候も戻ってきて、ガルディーがフェール卿によって捕縛された旨を報告した。
王国の権力構造は大きく変わった。
ゴローニャンはひざまづいたまま、全身から冷たい汗が吹き出してくるのを止められない。
間一髪だった‥‥。
もし、アナスタシア様率いるカルホース軍と戦端を開いてしまっていたら‥‥身の破滅になるところだった。
ゴローニャンは、ちらとアナスタシア嬢を盗み見る。アナスタシア嬢はにこやかな笑顔を見せていた。
その笑顔に陰りがあるようには見えず、ゴローニャンは、ほおう、と大きく息を吐いて肩の力を抜いた。




